法律で読み解く百人一首 0首目

皆様は、「競技かるた」という競技をご存じだろうか。

一般には「百人一首」といった方が通りが良いかもしれないが、「競技かるた」とは、その百人一首の中でも小倉百人一首を用いたかるた競技のことである。昨今アニメ化や映画化もされた某マンガのおかげもあり、こういった単語自体はお聞きになったこともあるかもしれない。

そんな「競技かるた」は、百人一首の歌が書かれた文字札100枚の札から50枚を無作為に選び、それを25枚ずつに分けて、競技者2人が各自その25枚を思い思いに並べるところから始める。

※つまり、1回の競技で使う札は100枚のうち半分の50枚である。

そして札を並べ終わった後、競技者両名は、どの札が並んでいるのかと札の置かれた場所を、15分で暗記する。暗記時間が終われば、競技開始。

一つの音も聞き漏らさないように張り詰めた空気の中、競技者は読まれた札を取り合う。

この「競技かるた」に用いられるのが、冒頭にも述べたとおり、藤原定家(1162~1241)が編纂し、現在「小倉百人一首」として伝えられている歌集である。なお、百人一首とは、100人の歌人について、一人1首ずつをえらび、合計100首で構成する歌集のことを指すが、「競技かるた」に用いられるものが小倉百人一首であることから「百人一首」といえば「小倉百人一首」を指すことが多い。

※京都の西の小倉山の山荘で選んだといわれていることからその名が付いたと言われている。

編者定家卿は、友人から、「別荘のふすまに色紙を貼りたい。色紙には古来より優れた歌を百首選んで書くことにするから、秀歌を百首選んでほしい」と頼まれた。友人の頼みを聞き入れて、定家卿が編み出したのが、「小倉百人一首」である。

定家卿自身も大変優れた歌人であるのだが、その人が10世紀初めから13世紀初頭にかけて読まれたあまたの歌から、「これは…!」と思ったものを選りすぐったものが「小倉百人一首」となった。

その素晴らしさ、魅力はとてもここでは語り尽くせないが、小中学校の教科書に掲載され、現代の老若男女を熱中させる「競技かるた」に用いられていることからしても、人々の心を今なお引き付けてやまないことがうかがえる。

さて、今回から不定期に、そんな「小倉百人一首」を1首ずつ紹介しながら現代の法律を語る壮大なプロジェクトを始めてみたい。

なぜ「壮大」なのか。

先ほども述べたように、百人一首は、100人の歌人の歌を1首ずつ集め、合計百首で編纂されたものである。つまり、1つの歌と1つの法律論点を紹介するだけでも100個の記事が必要となる。

といったところで、早速、歌と法律を紹介したいところであるが、「競技かるた」と「小倉百人一首」について書いただけで思いのほか長くなってしまったので、紹介は次回更新のときにさせていただくことにする。

肩の力を抜いて、お茶でも飲みながら、最後の1首までお付き合いいただければ幸いである。

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー