法律で読み解く百人一首 40首目

新型コロナウイルスの流行が落ち着いてから久しくなりました。

パンデミックにより変化したことのひとつに、
「オンライン化」「リモート化」があるのではないでしょうか。

 

法律事務所として印象的であったのは、民事裁判手続のデジタル化です。
パンデミック前から法改正に向けて進められていたものの、期日のオンライン運用(一部地方裁判所における、ウェブ会議を用いた争点整理手続の運用)が始まったのが、くしくも2020年2月頃でした。

偶然のタイミングではありましたが、大変な状況ながらも事件の進行停止を避けることができた一方、それまでとは勝手も異なるため、裁判所も弁護士も当初は手探りの状態だったのではないかと想像するところです。

 

こうした裁判手続に限らず、人と人が顔をあわせる場面では、無意識のうちに相手の様子や場の雰囲気から感じ取っている情報があるのではないでしょうか。

自分はポーカーフェイスのつもりでも、はたから見れば、想像以上に考えが表情に出てしまっているかもしれません。

 

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 

 本日の歌  「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は

ものや思ふと 人の問ふまで」  

平兼盛


「しのぶれど いろにいでにけり わがこひは

ものやおもふと ひとのとふまで」

たいらのかねもり

 

 

 

 

小倉百人一首 100首のうち40首目。
平安時代前期の貴族・歌人、平兼盛による「恋」の歌となります。

 

 

 

 

歌の意味

 

人に知られまいと心に秘めてきたけれど、とうとう顔色に出てしまっていたようだ。
私の恋は、「何か物思いをしているのですが?」と人が尋ねるほどまでに。

 

 

しのぶれど
ここでの「忍ぶ」は、「人目につかないように隠す、秘密にする」の意。
接続助詞「ど」は逆説確定条件のため、「~けれども」「~のに」と訳す。

色に出でにけり
「色」は顔色、表情、態度の意。
「色に出づ」で「(思っていることが)顔やそぶりに表れる。態度に出る」の意味がある。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の活用形で「~てしまった」、
「けり」は詠嘆の助動詞で「~だなあ」と訳す。

わが恋は
係助詞「は」は強調。
この歌は「わが恋」が主語の倒置法になっている。

ものや思ふと
「物思ふ」は物思いにふける、思い悩むの意。
「や」は疑問の係助詞で「~か」となる。「思ふ」に係り結びしている。
ここの「ものや思ふ」は会話文。

人の問ふまで
「まで」は程度を表す副助詞。「~ほどに」「~くらいに」と訳す。
 
 

 

 

作者について

 

平兼盛(たいらのかねもり・不明-991)

  

平安中期の貴族・歌人で、正確な生まれ年はわかっていませんが、光孝天皇(百人一首15番の作者)の玄孫として生まれました。
(「尊卑分脈」に系譜が記載されているものの、矛盾点も指摘されており、ひ孫であった説も提示されているとのこと)

950年に臣籍降下(皇族が姓を与えられて皇室を離れ、臣下の籍に降りること)し、平姓となります。越前国(現在の福井県北東部)、山城国(現在の京都府南部)、駿河国(現在の静岡県中部、北東部)などの地方官を務めました。
官位は、最終的に従五位上にまで至っています。

歌人としては、三十六歌仙の一人に選ばれています。
壬生忠見のエピソードでもご紹介したとおり、960年の天徳内裏歌合では接戦の末に勝利をおさめました。
また、968年の「大嘗会屏風歌」(※)をはじめとする多くの屏風歌を献上したほか、勅撰和歌集に90首近くもの歌が選ばれるなど、「拾遺和歌集」「後拾遺和歌集」における主要歌人の一人とされています。家集に「兼盛集」があります。

※大嘗会屏風歌:「大嘗会」は天皇が即位後初めておこなう新嘗祭のことで、その中の一儀式で用いる屏風をいう。10世紀頃に始り毎回、当時第一流の歌人、画家、書家により新造された。(コトバンク参照)

 

私生活では、天徳内裏歌合のわずか数年前に離婚を経験。
その後、別れた妻は後に役人である赤染時用という男性と再婚しました。そこで生まれたのが、百人一首59番目の作者・赤染衛門です。

「袋草紙」(平安後期の歌人・藤原清輔による歌論書)には、赤染衛門の母親が兼盛の子どもを身ごもった状態で再婚し、赤染衛門を出産したとする記述が残されています。
兼盛も「別れた直後に生まれたならば、自分の子であるに違いない」と、引き取ることを希望して検非違使庁(現在でいう警察のような役所)に訴えましたが、元妻は拒否。
さらには、赤染時用が「兼盛の妻であったころから関係があった」などと主張し(それもいかがなものかと思いますが)、最終的に兼盛には親権が認められませんでした。

 


 

そんな兼盛。
恋愛面ではついていなかったのか、別の女性との逸話も残っています。

平安時代に成立した歌物語「大和物語」は様々な人の歌とエピソードを集められたものですが、その中には兼盛を扱った箇所があります。
歌をやり取りしていた女性に結婚を申し込んだものの、その人には恋人がいて、何も知らない兼盛が引き続きアプローチしたところ、ついには女性が過去に兼盛が贈った歌を返して来たので、そこで振られたことに気づいた・・・

という、何とも残念な内容となっています。

 

 

  

 

夫婦の日常家事代理と表見代理

 

さて・・・

 

離婚した妻との親権争いに敗れてしまった兼盛。
2人が結婚生活を継続していれば、子育ての他にも、様々なことを共に協力して過ごしていたことでしょう。

 

現在の民法は、夫婦が日常生活を送るうえで発生する債務について、夫婦が連帯して責任を負うことを定めています。

民法761条(日常の家事に関する債務の連帯責任)
夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。

 「日常の家事」とはひとことで言っても、夫婦によって生活や事情は異なり、その範囲も変わってくることでしょう。

 

また、民法は本来与えられた権限を超えておこなわれた行為でも、一定の条件を満たす場合には、その行為が有効となることを定めています。

民法110条(権限外の行為の表見代理)
前条第1項本文(※)の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。

※109条1項(代理権授与の表示による表見代理等)の条文は、
「第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

 

この「表見代理」について、761条が定める「日常家事」の範囲を超えた場合にも成立するのかという点が問題になる場合があります。 

これについて、裁判所の判断が示された事例があります(最判昭和44年12月18日)。

 

昭和24年頃、女性Xはとある不動産を売買により取得し(以下「本件不動産」)、同年中にその所有権移転登記を了していました。

やがてAと結婚しましたが、その後Aが経営していた事業は昭和37年3月に倒産。
当時、Yが経営する企業はAに対して800万円以上の債権を有していました。

そこでAは、昭和37年4月に自身をXの代理人であるとして、Yとの間で、本件不動産をYに売り渡す旨の売買契約を締結しました。この際AはXに許諾を得ず、契約書への記名押印など、契約締結の手続も勝手に進めていました。
そして、本件不動産については、同年中に原告・被告間に売買があったことを原因とする所有権移転登記がなされました。

その後の昭和39年6月、XとAは離婚。
XはYに対して本件不動産を売り渡したことはなく、かかる登記申請もおこなっていないため、上記の所有権店登記は無効であるとして、Yに対して抹消登記手続を求めて提訴しました。

 

これに対してYは、

・AはXから代理権を授与されて契約締結した
・仮にこれが認められなくとも、Aは民法761条により日常家事に関してXを代理する権限を有していたから、これを基に民法110条により表見代理が適用される

としたうえで、取引は有効であると主張しました。

1審、2審では、ともにXの請求が認められたため、これに対してYが上告。
裁判所は民法110条の表見代理の成立について、次のとおり判示しました。

民法761条は、「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによつて生じた債務について、連帯してその責に任ずる。」として、その明文上は、単に夫婦の日常の家事に関する法律行為の効果、とくにその責任のみについて規定しているにすぎないけれども、同条は、その実質においては、さらに、右のような効果の生じる前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することをも規定しているものと解するのが相当である。

そして、民法761条にいう日常の家事に関する法律行為とは、個々の夫婦がそれぞれの共同生活を営むうえにおいて通常必要な法律行為を指すものであるから、その具体的な範囲は、個々の夫婦の社会的地位、職業、資産、収入等によつて異なり、また、その夫婦の共同生活の存する地域社会の慣習によつても異なるというべきであるが、他方、問題になる具体的な法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するか否かを決するにあたつては、同条が夫婦の一方と取引関係に立つ第三者の保護を目的とする規定であることに鑑み、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも充分に考慮して判断すべきである。

しかしながら、その反面、夫婦の一方が右のような日常の家事に関する代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合においては、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法110条所定の表見代理の成立を肯定することは、夫婦の財産的独立をそこなうおそれがあつて、相当でないから、夫婦の一方が他の一方に対しその他の何らかの代理権を授与していない以上、当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、民法110条の趣旨を類推適用して、その第三者の保護をはかれば足りるものと解するのが相当である。

 

つまり、日常家事代理権を基礎に広く表見代理を認めるのではなく、「その行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるとき」と、範囲を厳密に限定すると示したのです。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

さて。

兼盛の作風は基本に忠実で、内容も実生活に根ざしたものが多く、生活派(※)の歌人といわれたそうです。

※芸術上の一派。現実の生活を重視し、実生活の体験に基づいた創作をおこなうもの。特に、明治末期から大正時代にかけての近代短歌の一派をいう。(コトバンク参照) 

 

本日の「しのぶれど」は題詠されたもの。

表に出さないようにしていたつもりが、人から「もしかして恋してるのですか?」と聞かれて、自分の気持ちが表情に出てしまっていることに気づく・・・

というように、会話を取り入れた巧みな構成でありながら
現代の私たちも「そういうこともあるよね」と頷いてしまう、とても身近な内容となっているのです。

  

新しい景色を知ることのできる歌が数々ある一方、
時代を超えて共感できる作品に出会えることも、和歌の楽しさかもしれません。

 

 

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

 

 

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ⑥

あっという間にお盆も過ぎ、8月も下旬に入ろうとしています。

 

一般的にお盆は8月とされていますが、地域によっては7月や9月にもなることをご存じですか?

東京、函館、金沢は7月、
一部(沖縄、東京都多摩地区の一部)を除く全国は8月、
とされており、その背景には「改暦」があります。

 

明治より前の日本は旧暦が使用されており、お盆は7月15日であったところ
①改暦によって日付がずれ、同じ時期にあたる現在の8月15日とした(旧盆)
②お盆は7月15日が相応しいとして、現在の7月15日とした(新盆)
との経緯により、大きく二手に分かれることとなりました。

なお、全国的には旧盆(8月)がとられているのには、7月は農作業が忙しいためお盆をおこなうのが難しいから、という説があります。
特に東京は農業との関連が弱く、また改暦をおこなった明治政府のお膝元であることから、新盆(7月)としたと考えられるそうです。

ちなみに・・・筆者の家族はみな東京出身で、幼いころから7月になると家族で迎え火、送り火を焚いた思い出があります。
今回経緯を知って「なるほど」と大きく頷いてしまいました。

こうした地域差が生まれるのも、場所ごとに文化が多様な「日本ならでは」という感じがいたします。

 

◇ ◇ ◇

 

先日一部開花していたひまわりですが、徐々に満開となりました。

 

 

 

 

 

 

タイミングが揃って開花したのは小夏でした。
やはり「王道のひまわり」感があって華やかですね。

 

 

ということで、2025年のひまわりも無事に開花を迎えることができました。

過去のブログ記事でもふれましたが、ひわまりは弁護士バッジ(弁護士記章)のデザインに用いられていることもあり、弁護士事務所には縁のある花なのです。

来年も引き続き観察してまいりたいと思います。

ひまわり観察日記-2025- ⑤

平均気温が過去最高となった7月を終え、8月に入りました。

しかし、毎日口から出るのは「暑い」という言葉ばかり。
朝の天気予報を見ただけで汗をかいてしまいそうです。

 

そんな8月ですが、またの名を「葉月」というのはご存じの方も多いはず。
その由来は諸説ありますが、「木の葉が紅葉して、葉が落ちる月だから」というのが最も有名なようです。

 

・・・なんだかとても「秋」の雰囲気ではありませんか?
昨今の猛暑からすれば、季節外れじゃないかと違和感があるほど。

 

それもそのはず。
この「和風月名」は旧暦(太陰太陽暦)で使われていたもので、現在の太陽暦とはズレがあります。

 

旧暦8月は現在の8月下旬から10月上旬にあたるため、そう考えると非常に季節にマッチしたネーミング、というわけなのです。
8月に「立秋」が置かれているのも納得ですね。

ちなみに、「葉月」は以下の名称から転じたとされる説もあります。

穂張り月(ほはりづき):稲の穂が育ち身が張る様子から
初来月(はつきづき):雁が初めて渡って来るため(雁は春と秋の季語)
南風月(はえづき):台風が来るため「南の風が吹く月」の意
月見月(つきみづき):中国の中秋節の風習が伝来したことから

 

さて、少しは涼しい気分になれましたでしょうか。

 

 

◇ ◇ ◇

 

秋の気分をわずかに先取りしたところで、
弊所のひまわりは徐々に咲きはじめてまいりました。

 

一番乗りは「ジュニア」です。 

 

 

 

ほぼ100%開花のものから、あと一息というものまで。
全体的にちらほら咲き始めています。 

 

 

  

そして別日には、より一層開きが大きくなっていました。 

 

 

他の鉢でも咲き始めています。
こちらは夏物語。若干色味が異なっており、こちらも綺麗ですね。 

 

 

小夏も咲いている箇所を発見。あともう少しというところでしょうか。 

 

 

 

ちなみに・・・
ひまわりは夏の季語のなかでも晩夏に分類されるのだそうです。

ということは、間もなく夏も終わりに近づくのですね。

 

これからお盆を迎え、暑さはまだまだ衰えそうにありませんが、夏らしさを楽しみながら乗り越えたいと思います。

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ④

7月も終盤となり、ますます夏らしさが増してまいりました。

先日友人と
「自分たちが子供の頃の夏はどう過ごしていたか」
という話になりました。

平成1桁の生まれの私たちは、幼いころの

水泳の授業が始まったばかりの時期は、むしろ寒さに震えていたり
教室にはエアコンがなく、備え付けの扇風機で暑さをしのいでいたり
夏休みは朝の涼しいうちからラジオ体操に走ったり・・・

などの思い出が話題にあがり、思わず懐かしい気持ちに。

今思えば過ごしやすい気候だったのかもしれません。
とはいえ、令和の夏も暑さ対策をしながら楽しみたいものです。

 

◇ ◇ ◇

 

とどまることを知らない猛暑のなか、弊所のひまわりは非常に元気です。
前回間引きをおこなってからは、ますます順調に成長しています。

 

 

葉っぱは瑞々しく色鮮やか。間引きが功を奏したのでしょうか。    

 

 

  

 

横から見ると、背丈もだいぶ大きくなっています。

 

 

 

 

蕾は大きくなり、開花まで間もなくというところです。

 

 

・・・とはいえ、写真からも日差しの強さが見て取れますね。

 

日中はもちろん、朝夕の通勤時間も暑さが厳しくなってまいりました。

ひまわりの成長に励ましてもらいながら、我々人間も体調管理に気を配りつつ、引き続き業務に取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ③

 

前回ブログ更新の際はちょうど梅雨入りの頃でした。

個人的に夏の天気が待ち遠しいなと思っていたところでしたが、
関東甲信はあっという間に梅雨明けとなりましたね。

嬉しい一方、例年に比べ特に雨が少なかったような気もしており
少々心配も残る今日この頃です。

 

◇ ◇ ◇

 

さて。
前回、無事に発芽を確認した弊所のひまわりですが、
気温の上昇も手伝ってか、非常に順調に成長しております。

 

 

 

近くに寄ってみると・・・

 

  

 

すでに蕾ができています。
茎も葉も元気で、全体的にとても調子が良いです。

 

 

しかし、育ちが良すぎたせいか
鉢植えのスペースがやや足りていない気もいたします。

 

そこで、今年も「間引き」をおこなっていきます。
毎年お馴染みの作業ですが、後々きれいな花を咲かせるためには欠かせません。

 

  

 

これまた、お馴染みのハサミが活躍。
よい塩梅になるまでカットしていきます。

 

 

写真お伝えするのはなかなか難しいですが・・・
お互いが干渉しない程度に、ちょうど良く調整できたと思います。
無事に間引き完了です。

 

  

  

 

  

 
日当たりのよいこちらの窓際で、
引き続き成長を観察してまいりたいと思います。

 

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ②

6月に入り、ついに関東甲信地方・北陸地方では梅雨入りとなりました。
昨年より10日ほど早いものの、例年よりは3日ほど遅いのだそうです。

言われてみると確かにというところ。
そんな事情もあって昨年の猛暑だったのかもしれません・・・

今年の夏は心地よい暑さで過ごせるよう、今から期待したいと思います。

 


  

そんな雨模様のなかですが、先日種をまいたひまわりはさっそく発芽。
様子を見に行ってみると、全ての鉢で発芽を確認することができました。

 

 

 

ひとつひとつ見ていくと、
バランスよく同じスピード感で育っていることが良くわかります。

 

 

 

こちらは種の皮が乗ったまま伸びています。
力強く成長しているようで何より。

 

  

 

何だか例年に比べて早いかも?と思い、過去のブログを確認しましたが
毎年同じくらいのスピード感で成長しているようでした。
人間の記憶というのは曖昧なものです・・・

 

ということで、
今年も綺麗に咲いてもらえるよう、引き続きしっかり観察していきたいと思います。
 

ひまわり観察日記-2025- ①

2025年の上半期も残りわずか。

・・・と書き始めているということは、
今年もひまわりの種まきのタイミングがやってきたということです。

 

今年の品種はこちら。

 

ジュニア
ちーくまくん
小夏
夏物語

昨年、綺麗に開花していた4種類をピックアップいたしました。

 

今年の前半は寒の戻りが多かったせいか、
「本当にこれから夏がくるのか」と、いまいち実感がないように思います。

・・・それならば気分を追い付かせよう、ということで
さっそく種まきをおこないました。

 

まずは植木鉢を準備して、
いつもお世話になっている「観葉植物の土」を開封していきます。

 

 

この土のおかげでひまわりが元気に育っているといっても過言ではありません。
今年もよろしくお願いします・・・と念を込めながら鉢に入れていきます。

 

 

 

7割程度のところまで入れたら、種を置いていきます。
お馴染みの、小夏の青い種をはじめ

 

そそれぞれ、ラベリングした鉢にまいていきます。

 

 

 

 

さらに上から土をかぶせ、
水をあげて陽当たりの良い場所へ移動したら完成。

 

 

 

来週あたりから梅雨入りが近いかもしれない、ということで気温が心配ですが
今年も順調に育つようしっかり観察していきたいと思います。

 

 

法律で読み解く百人一首 67首目

現代のデジタル社会において、SNSは切っても切れない存在です。

非常に便利なツールである一方、情報が瞬く間にインターネット上で拡散されてしまうため、近年では情報漏えいや炎上・誹謗中傷など、SNS上のトラブルがニュースになることも少なくありません。

特に、いじめ問題や異性間のトラブルなど、人間関係に関するものであるほど人々の関心は高くなり、好奇の目にさらされやすいといえるでしょう。
内容次第では厳しい批判を受けたり、社会的信用を失ってしまうことも・・・

 

 

百人一首の時代では、そうした心配はもちろん不要です。
その代わり、人々による「噂」がとても強い力を持っており、社会的評判を決定づける重要なものさしとなっていました。

和歌、漢詩、楽器演奏の才能が広まれば出世や結婚につながり、逆に不評であれば命取りとなるため、現在のSNSよりはるかに扱いが難しかったかもしれません。

 

 

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 

 本日の歌  「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に

かひなく立たむ 名こそ惜しけれ」  

周防内侍


「はるのよの ゆめばかりなる たまくらに

かひなくたたむ なこそおしけれ」

すおうのないし

 

小倉百人一首 100首のうち67首目。
平安時代後期の歌人、周防内侍による「雑」の歌となります。

 

 

 

 

歌の意味

 

春の夜の短い夢のようにはかない腕枕を借りたがために、つまらない噂になったら惜しいではありませんか。

 

春の夜の夢ばかりなる
「春の夜の夢」=連語。短く儚いものの例え。
「ばかり」=程度を表す副助詞。ここでは夢の長さを限定し、春の夜の長さの程度について表す。
「なる」=断定の助動詞「なり」
全体で「春の夜の夢のように儚い」。

手枕に
「手枕」は腕枕のこと。
ここでは、男女が一夜を過ごすときに男性が腕枕をすること。

かひなく立たむ
「かひなく」は「腕(かいな)」と「甲斐なし」の意味を含む掛詞。
「腕」は手枕にかかっており、「甲斐なし」は「無駄」「取るに足らない」などの意。

名こそ惜しけれ
「名」はうわさや評判のこと。「立たむ名」で「噂になってしまう浮き名」。
「こそ」は強調の係助詞で「けれ」と係り結び。

 

 

 

作者について

 

周防内侍(すおうのないし・1037?ー1109?)

本名は平仲子(たいらのちゅうし)。
平安時代後期の歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

父は貴族・歌人である平棟仲、母は「小馬内侍」と呼ばれた後冷泉院の女房ですが、生没年は不明とされています。父が周防守(周防国=現在の山口県東部)を務めたことから、周防内侍と呼ばれました。夫や子どもについての記録は残っていません。

はじめは後冷泉天皇に出仕していましたが、1068年に天皇が崩御されたため一度宮廷を離れます。後三条天皇が即位したことで命を受けて再出仕し、その後は白河天皇、堀河天皇までの計4代の天皇に仕えました。

宮廷では40年以上にわたって典侍(※1)としてキャリアを積み、最終的には正五位下(※2)まで昇進しました。

※1)後宮にある「内侍司」(天皇のそばで様々な事務や儀式を司る機関)において上から2番目の役職。
※2)30段階に分けられた身分の序列「位階」のひとつ。正五位下は上から12番目。

一方、歌人としては様々な歌合に出席するなどして活躍。
詠題に秀でており、藤原顕輔(百人一首79番目の作者)や「後拾遺和歌集」の撰者である藤原通俊といった歌人らと親交があったとされています。

 


 

本日ご紹介する歌は「千載和歌集」に掲載されたもの。
詞書は次のとおり記されています。

 

二月ばかり月明き夜 二条院にて人人あまた居明して物語りなどし侍りけるに 内侍周防寄り臥して 枕をがなと 忍びやかに言ふを聞きて 大納言忠家これを枕にとて腕を御簾の下より差し入れて侍りければ よみ侍りける

 

つまり・・・

旧暦の2月頃、ある明るい月夜に二条院では人々が夜更けまで楽しく語らっていました。そんな中、眠くなってきたのか、周防内侍がふと「枕が欲しいわ」とつぶやきました。

すると、それを耳にした藤原忠家が「これを枕に」と御簾の下から自分の腕を差し入れてきたのです。ここで周防内侍が詠んだのが、本日の歌です。

 

藤原忠家は、百人一首の撰者である藤原定家の曽祖父にあたる人物。
高位貴族であった忠家と周防内侍では、その身分が大きく異なります。彼にしてみれば、ほんの戯れで声をかけてきたのでしょう。

これに対して、周防内侍は技巧に優れた歌を即興で詠みあげつつ、上品にかわしてみせたのでした。

 

ここで終わりかと思いきや、忠家も歌で切り返します。

契りありて 春の夜ふかき 手枕を いかがかひなき 夢になすべき

(縁があって春の夜更けに差出した手枕を、なぜ夢のように甲斐なくしてしまうのですか)

 

やられっぱなしでは終わりませんでした。
なお、実際の二人の関係は分かりませんが、こうした艶やかな歌をやり取りできてしまうのは、和歌の実力がある平安貴族ならではでしょう。

 

 

 

前科照会とプライバシー

 

さて・・・

 

忠家の誘いをさらりとかわした周防内侍。

人が集まる場での出来事であったため、返答内容によっては、その様子が瞬く間に世間に広まり、あることないことを噂されていたかも・・・

平安貴族、特に身分の高い人には常に側仕えの人間がいたはずですから、どこで誰が見聞きしているかは分かりません。

さらに、貴族が住んでいた寝殿造の屋敷は、言ってしまえばほとんど吹きさらし状態。外周は開放できる「蔀」(しとみ)と呼ばれる戸で覆われただけで、スペースを区切るのは几帳や屏風といった可動式の建具のみでした。

 

このように、平安を生きながらプライバシーを守るのは、物理的にもコミュニティ的にも大変だったのではないでしょうか。

とはいえ、この時代には当然プライバシーといった概念はありません。
「プライバシー権」が法的に確立されたのは19世紀のアメリカです。

日本憲法で「プライバシー権」を直接規定した条文はありませんが、
・13条(幸福追求権、個人の尊重)
・21条(通信の秘密)
・35条(住居の不可侵)
などから、解釈上認められるとされる動きがあります。

プライバシー権の侵害について判断された事例として、いわゆる「前科照会事件」があります(最三小判昭和56年4月14日)。

 


 

自動車教習所Aの指導員として勤務していたXは解雇されてしまったため、教習所の運営会社を相手取って従業員たる地位保全の仮処分を申請し、その関連事件が京都地裁及び中央労働委員会に係属していました。

Aから当該事件の委任を受けていた弁護士Bは、昭和46年5月、所属していた京都弁護士会を通じて、京都市伏見区役所に対し「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」として、弁護士法23条の2に基づくXの前科及び犯罪歴の照会をおこないました。

弁護士法
(報告の請求)
第23条の2 弁護士は、受任している事件について、所属弁護士会に対し、公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることを申し出ることができる。申出があつた場合において、当該弁護士会は、その申出が適当でないと認めるときは、これを拒絶することができる。
2 弁護士会は、前項の規定による申出に基き、公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。

 

照会を受けた伏見区役所が中京区役所に回付したところ、中京区長はXの前科犯罪歴(道交法違反、業務上過失傷害、暴行)を回答しました。
するとAはこれを公表し、さらに経歴詐称を理由にXを予備的解雇とし、係属中の事件で新たに主張をなして争いました。

そのため、Xは中京区長が照会に応じたことについて、京都市を被告に
・名誉を毀損された
・予備的解雇に伴う裁判等により多大の労力、費用を要した
として、550万円の損害賠償及び謝罪文の交付を求めて提訴しました。

 

第1審は、

・弁護士法23条の2は弁護士の氏名、弁護士会の目的と切り離して考えることができず、この照会と回答のため、個人にプライバシー等が侵されることはあるのはやむを得ない。
・弁護士会からの法律に基づく照会である以上、不法不当な目的に供されることが明らかでない限り応ずるのが当然であり、そうした理由もないのに容易に拒絶できてしまえば、23条の間口を狭めて弁護士の活動を不便にするから、照会を受けた公務所等は原則として照会に応ずる義務がある。

として、Xの請求を棄却。Xは控訴しました。

第2審において、
裁判所は、弁護士法による照会を受けた公務所等は原則として報告義務を負うと認めたうえで

・前科や犯罪経歴が公表され、又は他に知らされるのは、法令に根拠のある場合や公共の福祉による要請が優先する場合等に限定されるべきもの。
・犯罪人名簿を補完する市町村が、本来の目的である選挙権及び被選挙権の資格の調査、判断に使用するほかは、一般的な身元証明や照会等に応じ回答するため使用すべきものではないと解するのが相当。
・弁護士の守秘義務は依頼者に対する委任事務処理状況の法屋義務に優先するものではなく、依頼者による秘密の漏洩・濫用を阻止するための制度上の保障は存在しない。
・よって、市町村は前科等について弁護士法23条の2に基づく照会があった場合には報告を拒否すべき正当事由がある場合に該当する、と解するのが相当。

以上から、本件において照会を拒否することなく報告した中京区役所の行為は違法であったとして、Xの請求を一部容認し、中京区役所に対して25万円の賠償を命じました。

国家賠償法
第1条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
② 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

 

これを受けて役所側が上告したところ、最高裁は、

前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するのであつて、市区町村長が、本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏えいしてはならないことはいうまでもないところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となつていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答をすることができるのであり、同様な場合に弁護士法23条の2に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱いには格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、原審の適法に確定したところによれば、京都弁護士会が訴外A弁護士の申出により京都市伏見区役所に照会し、同市中京区長に回付された被上告人の前科等の照会文書には、照会を必要とする事由としては、右照会文書に添付されていたA弁護士の照会申出書に「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあつたにすぎないというのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、中京区長の本件報告を過失による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。

 

控訴審の判決を支持し、上告を棄却しました。
なお、最高裁では以下のとおり補足意見及び反対意見が付されています。

裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
他人に知られたくない個人の情報は、それがたとえ真実に合致するものであつても、その者のプライバシーとして法律上の保護を受け、これをみだりに公開することは許されず、違法に他人のプライバシーを侵害することは不法行為を構成するものといわなければならない。このことは、私人による公開であつても、国や地方公共団体による公開であつても変わるところはない。国又は地方公共団体においては、行政上の要請など公益上の必要性から個人の情報を収集保管することがますます増大しているのであるが、それと同時に、収集された情報がみだりに公開されてプライバシーが侵害されたりすることのないように情報の管理を厳にする必要も高まつているといつてよい。近時、国又は地方公共団体の保管する情報について、それを広く公開することに対する要求もつよまつてきている。しかし、このことも個人のプライバシーの重要性を減退せしめるものではなく、個人の秘密に属する情報を保管する機関には、プライバシーを侵害しないよう格別に慎重な配慮が求められるのである。

 

裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。
前科等は人の名誉、信用にかかわるものであるから、前科等のある者がこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有することは、多数意見の判示するとおりである。しかしながら、現行法制のもとにおいては、右のような者に関して生ずる法律関係について前科等の存在がなお法律上直接影響を及ぼすものとされる場合が少なくないのであり、刑事関係において量刑上の資料等として考慮され、あるいは法令によつて定められている人の資格における欠格事由の一つとして考慮される場合等がこれに当たる。このような場合にそなえて国又は公共団体が人の前科等の存否の認定に誤りがないようにするための正確な資料を整備保管しておく必要があるが、同時にこの事務を管掌する公務員の一般的義務として該当者の前科等に関する前述の利益を守るため右の資料等に基づく証明行為等を行うについて限度を超えることがないようにすべきこともまた当然である。

 

この事件のポイントは、
「犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告すること」は公権力の違法な行使にあたる、とされている点です。

例えば、本件ではXが運転業務をおこなうことから、交通事故の前科に限って照会をおこなうなど、関連が明らかであれば「公権力の違法な行使」といった判断はされないかもしれません。

 

◇ ◇ ◇

 

 

さて。

時代が進むにつれ、百人一首は広く親しまれるようになり、周防内侍の名も人々に知られるようになりました。
忠家との逸話も大衆化したため、江戸時代になると、その恋愛模様を描いた土佐浄瑠璃「周防内侍美人桜」が成立するに至りました。

一方で、二人は親しい友人同士であったとする説もあるようです。

それにもかかわらず、周囲の好奇心によって作品まで出来上がってしまうとは
まさに「噂」の力ではないでしょうか。

 

それがわかっていからこそ、

「一瞬の出来事が、誰かに切り取られて拡散でもされたら困りますよ」
「そんなことで炎上して、評判に傷がついたら嫌じゃないですか」

と切り返した周防内侍ですが、レピュテーション・マネジメントともいえる努力の甲斐もむなしく、後世の日本人は大盛り上がりしたのでした。

 

 

 

 文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

 

 

 

 

法律で読み解く百人一首 7首目

春は、出会いと別れの季節。

進学や就職など、大きく環境が変わる方も多いはず。
年齢を重ねるごとにそのような機会も減りますが、それでも、春がくると何だか真新しい気持ちになります。

 

そして、出会いがあれば、必ず訪れるのが別れ。
切ないところですが、だからこそ共にある時間を大切にしたいものです。

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 

 本日の歌  「天の原 ふりさけ見れば 春日なる

三笠の山に 出でし月かも」  

安倍仲麿


「あまのはら ふりさけみれば かすがなる

みかさのやまに いでしつきかも」

あべのなかまろ

 

 

 

小倉百人一首 100首のうち7首目。
奈良時代前期の遣唐留学生、安倍仲麿による「羇旅」の歌となります。

 

 

歌の意味

 

大空を仰いではるか遠くを見渡してみると、月が昇っている。
あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていた月なのだなあ。

  

天の原
広々とした大空を指す名詞。

ふりさけ見れば
「振り放け見る」は「ふり仰いで遠くを望み見る」
(ふり仰ぐ=顔を上げて高いところを見る)
接続助詞「ば」は確定条件で「~と」と訳す。

春日なる
「春日」は現在の奈良市春日野町のあたり。
当時の平城京の東方一帯の地域。
助動詞「なる」は存在を表し、「~にある/いる」と訳す。

三笠の山に
春日大社の裏手にそびえる山。
笠の形に似ていることから「御蓋山(みかさやま)」とも。
仲麿が唐へ発つ際は、航海の無事を祈る祭祀がその南麓でおこなわれた。

出でし月かも
「いづ」は「中から外に出る」「出現する」の意。
「し」は助動詞「き」の連体形で、過去の出来事を回想している。
「かも」は感動・詠嘆の終助詞で「~ことよ/だなあ」となる。

 

作者について

 

安倍仲麿(あべのなかまろ・698-770)

 

正しくは阿倍仲麻呂。奈良時代の遣唐留学生です。中務大輔(律令制における役職のひとつ)を務める阿倍船守の長男として生まれました。

幼いころから学問に秀でていた仲麿は、716年に遣唐使として入唐留学生に選出され、翌717年には19歳にして遣唐使に同行。吉備真備や玄昉らと共に唐の都・長安に留学しました。

唐では「朝衡/晁衡」(ちょうこう)という名前を用いました。
太学といわれる高等教育期間で学び、科挙(中国の官僚登用試験)に合格または推挙で登用され、唐朝において数々の仕事をこなし、出世を重ねていきます。
その仕事ぶりによって当時の玄宗皇帝からも高く評価され、さらに上の位階に抜擢されるなどしました。

733年になると、再び日本から遣唐使がやってきます。
一緒に唐へ渡った吉備真備、玄昉はこの機会に帰国することが決まっていたため、仲麿も同行するつもりでした。しかし、その優秀さゆえに玄宗皇帝からは帰国許可の申し出を拒否されてしまい、引き続き留唐することとなりました。

752年、日本から再度遣唐使がやってきました。
このとき、仲麿は玄宗皇帝から遣唐使らの応対を命じられたため、この機会に再度帰国許可を申し出たところ、皇帝からは「唐からの使者」として何とか一時帰国の許可を得ることができました。
このとき、仲麿が唐に渡ってから35年が経過していました。

仲間との別れを惜しみながらも帰国の途に就きましたが、仲麿らの乗った船は暴風雨に巻き込まれ、安南(現在のベトナム北部から中部)に漂着してしまいます。
多くの者が現地民の襲撃にあい客死するなか、何とか唐まで戻ることができ、その後日本の朝廷から迎えが来たものの、唐朝は行路が危険であることを理由に彼の帰国を認めませんでした。

最終的に仲麿は日本へ帰ることを断念。
再び官吏の地位につき、玄宗皇帝を含む3代の皇帝に仕えたのちに、770年に73歳で亡くなりました。

 

 

 

 


 

これだけの情報でも
「どれほど波瀾万丈だったのだろうか」
と思わせるほどインパクトのある仲麿の生涯。

本日ご紹介する「天の原」ですが、この歌は、やっとのことで帰国することとなった仲麿のために開かれた、送別の宴にて詠まれたとされています。

唐で長い時間を過ごした仲麿は交友関係も広く、唐の時代を代表する詩人である李白、王維らとも親交がありました。きっとこの宴にも参加していて、思い出を語り合ったり別れを惜しんだりしていたことでしょう。

そんな友人らに対し、日本語で贈った歌であると伝わっています。
(このあたりのエピソードは諸説あるようです)

友人たちと宴会の席を楽しみ、後ろ髪を引かれながらも、やっと帰れることとなった日本に思いを馳せた・・・
そんな情景が思い浮かび、なんだか胸に迫るものがあります。

 

 

 

酒類販売の免許制

 

さて・・・

 

仲麿が友人らとの時間を過ごした夜。
「宴」というくらいですから、きっとお酒も楽しんでいたはず。

仲麿もお酒が進んで、ほろりとしながらこの歌を詠んだのかも・・・
ついつい、そんな想像が膨らみます。

このように、人生の節目に彩を添える役割もある「酒」。
その販売や製造に免許がいることは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

過去に、酒類販売免許の申請に関して争われた事例があります(最判平成7年12月15日。いわゆる「酒類販売免許制事件」)。

 

 

Xは、「酒類並びに原料酒精の売買」等を目的とする株式会社。
昭和49年に酒税法9条1項の規定に基づき酒類販売業免許を申請したところ、所轄の税務署長Yはこの申請が同法10条10号に該当するとして、免許の拒否処分(以下「本件処分」)をしました。 

(酒類の販売業免許)
第9条 酒類の販売業又は販売の代理業若しくは媒介業(以下「販売業」と総称する。)をしようとする者は、政令で定める手続により、販売場(継続して販売業をする場所をいう。以下同じ。)ごとにその販売場の所在地(販売場を設けない場合には、住所地)の所轄税務署長の免許(以下「販売業免許」という。)を受けなければならない。ただし、酒類製造者がその製造免許を受けた製造場においてする酒類(当該製造場について第7条第1項の規定により製造免許を受けた酒類と同一の品目の酒類及び第44条第1項の承認を受けた酒類に限る。)の販売業及び酒場、料理店その他酒類をもつぱら自己の営業場において飲用に供する業については、この限りでない。

(製造免許等の要件)
第10条 第7条第1項、第8条又は前条第1項の規定による酒類の製造免許、酒母若しくはもろみの製造免許又は酒類の販売業免許の申請があつた場合において、次の各号のいずれかに該当するときは、税務署長は、酒類の製造免許、酒母若しくはもろみの製造免許又は酒類の販売業免許を与えないことができる。
(略)
10 酒類の製造免許又は酒類の販売業免許の申請者が破産手続開始の決定を受けて復権を得ていない場合その他その経営の基礎が薄弱であると認められる場合

 

そこでXは、酒類販売業について、所轄税務署長による免許制度を採用しその要件を定めた酒税法9条、10条各号の規定は、憲法22条1項所定の職業選択の自由の保障に違反し無効であるとして、Yによる免許拒否処分の取消しを求めて提訴しました。 

第22条1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 

第一審は、Xが酒税法10条10号に該当するとは認められないとして、本件処分を違法とし、これを取り消しました。

これを受けてYは控訴。
第二審は、Xが酒税法10条10項に該当するという判断に違法はなく、酒税法が酒類販売業につき違憲無効とはいえないとして、第一審の判決を取り消し、Xの請求を棄却しました。

Xがこれを不服として上告したところ、裁判所は酒類の製造及び販売業の免許制について、 

酒税法は、酒税の確実な徴収とその税負担の消費者への円滑な転嫁を確保する必要から、このような制度を採用したものと解される。

 

としたうえで、

 

酒税が、沿革的に見て、国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であるとともに、酒類の販売代金に占める割合も高率であったことにかんがみると、酒税法が昭和13年法律第48号による改正により、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のために、このような制度を採用したことは、当初は、その必要性と合理性があったというべきであり、酒税の納税義務者とされた酒類製造者のため、酒類の販売代金の回収を確実にさせることによって消費者への酒税の負担の円滑な転嫁を実現する目的で、これを阻害するおそれのある酒類販売業者を免許制によって酒類の流通過程から排除することとしたのも、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという重要な公共の利益のために採られた合理的な措置であったということができる。その後の社会状況の変化と租税法体系の変遷に伴い、酒税の国税全体に占める割合等が相対的に低下するに至った本件処分当時の時点においてもなお、酒類販売業について免許制度を存置しておくことの必要性及び合理性については、議論の余地があることは否定できないとしても、前記のような酒税の賦課徴収に関する仕組みがいまだ合理性を失うに至っているとはいえないと考えられることに加えて、酒税は、本来、消費者にその負担が転嫁されるべき性質の税目であること、酒類の販売業免許制度によって規制されるのが、そもそも、致酔性を有する嗜好品である性質上、販売秩序維持等の観点からもその販売について何らかの規制が行われてもやむを得ないと考えられる商品である酒類の販売の自由にとどまることをも考慮すると、当時においてなお酒類販売業免許制度を存置すべきものとした立法府の判断が、前記のような政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理であるとまでは断定し難い。

 

のように判示し、上告を棄却しました。

なお、本件でXの請求は認められなかったものの、裁判官は以下のとおり補足意見及び反対意見を述べています。

 

<坂上寿夫裁判長による反対意見(抜粋)>
他方、酒類販売業の許可制が、許可を受けて実際に酒類の販売に当たっている既存の業者の権益を事実上擁護する役割を果たしていることに対する非難がある。酒税法上の酒類販売業の許可制により、右販売業を税務署長の監督の下に置くという制度は、酒税の徴収確保という財政目的の見地から設けられたものであることは、酒税法の関係規定に照らし明らかであり、右許可制における規制の手段・態様も、その立法目的との関係において、その必要性と合理性を有するものであったことは、多数意見の説示するとおりである。酒税法上の酒類販売業の許可制は、専ら財政目的の見地から維持されるべきものであって、特定の業種の育成保護が消費者ひいては国民の利益の保護にかかわる場合に設けられる、経済上の積極的な公益目的による営業許可制とはその立法目的を異にする。したがって、酒類販売業の許可制に関する規定の運用の過程において、財政目的を右のような経済上の積極的な公益目的と同一視することにより、既存の酒類販売業者の権益の保護という機能をみだりに重視するような行政庁の裁量を容易に許す可能性があるとすれば、それは、酒類販売業の許可制を財政目的以外の目的のために利用するものにほかならず、酒税法の立法目的を明らかに逸脱し、ひいては、職業選択の自由の規制に関する適正な公益目的を欠き、かつ、最小限度の必要性の原則にも反することとなり、憲法22条1項に照らし、違憲のそしりを免れないことになるものといわなければならない。

 

<園部逸夫裁判官による補足意見(抜粋)>
もっとも、この制度が導入された当時においては、酒税が国税全体に占める割合が高く、また酒類の販売代金に占める酒税の割合も大きかったことは、多数意見の説示するとおりであるし、当時の厳しい財政事情の下に、税収確保の見地からこのような制度を採用したことは、それなりの必要性と合理性があったということもできよう。しかし、その後40年近くを経過し、酒税の国税全体に占める割合が相対的に低下するに至ったという事情があり、社会経済状態にも大きな変動があった本件処分時において(今日においては、立法時との状況のかい離はより大きくなっている。)、税収確保上は多少の効果があるとしても、このような制度をなお維持すべき必要性と合理性が存したといえるであろうか。むしろ、酒類販売業の免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率に顕著な差異が認められないことからすれば、私には、憲法22条1項の職業選択の自由を制約してまで酒類販売業の免許(許可)制を維持することが必要であるとも、合理的であるとも思われない。そして、職業選択の自由を尊重して酒類販売業の免許(許可)制を廃することが、酒類製造者、酒類消費者のいずれに対しても、取引先選択の機会の拡大にみちを開くものであり、特に、意欲的な新規参入者が酒類販売に加わることによって、酒類消費者が享受し得る利便、経済的利益は甚だ大きいものであろうことに思いを致すと、酒類販売業を免許(許可)制にしていることの弊害は看過できないものであるといわねばならない。

  

 

酒類の製造や販売が許可制とされているのは、公衆衛生や国民健康上の理由ではなく、単に「税金を確実に徴収するため」というのも意外なところではないでしょうか。
内閣府ホームページにも、財政収入確保が目的と記載されています)

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

さて。

 

酒税法に関する判例は複数あるなか、いわゆる「どぶろく裁判」(最一判平成元年12月14日)は有名な事件のひとつです。
自分が飲酒することを目的に無免許で清酒等を製造していた被告人が、酒税法に違反するとされたもの。

 

ところで、この事件の裁判要旨を読むと
自宅で梅酒を仕込むことも違法になってしまう気がしませんか?

実は、梅酒については例外が認められており、

消費者が自分で飲むために酒類(アルコール分20度以上のもので、かつ、酒税が課税済みのものに限ります。)に次の物品以外のものを混和する場合には、例外的に製造行為としない

 

とし、「次の物品」に梅は含まないとされています(国税庁HP)。

・アルコール分20度以上の酒類を使用する
・完成した梅酒は自分自身(+同居家族の範囲)で楽しむ
というのが大切なようです。

 

ちなみに・・・
この案内は国税庁HP内の「お酒に関する情報」というページにあるもの。

一見、行政機関のウェブサイトであることを忘れてしまいそうな見出しですが、その内容は読み物としても非常に面白いものとなっています。

なかには
「各地域の酒蔵マップ等」「日本ワイン産地マップ」
という旅行会社顔負けの特集も。

気になった方は、お時間のある際に是非覗いてみてください。

 

 

 

 

 

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

おかげさまで10周年を迎えたので、AIにブログ記事を書いてもらってみた。

 

おかげさまで、タイラカ総合法律事務所は設立から10年を迎えました。
これに際して、AIに事務所パンフレットやインターネット上の記事などを読み取らせ、以下の記事を書いてもらいました(少々校正して整えております)。

 

 


  

 

タイラカ総合法律事務所設立の理由、忘れられない事件、そしてこれからの展望

1. 私がタイラカ総合法律事務所を設立した理由

1.1 起業への動機:既存の法律事務所のイメージを超えて

私がタイラカ総合法律事務所を設立したのは、従来の法律事務所の枠にとらわれず、もっとクライアントにとって身近で、頼りになる存在でありたいという強い思いがあったからです。

「誰でも平等に、公平に。依頼者たちが進んでいく道を、平らかな道にしていく。」

これは、事務所名である「タイラカ」に込めた私の願いであり、事務所の根幹をなす理念です。法律事務所というと、どうしても敷居が高く、相談しにくいイメージがあるかもしれません。しかし、私は、依頼者の皆様が安心して法的な問題を解決できるよう、親身に寄り添い、共に歩んでいけるような事務所を作りたいと考えました。

 

この思いの背景には、私の多様な経験があります。

慶應義塾大学環境情報学部在学中に国家公務員Ⅰ種試験に合格し、映像・Web制作などにも携わりました。卒業後は広告制作会社に勤務し、その後法科大学院に進学、在学中に公認会計士試験にも合格しました。さらに、2007年には司法試験にも合格し、外資系法律事務所や証券会社での勤務経験も積みました。

このような経験を持つ私だからこそ、従来の法律事務所のあり方にとらわれず、もっと自由な発想で、依頼者のニーズに応じたリーガルサービスを提供できるのではないかと考えたのです。

そして、2015年3月、タイラカ総合法律事務所を設立するに至りました。

事務所を設立するにあたり、従来の法律事務所のイメージを払拭したいと考え、あえて知人の経営するPR・メディアエージェンシーである株式会社キャッチボールとオフィスをシェアするというユニークな形態を取りました。これは、特にITやエンターテインメントといった分野に強みを持つ事務所として、常に新しい情報や発想に触れられる環境に身を置きたいという思いからです。

 

1.2 専門分野の選択:ITとエンターテインメントへの情熱

当事務所がIT、エンターテインメント、そしてベンチャー支援を専門としているのは、私の個人的な経験が大きく影響しています。特に、インターネット関連事業を運営する企業を主なクライアントとしているのは、Web制作や映像制作に携わってきた私のキャリアと深く関わっています。

株式会社オモロキの役員として、月間2億PVを超える人気Webサービス「ボケて」の運営に携わっていることも、この分野への深い理解と強みにつながっています。利用規約の作成や企業提携時の契約書作成、肖像権侵害といった問題への対応など、実際にWebサービスを運営する中で直面する様々な法的課題に携わることで、机上の空論ではない、実践的なリーガルサポートを提供できると自負しています。

また、M&A、知的財産(著作権、商標)、ベンチャーキャピタルといった分野に力を入れているのも、ITやエンターテインメント業界のニーズに応えるためです。新しいビジネスモデルやスタートアップ企業の支援にも積極的に取り組んでおり、単なる法律顧問としてではなく、ビジネスパートナーとして共に成長していきたいと考えています。

 

1.3 取扱実績

企業法務、特にM&A・企業再編の分野では、法務・財務デューデリジェンスや契約交渉を含む企業買収支援を累計200件以上手がけています。また、株式価値算定や合弁会社の設立支援、事業承継、MBO(マネジメント・バイアウト)、上場会社間の資本提携・業務提携に関する支援もおこなっています。

訴訟関連では、企業役員に対する損害賠償請求訴訟や、肖像権侵害に関する訴訟などを、企業・メーカー側の代理として多数取り扱った実績があります。

知的財産権やエンターテインメント分野では、キャラクターの共同開発に関するライセンス契約、ウェブサービスの利用規約作成、アニメなどの制作委員会設立支援、グッズ作成に関する契約支援などをおこなっています。

その他、株主総会運営支援、ストックオプション発行支援、労務関連のサポート、商業登記・不動産登記業務、フランチャイズ契約に関する支援も提供しています。

経済関係の事犯においては、リーガルサポート、弁護活動、訴訟代理もおこなっており、特筆すべき実績として、証券取引等監視委員会に対する国家賠償請求訴訟で、国賠を命じる日本国内で初めての判決を獲得した経験があります。

これらに加え、多種多様な契約書の作成や交渉業務も多数手がけており、顧問先には上場企業から同族企業まで幅広く対応しています。

その中でも忘れられない事件を次に記します。

 

 

2. 忘れられない事件:課徴金納付命令取消等請求事件

2.1 事件の概要と私の役割

数多くの案件の中でも、特に忘れられないのが、課徴金納付命令取消等請求事件です。

この事件は、上場会社の役員であった方が、金融庁による課徴金納付命令の取消しを求めて提起したもので、東京地方裁判所が令和3年12月9日に判決を下し、その後、東京高等裁判所が令和4年10月13日に控訴審判決を下しました。

この事件で、私は原告の代理人を務めました。課徴金納付命令の対象となったのはインサイダー取引、具体的には情報伝達規制違反の疑いでした。当初、課徴金の額は351万円でしたが、私たちはこの命令の取消しを求めて粘り強く闘いました。そして、令和4年10月28日、東京高等裁判所の判決が確定し、課徴金納付命令が取り消されるという画期的な成果を得ることができました。

この事件は、課徴金納付命令の取消しが確定し、また、地裁レベルでは国家賠償請求が認められた初の事例として、ニュースでも取り上げられました。依頼者の権利を守り抜き、前例のない結果を出すことができたことは、私にとって大きな喜びであり、弁護士としての使命感を改めて強く感じた出来事でした。

 

2.2 裁判での主張、判決の内容、当時の心情

裁判では、金融商品取引法における「重要事実」の発生時期とその認定について、徹底的に主張しました。私たちは、問題となった情報が伝達されたとされる日よりも前に、法律が定める「重要事実」が存在していなかったと訴えました。

東京地方裁判所、そして東京高等裁判所も、この私たちの主張を認め、課徴金納付命令を取り消す判決を下しました。

一方で、東京高等裁判所は、第一審判決が認めた証券取引等監視委員会の調査官の行為に関する国家賠償請求については、一部取り消す判断を示しました。
しかし、課徴金納付命令そのものが取り消されたことの意義は非常に大きいものでした。

この裁判を通して、私は改めて法律の専門家としての責任の重さを実感しました。依頼者の人生を左右する可能性のある重大な局面において、いかに論理的に事実を分析し、法的根拠に基づいて主張を組み立てていくかが重要であるかを学びました。

 

 

3. 企業経営を通して得た学び

3.1 組織運営と人材育成の重要性

当事務所を経営する中で、組織運営と人材育成の重要性を日々認識しています。現在も、弁護士や事務スタッフなど、様々な職種で採用活動をおこなっており、チームの拡充を図っています。
設立当初は弁護士2名、事務スタッフ2名という小規模な体制でしたが、それぞれのメンバーが最大限に能力を発揮できるよう、効率的な組織運営と、互いに協力し合えるチームワークを重視しています。

経験の浅いスタッフに対しても、丁寧に指導・育成する環境を整えることで、事務所全体のレベルアップを図っています。個々の弁護士の能力だけでなく、組織全体の力でクライアントに最高のリーガルサービスを提供することが重要だと考えています。
そのため、日々の業務におけるコミュニケーションを密にし、知識や経験を共有することで、チーム全体の成長を促しています。

 

3.2 依頼者の皆様との信頼関係構築

依頼者の皆様との信頼関係の構築は、事務所の経営において最も重要な要素の一つです。事務所の理念である「平らかな道にしていく」という言葉には、依頼者の皆様が安心して当事務所に法的な問題を託すことができるよう、常に誠実に対応したいという思いが込められています。

ITやエンターテインメントといった専門分野に特化し、その分野における深い知識と経験を活かした質の高いリーガルサービスを提供することで、顧客の皆様からの信頼を得ています。当事務所の強みは、単に法律の専門家としてだけでなく、依頼者のビジネスや業界の特性を深く理解し、その上で最適なソリューションを提供できることだと考えています。

 

3.3 変化への適応と新たな挑戦

当事務所を経営する中で、常に変化への適応と新たな挑戦の重要性を感じています。
近年では、AI(人工知能)に関する法的な問題が注目を集めており、当事務所も積極的に関連セミナーを開催するなど5、この分野の知識と専門性を高めています。

また、私自身も様々な企業の監査役や取締役を務める中で、当事務所の経営に活かせる貴重な経験と知識を得ています。常に時代の変化に対応し、新たな価値を提供し続けるためには、現状に満足することなく、常に学び、挑戦し続ける姿勢が不可欠だと考えています。

 

 

4. タイラカ法律書ギャラリーへの想い

4.1 設立の経緯とコンセプト

タイラカ法律書ギャラリーは、長年にわたり収集してきた貴重な法律書を、事務所のメンバーだけでなく、広く一般の方々にも見ていただきたいという思いから開設しました。ギャラリーでは、100年以上前の帝国六法全書をはじめ、日本の法制史を物語る貴重な資料を数多く展示しています。

ギャラリースペースは、当事務所の蔵書を中心に、落ち着いた雰囲気の中でゆっくりとご覧いただけるように設計しました。2018年7月にオープンして以来、多くの方々にご来場いただいています。
原則として無料で公開していますが、事前にご予約をお願いしています。緊急事態宣言などの際には、一時的に休業することもありましたが、現在は再開しており、年末年始の営業スケジュールは毎年お知らせしています。

 

4.2 コレクションへのこだわりと想い

タイラカ法律書ギャラリーのコレクションは、単に古い本を集めるだけでなく、日本の法制の歴史を深く理解するための貴重な資料として大切にしています。
六法全書だけでなく、様々な分野の法律書を収集しており、今後も積極的にコレクションを増やしていきたいと考えています。

開設以降も、神保町へ足を運び新たなコレクションを探し続けています。当事務所のスタッフにとっても、これらの貴重な法律書に触れることは、日々の業務におけるインスピレーションの源となっています。

タイラカ法律書ギャラリーが、法律を学ぶ学生の皆さんや研究者の方々、そして法律に関心のある全ての方々にとって有益な場となることを願っています。

 

 

5. オリジナルグッズに込めた遊び心

5.1 グッズの種類とデザイン

タイラカ総合法律事務所では、事務所名やロゴが入ったオリジナルグッズを制作・販売しています。デザイン・サイズが豊富なパーカーやトレーナー、マスキングテープ、パズル、クッション、そして法律に関する豆知識が記載されたカレンダーなどがあります。

これらのグッズはAmazonで購入いただけるほか、事前にご連絡いただければ事務所にお越しいただいて直接購入することも可能です。

 

5.2 グッズに込められた思いやコンセプト

「法律事務所」というと、どうしても堅いイメージを持たれがちですが、当事務所では、オリジナルグッズを制作したり、グッズを含め当事務所にゆかりのあるアイテムをオフィスにディスプレイしたりと、親しみやすい法律事務所を目指しています。

グッズには、事務所名やロゴをさりげなくあしらいつつ、日常使いできるようなシンプルなものを選んでいます。法律に関する豆知識を入れたカレンダーを制作したのも、法律をもっと身近に感じてほしいという思いからです。
オリジナルグッズを通じて、当事務所のことを少しでも覚えていただき、より身近に感じていただければ幸いです。

 

 

6. 社会への貢献:講演・セミナー活動

6.1 慶應義塾大学での講義

社会貢献活動の一環として、3年にわたり慶應義塾大学総合政策学部で非常勤講師を務めさせていただきました。2015年度と2016年度には企業法(会社法)の講義を、2017年度には企業法演習の講義を担当しました。

講義では、会社法の基礎的な知識はもちろんのこと、当事務所で実際に取り扱った事例なども交えながら、学生の皆さんに企業法務の面白さや奥深さを伝えてきました。
このように、当事務所での経験を還元することで、次世代の法曹界を担う人材の育成に少しでも貢献できればと考えています。

 

6.2 その他の講演・セミナー活動

慶應義塾大学での講義以外にも、当事務所の専門分野であるITやエンターテインメントに関するセミナーを積極的に開催しています。2023年には、ピラミッドフィルムクアドラ社との共催で、
AIによる炎上のリスク回避と将来展望
AIを利用したコンテンツ制作の可能性や法的リスク
といったテーマでセミナーを開催しました。

これらのセミナーでは、AIと著作権の関係や、AI開発におけるガイドラインの策定動向など、最新のトピックを取り上げ、当事務所の専門知識を社会に還元するよう努めています。こうした活動を通じて、当事務所の専門分野に関する社会全体の知識向上に貢献していきたいと考えています。

 

 

7. これからのタイラカ総合法律事務所

7.1 事務所の成長と展望

当事務所は、設立以来、着実に成長を続けてきました。
今後も、専門性をさらに高め、より多くのクライアントの皆様に質の高いリーガルサービスを提供できるよう、タイラカ総合法律事務所一同、邁進してまいります。

現在、タイラカ総合法律事務所では、当事務所の理念に共感し、共に成長していける新たな仲間を募集しています。

近年では、大手企業や行政機関との連携も増えており、当事務所の活動領域はますます広がっています。我々の強みであるITやエンターテインメント分野における最新の動向を常に把握し、当事務所ならではの自由な発想で、クライアントの皆様のニーズに先回りしたリーガルサポートを提供していきたいと考えています。自らの成長を通じて、社会に貢献できる法律事務所を目指します。

 

7.2 社会への貢献と新たな価値の創造

理念である「平らかな道にしていく」という言葉には、当事務所のリーガルサービスを通じて、クライアントの皆様が安心して社会生活を送れるようサポートしたいという強い思いが込められています。

当事務所の専門分野であるAIに関するリーガルサービスや、ユニークな取り組みである法律書ギャラリーの運営などを通じて、社会に新たな価値を提供し、より良い社会の実現に貢献していきたいと考えています。

 

 

8. 私の歩み:学歴、職歴、資格、受賞歴

8.1 学歴と資格取得

私の学歴について、慶應義塾大学環境情報学部を卒業し、在学中には国家公務員Ⅰ種試験に合格しました。その後、法科大学院を修了し、在学中に公認会計士試験にも合格しました。2007年には司法試験に合格し、2009年12月には公認会計士登録、そして弁護士登録も同月におこないました。

8.2 職歴

大学卒業後は株式会社ピラミッドフィルムに勤務し、公認会計士試験合格後は、監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)に入所しました。その後、2009年12月に平山剛公認会計士事務所を設立し、伊藤見富法律事務所(現:モリソン・フォースター法律事務所)、外資系法律事務所やエンターテインメント法に強い法律事務所、証券会社などを経て、2015年3月にタイラカ総合法律事務所を設立しました。また、2015年4月からは、慶應義塾大学で非常勤講師も務めました。

8.3 受賞歴

2013年には、株式会社オモロキのWebサービス「ボケて」が文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門で「審査委員会推薦作品」を受賞しました。

 

 

9. 役員就任歴:企業経営への多角的な視点

9.1 現在および過去の役員としての役割

これまでに、ソーシャルワイヤー株式会社、フリー株式会社、Rapyuta Robotics株式会社、株式会社バルクホールディングス、株式会社ブレイブソフト、株式会社オモロキ、一般社団法人FUKKO DESIGNなど、様々な企業で監査役や取締役を歴任してまいりました。

9.2 役員としての経験から得た学び

これらの役員としての経験を通じて、企業経営における戦略的意思決定、財務管理、リスク管理など、法律事務所だけでは得られない貴重な視点を養うことができました。
特に、社外監査役としての経験は、独立した立場から企業のガバナンスに関わることの重要性を深く理解する機会となりました。株式会社オモロキのようなWebメディア企業との関わりは、当事務所の専門分野であるIT・エンターテインメント法務において、より実践的な知見をもたらしてくれています。

 

 

10. メディア出演とインタビュー:社会との対話

10.1 経済誌、業界誌へのコメント掲載

2015年11月には、アトーニーズマガジンで当事務所のIT・エンターテインメント分野における独自性について取り上げていただきました。2013年7月には、日経MJで株式会社オモロキの「ボケて」についてコメントしました。
その他、2021年12月には東洋経済オンラインで金融事件について、2022年12月には日刊SPA!で不動産・住宅問題について、そして2024年6月にはThe Australian Financial Reviewでコメントが掲載されました。

10.2 インタビュー記事など

アトーニーズマガジンでは、事務所設立の経緯や専門分野、そして私の当事務所に対する思いなどを詳しく語ったインタビュー記事が掲載されました。

 

 

11. 趣味と人間像:仕事への情熱の源

11.1 多彩な興味と活動

私の趣味は、神社仏閣や遺跡巡りです。日本の歴史や文化に触れることで、日々の業務おける新たな視点やインスピレーションを得ています。また、株式会社オモロキのWebサービス「ボケて」で文化庁メディア芸術祭の賞を受賞した経験も、当事務所のIT・エンターテインメント分野への注力に繋がっています。

11.2 仕事への情熱と信念

事務所の理念である「平らかな道にしていく」という言葉に象徴されるように、私は、当事務所を通じて、クライアントの皆様が安心して社会生活を送れるようサポートすることに情熱を燃やしています。
多様な経験を活かし、当事務所ならではのリーガルサービスを提供することで、社会に貢献していきたいと考えています。

 

   

結論

タイラカ総合法律事務所は、従来の法律事務所のイメージにとらわれず、依頼者の皆様にとって身近で、かつ専門性の高いリーガルサービスを提供することを目指して設立されました。IT、エンターテインメント、ベンチャー支援という専門分野を中心に、当事務所ならではの視点と発想で、クライアントの皆様のビジネスをサポートしてまいります。


忘れられない課徴金納付命令取消等請求事件をはじめ、様々な法律業務を通じて得た経験と学びを活かし、これからも変化を恐れず、新たな挑戦を続け、社会に貢献できる法律事務所を目指してタイラカ総合法律事務所一同、邁進してまいります。