六法全書クロニクル~改正史記~平成13年版

平成13年六法全書

13年六法

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
民事法律扶助法(平成12年法律第55号)
があります。

民事法律扶助(みんじほうりつふじょ)とは、
民事の法的トラブルがあった場合に、経済的理由で、弁護士などの法律専門家を依頼する費用を支払うことができない人に対して、その費用を公的機関が給付したり立替えたりする制度です。

日本における民事法律扶助制度は、
1952年に日弁連により設立された財団法人である法律扶助協会が担ってきました。
しかし、民間の寄付に頼るなど財政基盤が弱く、地域間格差や運営体制の整備の立ち後れが指摘されていました。
そんな中、国民へ十分な司法サービスを提供することを目指して広汎な司法制度改革をおこなう流れとなり、その先駆けとして制定されたのが、この法律です。

この法律により、法律扶助協会は、民事法律扶助事業をおこなう者として、法務大臣の指定を受けることとなりました。
そして、国からの補助金も大幅に拡充されました。

 

この法律では、

①国の責任が明示され、事務・運営費について補助金が大幅に拡充された
②法律事務所等で援助申込みができるようになり、アクセス・ポイントが大きく広がった
③司法書士が新たなサービス提供者として加わった

などの点で、民事法律扶助事業の拡充が図られました。

しかし、それでもなお、
対象事件の範囲や対象者の範囲が限定的で、予算規模も小さく
憲法第32条の『裁判を受ける権利』の実質的保障という観点からはなお不十分
との指摘があり、これを受けて、総合法律支援法が制定されます。

民事法律扶助法は廃止され、
民事法律扶助業務は「日本司法支援センター」(通称:法テラス)が承継して実施することとなりました。

 

法テラスで扶助を受けるためには、次のような条件を満たす必要があります(2020年10月現在)。

①資力が一定額以下であること。
(単身者の場合、月収18万2000円以下、保有資産180万円以下など。)
②勝訴の見込みがないとはいえないこと。
③民事法律扶助の趣旨に適すること。
(報復のためだけの訴訟や、権利濫用的な訴訟などはダメということ。)

しかし、たとえ上記の条件に当てはまらない人でも大丈夫。
法テラスでは、問題を解決するための法制度や手続、
適切な相談窓口を無料で案内するという業務もおこなっています。
サポートダイヤルが設けられていて、電話(通話料のみ)やメールでも問合せ可能ですので、気軽に相談ができますね。

法的トラブルは、こじれてしまってからでは、解決に時間がかかります。
できるだけ早い段階で、躊躇なく、専門家の援助を受けることが大切です。

経済的な事情でそれが難しい時にも、自分一人で何とかしようとするのではなく、
どうぞ、この民事法律扶助制度を思い出してください。きっと最終的に、経済的にも精神的にもずっと軽い負担で解決できることでしょう。
(参考:法テラス公式サイト

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
少年法(昭和23年法律第168号)
があります。

この年の改正内容は、次のようなものでした。

①刑事処分可能年齢の引き下げ(16歳から14歳へ)
②懲役・禁錮の言渡しを受けた少年の、16歳に達するまでの少年院収容が可能に
③犯行時16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた事件について、原則として検察官送致
④保護者に対する訓戒、指導等
⑤検察官・弁護士である付添人が関与した審理の導入
⑥被害者への配慮の充実(被害者等の申出による意見の聴取、被害者通知制度、記録の閲覧・謄写)

少年法では、20歳未満の少年による犯罪行為の場合、
すべて家庭裁判所に送致する「全件送致」が定められています。
しかし、16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた場合、
原則として家庭裁判所から検察官に送り返すこととなったのです(上記③)。
これを検察官送致(逆送)と言います。
その場合、少年は成人同様の刑事処分を受けることになります。
場合によっては、少年院ではなく、刑務所(少年刑務所)に入ることになります。

この年の少年法改正は、全体として、
1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件などを契機として、
少年法の厳罰化を実現するものでした。

少年による凶悪な事件が発生すると、
どうしても、「少年法は甘い」という声が高まります。
しかしそもそも、少年法は、その目的を処罰ではなく、少年の健全育成においています。つまり、少年の処罰よりは、改善更生を目的としているのです。

どこでバランスを取るか、とても難しい問題だと思います。

 

現在も、民法の成年年齢を18歳未満に引き下げる法律が2022年4月に施行されることに伴い、少年法の適用年齢を、20歳未満から18歳未満に引き下げることの是非が議論されています。

法制審議会の要綱案では、適用年齢の引き下げについて結論を見送る一方
18・19歳の少年について、原則検察官送致する犯罪の範囲を広げ、起訴されれば、18・19歳でも実名報道を可能とするとの方向性が示されたとのこと。

複数の視点が対立する難しい問題だからこそ、
目を背けることなく、関心を寄せ続けたいと思います。

法律で読み解く百人一首 91首目

被害者が死亡に至った直接の原因が、加害者によるものではなく
第三者(またはその他の要因)によるものであった場合。

被害者が死亡に至る過程において、
加害者による行為が起因していたとあれば、被害者死亡という事実と
加害者による行為には相当因果関係が認められるのでしょうか?




誰でも一度は経験したことがあるでしょう。
「青天の霹靂」とも言える、想像だにしていない、突然の出来事。

しかし、それが人の命を左右するものだとしたら。。

物ごとには、すべて「原因」と「結果」があり、
この2つは、1本の線で繋がっていると言われています。

点と点を繋げてゆけば、必ず線になるように。

一見、全く無関係のように思われる出来事も、
元を辿れば、必ず「原因」に行き当たります。

それが、例え想定外に起きてしまった「結果」だとしても。。

 

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに

               衣かたしき ひとりかも寝む」
                     後京極摂政前太政大臣

「きりぎりす なくやしもよの さむしろに

                 ころもかたしき ひとりかもねむ」

            ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん


小倉百人一首 100首のうち91首目。
平安末期から鎌倉初期にかけての公卿・歌人である
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)の歌となります。

 

 

歌の意味

「霜の降るこの寒い夜、こおろぎがしきりに鳴いている。
こんな夜に、筵(むしろ)の上に衣の片袖を敷いて、わたしはたった独り、寂しく寝るのだろうか。。」


この歌にある「きりぎりす」とは、現在の「コオロギ」のこと。
私たちが知っている、現在の「キリギリス」とは異なります。

漢字では「蟋蟀」と書き(「きりぎりす」とも、「こおろぎ」とも読みます。)、平安時代から中世には、秋に鳴く虫のことを指し、秋の季語とされておりました。

それ故、この歌の季節は「秋」となります。

 

さて

平安時代には、男性と女性が一緒に寝る時は、お互いの着物(衣)の袖を敷きあって寝るという習慣がありました。

「衣片敷き(ころもかたしき)」とは、
共に寝る相手(衣を敷き交わす相手)がいないため、自分の衣を敷き、その袖を枕代わりにして、独りで寝ることを意味しています。

 

霜の降る晩秋の寒い夜
むしろ(わらで編んだ粗末な敷物)の上で、
きりぎりすの声を聞きながら、独り寂しく眠る…

想像するだけで、寂しく孤独な様子がひしひしと伝わってまいります。
(「さむしろ」とは「寒い」と「むしろ」を掛けていることからも、
なお一層、寂寥感が募りますね。)

 

しかし、実はこの歌を詠む直前、良経は妻を失っています。

そのような背景を知った上で、改めてこの歌を詠んでみると
先ほどまでとは、また違った印象を受けるのではないでしょうか。

 

 

作者について


後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん・1169-1206)

彼は、
本名:九条(藤原)良経(くじょう(ふじわら)よしつね)
別名:後京極殿(ごきょうごくどの)
通称:後京極摂政(ごきょうごくせっしょう)
と、いくつもの呼び名を持っています。

政治家としては、内大臣(左大臣・右大臣に次ぐ官職)まで昇りつめるも、
派閥争いに破れて、朝廷から追放されてしまいます。
しかし、その後再び政権に返り咲き、
1204年、ついに官僚の最高位である太政大臣となりました。

ところが、そのわずか2年後、38歳の若さで急死してしまいます。

 

また、良経は歌人としても、新古今和歌集(後鳥羽院の命によって1201年より編纂された勅撰和歌集)の「仮名序」を書いたことで有名です。

「仮名序」とは、「真名序」とともに、新古今和歌集の序文として大変重要な位置づけであり、仮名序を任されるということは、多くの人から尊敬を集める、当時は大変名誉な任務でした。

新古今和歌集は、1205年3月26日に完成しますが…
その翌年、1206年4月16日の深夜、良経に突如死が訪れます。

宮廷内の自邸で一人休んでいるところを、天井から槍で刺し殺されたことから
良経の死は、暗殺によるものだとされています。

政敵か、または
新古今和歌集の「仮名序」の執筆者に選ばれなかった者の逆恨みか、それとも…

 

真実は闇の中、とされておりますが
和歌や漢詩に優れ、とりわけ書においては、のちに「後京極流」との流派ができるほど優れた才能を持っていた良経。

38歳といえば、政治の世界においても、歌の世界においても、まさに絶頂期。

いよいよこれから、、という時の
あまりにも突然で、惜しまれる死となりました。

 

今でこそ、耳にすることも少なくなりましたが、
昔の日本においては、「暗殺」という物騒な事件は、日常の出来事でした。

暗殺の恐怖に怯えながら、戦々恐々として暮らす毎日とは、
どんなものだったでしょうか。。

例えば良経のように、真夜中、暗殺者に襲われた場合…

いつ暗殺されるか知れない、という命の危険を感じながら暮らす日常にあって、
殺害当夜も、危険を察知し、部屋から飛び出したことで、
危うく暗殺という難を逃れたとしても、飛び出したその先に別の危険が待ち受け、
それによって、良経が死に至ったとしたら?

このような場合、暗殺者は、良経の死に関し、
罪に問われることになるのでしょうか?

 

 

被害者の逃走中の事故死と因果関係


さて

現代においても、「生命の危険を感じて逃走する途中で起きた死亡事故」
における因果関係について、争われた事例がありますので、ご紹介いたします。


複数の加害者らに長時間に渡り暴行を加えられた被害者が、加害者らの隙を見て逃走する途中で、高速道路に進入してしまったことで、結果、交通事故により死亡した場合、加害者らの暴行と、被害者の交通事故による死亡との間には、因果関係があるか否か、について争われました。(最決平成15年7月16日

この事件で、加害者6人は、被害者に対し、深夜の公園において、約2時間に渡り激しい暴行を繰り返した後、引き続きマンションの一室で、約45分に渡って断続的に激しい暴行を加え続けました。

その後、極度の恐怖状態にあった被害者は、隙を見て、暴行現場のマンション居室から逃走しました。

逃走を続けること約10分。
被害者は、マンションから約800メートル離れた高速道路に進入してしまい、高速道路上で、走行してきた自動車に轢かれて死亡しました。

加害者らは、被害者の死因は暴行によるものではなく、自動車事故によるものであって、刑法205条には当たらず、自分たちに責任はないと訴えました。

(傷害致死)
刑法205条
「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。」

 

これにつき裁判所は、

「被害者が逃走しようとして高速道路に進入したことは、それ自体極めて危険な行為であるというほかないが、被害者は、被告人らから長時間激しくかつ執ような暴行を受け、被告人らに対し極度の恐怖感を抱き、必死に逃走を図る過程で、とっさにそのような行動を選択したものと認められ、その行動が、被告人らの暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当であったとはいえない。そうすると、被害者が高速道路に進入して死亡したのは、被告人らの暴行に起因するものと評価することができる」

とし、被害者は、加害者ら(被告人ら)の暴行によって死亡したと判断しました。

 

現場からの逃走途中において、高速道路に進入するということは、通常であれば考えられない、極めて危険な行動です。
それにも関わらず、なぜ、加害者の暴行によって被害者は死亡したものと判断されたのでしょうか?

 

判決では、被被害者の行動は

加害者らからの長時間激しく執拗な暴行を受けており、
②その結果として、極度の恐怖を抱き、命の危険を感じて、必死に逃走を図ったもので
③このような、通常ではあり得ない行動をとってしまうという、冷静さを欠いた心理状態おいて、とっさに選択された行動であった

という事情が重視されたようです。

このような場合は、被害者が「高速道路に進入する」という、通常では考えられない行動に出た結果として、交通事故に遭遇し、死に至ったとしても、それは加害者の暴行から生じたものとして、「著しく不自然、不相当であったとはいえない」とされるのですね。

被害者の直接の死因が、加害者らの傷害によるものではなく、交通事故によるものであったとしても、加害者らの行為それ自体が、被害者の心理状況に強度の影響を与えた「原因」により起こった「結果」である、加害者らによる暴行と、被害者の交通事故による死亡との間には相当因果関係がある、とされるところに少し違和感がないこともないですが、深夜の公園で2時間、マンションで45分も暴行を受け続けること自体、通常であれば考えられないことですから、その結果として被害者が高速道路に飛び出すなんてことをしても因果の中に含めてしまっても良いのかもしれません。


さて

本日ご紹介する、こちらの歌

「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」

寂寥感漂うこちらの歌とは対象的に、良経は、「仮名序」を記した新古今和歌集においては、次のような歌を詠み、華々しい第1首目を飾りました。

 

「み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春はきにけり」

(吉野は山も霞んでいる。
ついこの間までは白雪が降っていた里にも、ついに春が来たんだなあ。)

こちらの歌にあるように、まさにこれから春を迎え、
人生を謳歌しようとしていた良経。

 

捉え方によっては、
良経暗殺という「結果」における「原因」とは、ある意味「歌」にあったと言えるかも知れません。

歌とは、嘗ては人の運命を左右するほどの威力を持っていました。
それは、歌が持つ力の恐るべき一面、とも言えるのではないでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

映画「プリズン・サークル」を観てきました

「TC」という言葉をご存知でしょうか?

「Therapeutic Community(セラピュティク・コミュニティ)」の略で、「治療共同体」などと訳されます。薬物依存者や犯罪者の更生に用いられる、心理療法的アプローチのひとつです。

   

アメリカには、世界的に知られるTCとして「Amity(アミティ)」があります。
アリゾナ州を拠点としており、薬物・アルコール依存症者を主な対象としていますが、2018年からは出所後の終身刑受刑者の社会復帰施設の運営などもおこなっているようです。

日本では、島根あさひ社会復帰促進センター(以下「島根あさひ」)において、「TCユニット」と呼ばれる更生特化プログラムがおこなわれています。

そうはいっても、被収容者全員が対象とされるわけではありません。
このプログラムを受けることができるのは、希望する受刑者のうち、面接やアセスメントで許可を得た、わずか30~40名程度です。アミティのカリキュラムのほか、認知行動療法も導入しており、受講生たちは半年から2年程度の間、生活を共にしながら、週12時間程度のプログラムを受けていきます。


<島根あさひ社会復帰促進センター>
島根県浜田市にある、2008年10月に解説された男子受刑者を収容する施設です。
2000年代後半に開設された4つの「PFI刑務所」のひとつで、犯罪傾向の進んでいない男子受刑者2000名を対象としています。

「PFI」はPrivate Finance Initiative、官民協働運営の刑務所を意味します。
これは1992年にイギリスで生まれた行財政改革の手法ですが、日本では1999年7月公布のPFI法の施行以降に活用が始まりました。
現在、日本には島根あさひを含む4つのPFI刑務所が存在します。
島根あさひでは、国の職員約200名に加え、民間の職員約350名が働いており、「刑務所」ではなく「社会復帰促進センター」と呼ばれるのも、特徴のひとつです。

学校のような外観・内装や警備システム、IT技術の活用された管理等、私たちがステレオタイプ的に抱いている「刑務所」のイメージを大きく覆すような施設です。
島根あさひHP「センターの特徴」


以前、当ブログでふれた監獄法の改正とも大きく関わっている点ですね。
今回は、その島根あさひを舞台としてTCの取組みを取材した映画「プリズン・サークル」をスタッフ2名で観てまいりました。

 

 

映画概要

 

今回鑑賞した「プリズン・サークル」は、島根あさひにおける「TCユニット」を受講する4人の受刑者を主人公とし、2年にわたり密着した作品です。
監督・制作・撮影・編集をされたのは坂上香さん。ドキュメンタリー映画監督であり、制作活動をしながら、刑務所等に収容される人々を対象に映像・アートを用いたワークショップもおこなっているそうです。
この作品は取材許可が下りるまで6年、撮影に2年、公開までにおよそ10年の年月を要したと言います。

作品は、刑務所は従来「こういうところ」であるが、島根あさひは「こんなところが新しい」という説明、そして主人公となる若い4人の受刑者がTCに参加するところから始まっていきます。

既に述べたとおり、島根あさひは従来の「塀の中」というイメージを覆すもの。
明るい施設内や新しい管理システムを見ると、一瞬刑務所が映されていることを忘れそうですが、受刑者の丸刈り頭や、定められたであろう規律ある動きを見ていると、「あ、刑事施設だったっけ…」と気づかされます。

TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。
公式HPより)

と説明されるように、TCユニットでは受刑者らが円(サークル)になってグループワークをおこないます。支援員と呼ばれる臨床心理士らが提示する様々なテーマに沿って考え、伝えたり、聞いたり、促したりと、コミュニケーションを図りながら、自分自身ないし周りの受刑者と向き合うのです。

法律事務所に勤務していても(取り扱う業務によりますが)、なかなか知る機会のある世界ではありません。2時間以上に及ぶ映像の中で、初めて知ること、考えさせらえることは多々ありました。
(※以下、内容についての記載があります。)

 

 

大切にされること、の大切さ

 

印象的だったのは、
受刑者に対する支援員の方たちの接し方が非常に柔らかいものだったこと。

刑務所内って(もちろん意味あってのことだと思いますが)、有無を言わさぬの対応・口調のイメージがありますよね。
しかし、支援員たちは受刑者のすぐ近くで、目を見ながら敬語で「○○さん」などと話します。プログラム中、受刑者同士は名前で呼び合い、自由に会話することも可能です。
普段の生活なら当たり前のことが、刑務所という空間においては非常に特別なことであるように感じました。

このことは、受刑者自身にも大きく影響しているようです。
インタビューのなかでも、「支援員が目を見て話してくれるのは嬉しい」「人として尊重されている感じがする」といったような発言がありました。

例え罪を犯してしまい、実刑を受けながら過ごさねばならないとしても、人として「大切」にされる(ように感じる)時間があることは、受刑者本人が自身の罪と向き合ったり、社会復帰に向けて気持ちが動く重要なきっかけになるのではないか、と強く感じました。

 

 

自分の「これまで」と向き合う

 

その他に印象的だったのは、受刑者の過去を題材としたワークショップを多くおこなっていたことです。

この映画で主人公とされた4人には、育児放棄や虐待・いじめ・貧困など、同じような人を集めたのでは?と思ってしまうくらい、共通するバックグラウンドがあります。彼らがおこなった犯罪行為は、こうした背景が積み重なった先にあるものなんですね。

TCでは、とことんその「過去」と対峙させます。
支援員が話を聞いたりブレインストーミングを助けることもありますが、ここでのポイントは、同じような状況にあった他の受刑者とグループワークをおこなうことにあると思います。
こうした教育を受けさせ、自らの罪や、これからの人生に直面させることは、かえって厳しいことかもしれません。刑務所の中で、何も考えずに時(刑期)を過ぎるのを待つだけのほうが、もしかしたら楽なのかも…

だからこそ、その時感じた気持ちを伝え、共有できるのが同じ境遇にある人達であることは、TCのプロセスにおいて大きな助けとなるのではないでしょうか。

 

 

被害者側にとってのTC

 

一方で、被害者側にすれば、こうした取り組みや、その過程にある彼らの言動を受け入れることは難しいのでは、とも感じました。

ワークショップ内では、罪を罪と感じていない(感じることができていない)という告白があったり、自分の罪どころか物事と向き合うことを諦めてしまっている受刑者たちの姿もありました。
被害を受けた方たちにすれば、様々な感情が駆け巡ることと思います。こうした点も、TC受講者が限られる理由のひとつなのかもしれません。

しかし、TCを受講できなかった受刑者たちも、刑期を終えれば「社会復帰」をしなければならないわけです。被害にあわれた方を含め、私達が安心して暮らすためにも、やはりこうした支援は必要不可欠なのではないでしょうか。
TC受講の機会を得られなかった受刑者たち、また犯罪傾向が進んでいるとされTC受講の対象とならなかった受刑者たちに対しては、どのような取り組みがされているのかも気になります。そこを知ることも、大きな一歩となるかもしれません。

   

 

TCがもたらすもの

 

作中では、TC出身の出所者たちの姿も描かれています。

一部の方たちは、出所後も支援員らと連絡を取り合い、定期的にミーティングをおこなっているのだそうです。映像では、食事をしながら、出所者らが近況や今後の目標についての報告などをする様が映し出され、それぞれが奮闘している様子に支援員が涙する瞬間などがあり、また殆どの方が顔を出している(モザイクがかけられていない)ことにも驚きました。

皆順調に生活しているかと思いきや、なかには思ったような社会復帰を果たせず、悩み、やや投げやりになってしまっているTC出身者の姿もありました。
その人に対して厳しい言葉を投げかけるのは、他のTC出身者です。支援員はそのやり取りを見守ります。
こうしたコミュニケーションもTCの効果のひとつかもしれない、と感じました。

 

 

PFIやTCは拡大すべき?

 

こうしてPFI刑務所やTCの存在を知ると、
「もっとやればいいのに」と多くの方が感じることだと思います。

PFI刑務所については、今のところ運営に支障をきたすような事故の発生はなく、また「地域との共生」といった運営理念も実現されているようです。
しかし、官民協働であるからこその課題もあり、特に業務実施にあたっては以下の点が挙げられています。


・オペレーションの複雑化
遠隔監視による受刑者の独歩移動や遠隔操作による扉の施錠・開錠など、一般の刑事施設に比べてオペレーションが複雑になっているため、官民ともに保安警備業務に従事する職員がその仕組みを十分理解した上で勤務にあたる必要がある(現に扉が未施錠のまま放置されるような事態が発生している)。

・職員のスキルアップ等
一般の刑事施設で刑務官や教育専門官等の国職員が実施している業務を、民間事業者が実施しているため、社会復帰促進センターで採用された国職員の基礎的スキル向上を図ることが難しい面がある。

・考え方の相違等
官民間の業務実施上の立脚点の違いから、国・民間の職員の間で物事の捉え方に相違がある場合があり、同一の業務について評価が異なることがある等。

(法務省HP「PFI手法による刑事施設の運営事業の在り方に関する検討会議(骨子)」より)


TCの導入については、支援員不足が挙げられています。
元センター長のコメントによれば、当初は収容者全員にTCを受講させる動きがあったようですが、支援員不足から実現が難しかったそうです。
映画では撮影上の制約から支援員に焦点が当てられていませんが、彼らの働きは実に大きいのだそうです。
どこでも人材不足は問題視されますが、ここでも大きな課題なのですね。

また、TC出身者の再入所率は、他のユニットに比べ半分以下であるという調査結果もあります。その点については「犯罪傾向の進んでいない受刑者たちが対象だから(少なくて当然)」といった意見もあるようですが、この映画を見ると、TCという取組みが一部の受刑者においては確実に作用していることが分かります。

 

 

最後に

 

「刑務所」という場所はかなり閉塞的なイメージですし、業務上の都合やプライバシーの観点などから、そうであるべきとも考えられます。
だからといって”関係ない世界”と断ち切るのではなく、社会全体の課題として認識することが大切であるように感じました。

私事ですが、日本のドキュメンタリー映画は”暗くて重苦しい、問題意識の押し付け”というイメージによる苦手意識から、これまで食わず嫌いで過ごしてきました。
でも、「プリズン・サークル」にはフラットさを感じました。作者の信念は確固たるものであると思いますが、伝え方は割と冷静であるかなと。。。
今回の鑑賞を経て、新しいジャンルについて知ることの大切さも再認識させられた気がします。

こうしたジャンルや、ドキュメンタリー映画を普段見ない方にこそおすすめです。

ひとつ疑問が残るとすると、色についてです。
映画ポスターでも見られますが、椅子や衣服で黄色が使われており、何だかとっても印象に残ったのです。
何か効果を狙ったものなのか、今も気になっています。。。

法律で読み解く百人一首 52首目

国の指導のもと、「予防接種法」に基づいて実施された予防接種を受けた結果、
その副作用により、後遺障害を負い、若しくは死亡するに至ったとしたら。。

その場合、憲法29条3項に定められている財産権により、国に補償請求をすることはできるのでしょうか。


 

生命あるところ、そこには必ず感染症が存在します。

長い歴史において、人類は、常に感染症に悩まされてきました。
一つの病気が収束したかと思えば、すぐにまた新たな病気が発生する。

決して終わることのない、人類と感染症との戦い。
人類の医学における戦いとは、感染症との戦いであるとも言えるでしょう。

高度な医学が発達した現代社会においてさえ、人間の叡智をもってして、
なお撲滅することのできないもの。
それが感染症なのです。

 

有史以来、人類が撲滅できた感染症とは、
ただ一つ、天然痘のみだと言われています
(WHO・地球上からの天然痘根絶宣言・1980年5月8日)。

今年は、パンデミックした新たな感染症により、個人の人生のみならず、
社会が、そして世界が大きく様変わりしたように思います。

世界中で、マスクの着用、ソーシャルディスタンスが当然の光景となり、
昨年までの生活が一変した世界。
そう考えますと、今年は、人類史における大きな転換点と言っても過言ではないでしょう。

この感染症にはワクチンが存在しないため、私たちはなお一層、未来への不安を掻き立てられており、一刻も早くワクチンが開発されることを期待されています。

しかし、その開発の裏には、実は、知られざる事実もあるのです。。

 

そこで、本日ご紹介する歌は…

本日の歌】

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら

             なほうらめしき 朝ぼらけかな」
                        藤原道信朝臣

「あけぬれば くるるものとは しりながら
              なほうらめしき あさぼらけかな」
                       ふじわらのみちのぶあそん 


小倉百人一首 100首のうち52首目。
平安中期の貴族・歌人、藤原道信朝臣(藤原道信)の歌となります。

 

 

歌の意味

 

「夜が明けてしまったら、やがてはまた日が暮れて夜になり、あなたに会えるものだと分かってはいるけれど、それでもやはり、あなたとお別れする夜明けは、恨めしく思われるものです。」

平安時代において、夜明けとは別れを、日暮れとは再会を意味します。

「朝ぼらけ」とは、夜がほんのり明けるころ。
秋や冬の歌に多く用いられています。

和歌の世界における「朝ぼらけ」とは、男女が一夜を共に過ごした後、男性が女性の元から立ち去る頃という特別な意味があります。

そして、男性は帰宅すると、女性に歌を送ることが習慣となっており、
こうして詠まれた歌は、「後朝の歌(きぬぎぬのうた)」と言われます。

 

 

作者について

 
藤原道信朝臣(ふじわらみちのぶあそん)972~994

本名は、藤原道信(ふじわらのみちのぶ)。
平安中期の貴族・歌人で、中古三十六歌仙(三十六歌仙に選ばれなかったが、優れた歌人と、それ以後の時代の歌人が選ばれた)の一人。

太政大臣・藤原為光(ふじわらためみつ)の三男で、藤原兼家(かねいえ)の養子となりました。
従四位上・左近衛中将に昇進するなど、若くして武官を歴任します。

 

和歌に秀でており、14歳で父・為光を亡くした際には、

限りあれば 今日ぬぎすてつ 藤衣 はてなきものは 涙なりけり

「喪があけるので喪服は脱ぎ捨てたけれど、悲しみの涙は果てしなく続くよ」
※「藤衣」は喪服のこと

と詠んで、悲しみを表現し、多くの人に賞賛されました。

 

大鏡には「いみじき和歌の上手」と伝えられるほど、その才能を期待されておりましたが、当時流行していた天然痘により、惜しくも23歳の若さで、短い生涯を閉じました。

天然痘とは、かのインカ帝国やアステカ帝国をも滅亡させた、と言われているほどの恐ろしい病気。
道信が生きた平安時代にも、庶民のみならず、貴族を含め多くの人々が、この天然痘により死に至りました。

 

 

予防接種ワクチン禍事件


さて。

世界を危険に陥れた天然痘を撲滅することが出来た要因の一つに、
有効なワクチンが開発されたことがあります。

ワクチンとは、ご存知のとおり体内に摂取することで、感染症の発生と拡大を未然に防ぐための薬ですが、多くの人に効果があるとされてはいるものの、やはり何事にも100%はありません。

予防するための薬が、ある人にとってはかえって毒となり、
最悪の場合には生命を奪うこともある。。

 

我が国においても、国の指導のもと、「予防接種法」という法律に基づいて実施された予防接種を受けた結果、一部の児童は、その副作用により、後遺障害を負ったり死亡する事態に至ってしまいました。
そのため、被害に遭った児童らとその両親ら約160名が、国に対し、憲法29条3項に基づいて、損失補償を求めて争った、という事例があります。
(東京地裁昭和59年5月18日判決)

この事件において、裁判所は、被害児童らとその両親らの訴えに対し、
以下のように判断を下しました。


「一般社会を伝染病から集団的に防衛するためになされた予防接種により、その生命、身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し、右犠牲による損失を、これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは、生命・自由・幸福追求権を規定する憲法13条、法の下の平等と差別の禁止を規定する同14条1項、更には、国民の生存権を保障する旨を規定する同25条のそれらの法の精神に反するということができ、

そのような事態を等閑視することは到底許されるものではなく、かかる損失は、本件各被害児らの特別犠牲によって、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である。そのことは、価値の根元を個人に見出し、個人の尊厳を価値の原点とし、国民すべての自由・生命・幸福追求を大切にしようとする憲法の基本原理に合致するというべきである。

 更に、憲法29条3項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定しており、公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え、特定の個人に対し、特別の財産上の犠牲を強いるものである場合には、これについて損失補償を認めた規定がなくても、直接憲法29条3項を根拠として補償請求をすることができないわけではないと解される。

憲法13条後段、25条1項の規定の趣旨に照らせば、財産上特別の犠牲が課せられた場合と生命、身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで、後者の方を不利に扱うことが許されるとする合理的理由は全くない。

 従って、生命、身体に対して特別の犠牲が課せられた場合においても、右憲法29条3項を類推適用し、かかる犠牲を強いられた者は、直接憲法29条3項に基づき、被告国に対し正当な補償を請求することができると解するのが相当である。」

憲法29条3項
「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」


 

「予防接種法」とは、国民を伝染病から守り、公衆衛生を向上させることを目的として、国が、国民に予防接種を受けることを義務付けていたものです。

しかし時として、その副作用で後遺障害、若しくは死亡に至る事態を引き起こすこともあるということが、当時すでに統計的に明らかになっていました。

国はそのような事実を知りながら、公共の福祉、つまり「国民全体の利益」を優先させたことで、一部の国民の「生命や身体」に特別の犠牲が課せられたのです。

 

このような場合、その一部の国民に課せられた犠牲は、

  • 「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を規定する憲法13条
  • 「すべて国民は、法の下に平等であって」、「差別されない」と規定する同14条1項
  • 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定する同25条1項

に反するものであることから、

  • 財産権の制限が、特定の個人に対し、特別の財産上の犠牲を強いるものである場合は、憲法29条3項に基づき、補償請求することができること
  • 国民全体の利益が、これら個人の犠牲の上に成立するものであるならば、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である

とされました。

憲法13条
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

憲法14条1項
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

憲法25条1項
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

 

感染症も、時代を経るごとに複雑に変化し、その数も増加の一途を辿ることから、法律においても、数々の改正がなされてきました。

「伝染病」との呼び名も「感染症」へと変わり、これまでの「伝染病予防法」に代わって 「感染症予防法(正式名称:感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)」と言う呼び名に改正されています(1998年制定・公布、1999年4月1日施行)。

なお、現在も予防接種法は存在しますが、
1948年成立当初こそ「罰則規定ありの義務接種」であったものの
1976年には「罰則規定なしの義務接種」となり、
さらに1994年には「努力義務」に改正されています(予防接種法 第9条(予防接種を受ける努力義務))。

 

◇ ◇ ◇

 

さて
本日ご紹介する、こちらの歌

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな

こちらは、雪が降った日の朝、道信が女性の家から帰って贈った、
後朝の歌とされています。

 

道信は、女性に宛て、この1首に加えて、更に次の1首を贈っているようで。。

帰るさの  道やはかるか  からねどと  来るにまどふ  けさの淡雪

「あなたの家からの帰り道が、いつもと変わったわけではないのですが、迷ってしまうのです。まるで今朝の淡雪のように、あなたが打ち解けてくださったから。」

この歌は、2つ併せて1首といえるでしょう。

 

季節は冬でありながら、どことなく春を感じさせるような、若々しい恋の歌。

未来のある才能豊かな若者が、遥か昔、伝染病によりその将来を断たれてしまったこと、生きていれば、どれほど素晴らしい歌が後世に残されただろうか、、
と考えると、残念でなりません。

現在猛威を奮っている伝染病も、嘗て撲滅された天然痘のように、いつかは終わりが来るのでしょうか?

 

◇ ◇ ◇

 

今、世界中で、一日も早いワクチンの開発が叫ばれています。

しかし、ワクチンの開発や改良が繰り返されてきたその歴史の裏には、恩恵を受ける者ばかりではなく、知られざる多くの犠牲もあった。。

その事実もまた、思いに留めておく必要があるのではないでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー