2026年 新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

新年のご挨拶をしたということは。
毎年恒例の初詣に行ってまいりました。

 

 

 

今年も変わらずお天気に恵まれました。
少しわかりづらいですが、神社のむこうからも陽が差しています。

 

 

年末年始はお天気のことが多いと思い調べてみると、
(予測で似たキーワードがたくさん出てきました。やはりみなさん気になるのですね)

冬特有の「西高東低」という気圧配置が続くことで、
・大陸から吹く風が日本海で水分を含み、日本海側で雨や雪を降らせる
・そうした乾いた風が山を越えて太平洋側に吹き、雲ができにくくなるため快晴になる
という状態になるためだそうです。

お正月が晴れだと思っていたのは太平洋側に住んでいるからで、
日本海側の方にとっては雪景色のイメージなのですね。

ときには違うお天気の地域で年末年始を過ごしてみるのも良さそうです。

 

 

閑話休題。

愛宕神社といえば、今年も出世の階段が待ち構えています。

 

 

凛とたたずむ狛犬にも力を分けてもらい…
(トレーニング禁止の看板も健在です)

 

  

 

 

顔面に迫る86段をのぼりきれば…

 

 

   

本殿の前まで到着しました。

 

 

 

上から階段を見下ろしてみると、こんな感じです。

標高は26メートル。
写真だけでもその高さが伝わるのではないでしょうか。

それもそのはず。23区内の自然の地形としては一番高く、江戸の頃にはその街並みや東京湾を一望できたのだそうです。

 

タイミングが良かったのか列に並ぶこともなく、無事お参りすることができました。一方で、御祈祷を待つ近隣企業の方で賑わっており、みなさん仕事始めなんだなとフレッシュな気持ちにもなりました。

帰りもお馴染みの坂を下りて、無事に初詣が終了いたしました。

 

  

 

 

 

さて。
2026年が「丙午(ひのえうま)」の年だというのは、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

普段何となく使っている「十二支」ですが、実は
・10種類のエネルギーを表す「十干(じっかん)」
・12種類の時間を表す「十二支」
を組み合わせた、「六十干支(ろくじっかんし)」(60年で一周するサイクル)というものがあります。

そして「十干」や「干支」には、その基となった「五行説」があり、これは古代中国で生まれた「この世のあらゆるものは、木・火・土・金・水の5つの要素でできている」という哲学・思想のことです。
これにより、十干(甲乙丙丁…)も干支(子丑寅卯…)も、木・火・土・金・水いずれかの性質をもっています。

これらを組み合わせた60通りのうち、今年の「丙午(ひのえうま)」は
・いずれも「火」の性質をもつ
・特に「丙」は、陰陽のうち「陽」の火
であるため、非常にパワフルなエネルギーが巡る年とされているのです。
(参照:国会国立図書館「日本の暦」等)

 

うまくいく年になるよう、また活気あふれる年になるよう、
業務もブログ執筆も一生懸命努めてまいりたいと思います。

今年もタイラカ総合法律事務所ならびに当ブログをよろしくお願いいたします。

法律で読み解く百人一首 80首目

百人一首の成立は鎌倉時代初期といわれています。

しかし、最も多く収録されているのは400年におよぶ平安時代の歌。
そのためか、「百人一首」といえば何となく「平安時代」がイメージされ、「平安装束を身にまとった髪の長い女性の姿」が描かれた絵札を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

当時は「垂髪(すいはつ)」「大垂髪(おすべらかし)」と呼ばれる超ロングヘアが主流で、艶やかな長い髪は美人の証とされていました。
様々な題材を取り扱う百人一首のなかにも、この「髪」について詠まれた歌があります。

 

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 本日の歌  「ながからむ 心も知らず 黒髪の

乱れて今朝は ものをこそ思へ」  

待賢門院堀河


「ながからむ こころもしらず くろかみの

みだれてけさは ものをこそおもへ」

たいけんもんいんのほりかわ

 

小倉百人一首 100首のうち80首目。
平安時代後期の歌人、待賢門院堀河による「恋」の歌となります。

 

 

 

 

 

 

歌の意味

 

私に対するお心が末永く続くかもわかりません。お逢いしてお別れした今朝は、この黒髪のように心も乱れ、物思いにふけってしまうのです。

 

ながからむ
黒髪の縁語である「長し」の未然形に、推量の助動詞「む」。
「ながからむ心」で「末永く変わらない心」を意味し、ここでは相手の男性の気持ちのこと。

心もしらず
「しる」の未然形で連語。
相手の心が「わからない」「はかり知れない」という意味になる。

黒髪の
格助詞「の」は、「~のように」の意。

乱れて今朝は
「乱れ」は「髪」の縁語。
ここでの「今朝」は後朝のこと。

ものをこそ思へ
「こそ」は強意の係助詞。
係り結びであるため、文末の「思へ」は已然形。
「ものを思ふ」は、恋をして物思いにふけること。

 

 

作者について

 

待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ・生没年不詳)

 

平安時代後期の歌人で、女房三十六歌仙及び中古六歌仙の一人です。
父は公卿・歌人の源顕仲で、朝廷の祭祀を司る神祇官をつとめていました。

はじめは白河天皇の皇女である令子内親王に仕えており、その頃の呼び名は「六条」。やがて鳥羽天皇の中宮・崇徳天皇の母である待賢門院璋子(藤原璋子)の女房として出仕するようになり、「待賢門院堀河(堀川)」と呼ばれました。

その後、白河法皇(璋子の養父)の崩御や崇徳天皇の退位に伴って、主人である璋子の立場は弱まっていき、最終的には仏門に入られたため、堀河自身も従って出家し、余生を共に過ごしたと言われています。

なお、堀河自身の私生活に関して詳細はわかっていません。
ですが、家集「待賢門院堀河集」に夫との死別を嘆く歌、自分の子供を思う歌などが残されていることから、少なくとも一度は結婚していたと考えられています。

 


 

歌人としては、上記家集のほか「金葉和歌集」以降の勅撰和歌集に60首を超える歌が入集するなどしており、院政時代の代表的女流歌人であるといえます。

実は、本日の歌「ながからむ」も題詠されたものです。
崇徳院が主催した「久安百首」(テーマ別に歌を詠み計百首にするもの)の一首で、「後朝の歌への返歌」という題で詠まれました。

男女の恋愛模様を、女性の「髪」を用いて艶やかに表現した堀河。
この歌を詠んだ頃、堀河はすでに出家しており、長い髪は既に切り落とした後でした(※)。俗世を離れた身でありながら、また題詠でありながら、
「別れを惜しみながらも恋人を見送った堀河が、今まさに筆をとった」
そんな臨場感のある歌を詠みあげています。

※既述のとおり、平安時代の女性にとって長い髪は非常に大切でした。そのため、出家して尼になる際も剃髪せず、肩のあたりで切りそろえる「尼削ぎ」(現在のセミロングほど)にしていました。

 

 

 

 

善意の第三者と登記

 

さて・・・

 

主人・璋子の落飾(※)に従い、共に仏門に入った堀河。
平安時代に高い身分の人が出家する際は、「俗世から離れたい」「貴族としての社会的役割を手放したい」といった思いや、置かれた立場上出家を免れることができないなど、信仰心以外の理由が存在するケースも多くありました。

※主に高貴な女性が出家する際に使用された言葉

特に女性の場合は、「美の象徴」とされていた髪を切り落とすことで人生をまっさらに戻して生きていく意思を示す 、といった手段のひとつだったかもしれません。

 

時代の移り変わりを経て「髪」に対する意識も変わり、現在は個性やファッションの一部として楽しむものという感覚が強いでしょう。 

そんな「髪」に関連して、ヘアドネーションをご存知でしょうか。
様々な理由で頭髪に悩みがある子どものため、寄付された髪の毛でウィッグを作り、無償で提供するという活動です。アメリカで発祥し、2000年代に入ってからは日本でも複数の団体が活動をおこなっています。

ニュースなどで報じられたことで近年ではより認知度が高まり、年齢・性別問わず寄付する方が増えているという印象があります。

このように社会貢献を目指す活動は、効率や利益を追求するビジネスに対して、様々な面で勝手が異なってくることと思います。
ヘアドネーションもそのひとつでしょう。「無償で届けたい」という想いと、制作にかかる現実的なコストの狭間で、慎重に運営されている活動であるからこそ、人の想い、つまり「善意」によって成り立っていると言えるのではないでしょうか。

 

  

ところで、この「善意」という言葉。

日常的には「他人のためを思う親切心」(コトバンクより)など、ポジティブな表現に用いられていますが、法律用語としては異なる意味を持ちます。

有名な話ですのでご存知の方も多いかと思いますが、単に事実を示す表現として使われています(当ブログでも過去ご紹介しました)。

善意=ある事実・事情を知らないこと
悪意=ある事実・事情を知っていること

 

民法条文にも登場しており、そのうち「善意の第三者」について判断された事件があります(最一小判昭和49年9月26日)。

 

昭和41年6月、建設会社AはXが所有する土地6筆(以下「本件土地」)を、建売住宅の敷地とする目的で買い受け、そのうち農地(以下「本件農地」)については農地法5条の許可を条件とする所有権移転仮登記を、その他の各土地については所有権移転登記を経ました。その上で、同年7月頃にAは債権者Yに対してこれらの土地を売渡担保として譲渡し、本件農地については仮登記移転の付記登記を、その他の各土地については所有権移転登記をなしました。

A及びX間における売買代金の支払方法については、XはA振出の約束手形を受領し、Aは期日までに手形金を支払うとして売買契約を締結しました。
このとき、Aは会社に支払能力がないにもかかわらず、約束手形金を確実に支払えるかのごとく装い、その旨Xを誤信させたうえで売買契約を成立させました。そして、Aは売買契約のわずか6日後に約束手形の不渡りを出して事実上倒産し、代金の支払いも履行不能となりました。

Xは、上記売買契約はAの代表者による詐欺であるとして、XはAに対して売買契約の意思表示を取り消し、また支払不能を理由に売買契約を解除する旨の意思表示をなし、Yに対して付記登記の抹消を求めました。

 

第1審は、詐欺の成立が認められず、X敗訴。
第2審は、

ところで、詐欺をした者から目的物を善意で転得した者がその所有権取得について対抗要件を備えてい るときは、この者に対して詐欺による取消の結果を対抗しえないが、目的物の所有権を取得せずにその物についての債権を有するだけの場合およびその所有権を取得した場合でも対抗要件を備えないときは、右転得者はいまだ排他的な権利を取得したものではないから、この者に対しては詐欺による取消の結果を対抗しうると解するのが相当である。

 

のように示し、Yは転得当時に善意であったことを認定したうえで

・本件農地を除く各土地は、Xによる取消しの意思表示前にYが所有権を取得(かつ所有権移転登記を経由)しているから取消しを対抗できないが、本件農地については、YはもとよりAもその所有権を取得しているとはいいがたく、単にその移転登記請求権を取得しているにすぎない
・仮に各所有権の移転登記が実現しているとしても、YはA名義の所有権移転仮登記上の権利移転の付記登記を経ているだけであって、所有権取得の対抗要件を備えている者ではないから、Xは詐欺による取消しをYに対抗できる

として、Xの請求を認める判断をしました。 

民法96条 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2 相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知り、又は知ることができたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3 前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

(※当時の条文ではなく、本記事執筆時点の条文を引用しております。)

 

これを受けてYが上告すべきところ、この間すでにYが破産したため、代わりに破産管財人Zが上告。上告理由として、主に以下の3点が主張されました。

①民法96条3項は、詐欺による意思表示の取消権者と両立しない取引関係に立つこととなった第三者との利害の調整について、第三者が善意である限り、その利益を優先させる旨を定めたもの。
②原判決のような見解をとると、取消権者は自ら対抗要件を備えることなくして善意の第三者の対抗要件の不存在を主張しうることになり不当。
③94条2項にいう第三者は対抗要件を備えているものであることを要しないという判例(最判昭和44年5月27日民集23巻998頁)を引用して、96条3項の場合も同様に解すべき。

 

これを受けて最高裁は、 

 

民法96条1項、3項は、詐欺による意思表示をした者に対し、その意思表示の取消権を与えることによつて詐欺被害者の救済をはかるとともに、他方その取消の効果を「善意の第三者」との関係において制限することにより、当該意思表示の有効なことを信頼して新たに利害関係を有するに至つた者の地位を保護しようとする趣旨の規定であるから、右の第三者の範囲は、同条のかような立法趣旨に照らして合理的に画定されるべきであつて、必ずしも、所有権その他の物権の転得者で、かつ、これにつき対抗要件を備えた者に限定しなければならない理由は、見出し難い。 ところで、本件農地については、知事の許可がないかぎり所有権移転の効力を生じないが、さりとて本件売買契約はなんらの効力を有しないものではなく、特段の事情のないかぎり、売主である被上告人は、買主である大起建設のため、知事に対し所定の許可申請手続をなすべき義務を負い、もしその許可があつたときには所有権移転登記手続をなすべき義務を負うに至るのであり、これに対応して、買主は売主に対し、かような条件付の権利を取得し、かつ、この権利を所有権移転請求権保全の仮登記によつて保全できると解すべきことは、当裁判所の判例の趣旨とするところである(略)。そうして、本件売渡担保契約により、被控訴会社は、大起建設が本件農地について取得した右の権利を譲り受け、仮登記移転の附記登記を経由したというのであり、これにつき被上告人が承諾を与えた事実が確定されていない以上は、被控訴会社が被上告人に対し、直接、本件農地の買主としての権利主張をすることは許されないにしても(略)、本件売渡担保契約は当事者間においては有効と解しうるのであつて、これにより、被控訴会社は、もし本件売買契約について農地法五条の許可があり大起建設が本件農地の所有権を取得した場合には、その所有権を正当に転得することのできる地位を得たものということができる。 そうすると、被控訴会社は、以上の意味において、本件売買契約から発生した法律関係について新たに利害関係を有するに至つた者というべきであつて、民法96条3項の第三者にあたると解するのが相当である。

 

以上のように「第三者」の範囲を広く解する判断を示し、Yの敗訴部分を破棄しました(判例タイムズ322号90頁参照)。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

さて・・・

 

堀河の歌に絡めてご紹介した、ヘアドネーション。

日本では主に3つの団体が活動をおこなっており、そのうち、NPO法人JHD&C(通称「ジャーダック」)では、刑務所と共にある取り組みをされているとのこと。

それは、和歌山刑務所内・白百合美容室のボランティア参加です。

同美容室は受刑者の職業訓練を目的に設置されていますが、ここではウィッグの製作過程のひとつである、髪の毛(ドネーションヘア)の仕分け作業に参加しています。
ドナーは髪の毛を寄付する際に、ジャーダックの事務局へ送付するか、白百合美容室へ送付(※)するか、選択することができるのです。

※白百合美容室に直接送付するのではなく、この活動に協力されている社会福祉法人和歌山市社会福祉協議会への送付が求められています。

この活動は、受刑者の方がボランティア参加を通じて社会とのつながりを感じながら、社会復帰を目指す一助を担うための取り組みとしておこなわれているとのことです。

 

思わぬところで、法曹との繋がりを発見することができました。

実は筆者も寄付に参加したことがあり、ちょうど今年が2回目のヘアドネーションでした。そこで、せっかく知ることができたならと思い、白百合美容室での作業用宛先を選択しました(※)。

※送付の際は任意でドナーシート(ドナーの毛髪状態を記入する用紙)を同封しますが、これも白百合美容室専用のものが準備されているため、そちらを利用します。

とはいえ、こちらは髪を送るだけですので
「色々な機会をプラスして使ってもらえて嬉しいなあ」
と思いながら参加したのでした。

 

その他、刑務所における更生プログラムは様々ありますが、当ブログもある一つの取り組みについてご紹介したことがあります。関心のある方は是非ご一読ください。

 

 

  

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

 

 

 

法律で読み解く百人一首 77首目

「呪い」や「祟り」という言葉を聞いたとき、何を想像するでしょうか。

実際に害を受けるものというよりも、映画や漫画、ゲームなどエンタメの題材としての印象が強いかもしれません。

 

平安時代、人々の呪い・祟りに対する認識は全く異なりました。

病気や天災、政変に至るまでその原因は呪いであると本気で信じられており、文学作品にもよく登場する「物の怪」(怨霊、死霊、生霊のこと)は、本気で恐れられていたのです。

 

以下の3名は、実在した歴史上の人物でありながら、「日本三大怨霊」として知られています。
・菅原道真
・平将門
・崇徳院

いずれも政治的な争いに敗れて非業の死を遂げた人物であり、「死後に怨霊となって祟りを起こした」とされたことから、このような呼び名がつけられました。

このうち、菅原道真と平将門は、その死後に起きた災害等を人々が「彼らによる祟りだ」と解釈したものですが、崇徳院は違います。
生前に自ら「災いとなってやる」と宣戦布告しており、亡くなると実際に様々な災厄が起こりました。

そんな話を聞くと、つい荒々しい人物なのではと思い描いてしまいますが、和歌に優れていた崇徳院は、当時の歌壇においては中心人物であり、文化人として確かな実力と影響力を持っていました。
そして、作品がのちの百人一首に選ばれることになったのです。

 

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 

 本日の歌  「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

われても末に あはむとぞ思ふ」  

崇徳院


「せをはやみ いはにせかるる たきがはの

われてもすゑに あはむとぞおもふ」

すとくいん

 

小倉百人一首 100首のうち77首目。
第75代天皇であった崇徳院による「恋」の歌となります。

 

 

 

 

 

歌の意味

 

川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれてもまた1つになるように、愛しいあの人と今は別れていても、いつかはきっと再び逢おうと思っています。

 

瀬をはやみ
「瀬」は川の浅いところ。この「早し」は「速い」「急だ」の意。
「~を」+形容詞の語幹+「み」の形で、「~が(形容詞)なので」という表現になる。つまり、「川の瀬の流れがはやいので」の意。

岩にせかるる滝川の
「塞く(堰く)」は「せきとめる」の意。
「滝川」は激しく流れる川を指す名詞。
ここまでの3句が、次の「われても」を導く序詞(前置き)。

われても末に
「わる」は「分かれる」「離れ離れになる」の意で、水が分かれることと、男女が別れることの2つを意味する。「ても」は逆接の仮定条件で、「たとえ~ても」の意。

あはむとぞ思ふ
「逢ふ」は「出会う」「巡りあう」の意で、水が再び合流することと、男女が再会することの2つを意味する。
係助詞「ぞ」は強調の係り結びで、上の後を強調する。

 

  

作者について

 

崇徳院(すとくいん・1119-1164)

 

平安時代後期に即位した第75代天皇。鳥羽天皇と藤原璋子(待賢門院。百人一首80番目の作者・待賢門院堀河の主人)の第一皇子として生まれ、「顕仁親王」と呼ばれていました。しかし、白河法皇(第72代天皇)との間に生まれた不義の子であるとの疑いがあったため、鳥羽天皇は「叔父子」(※)と呼び、忌み嫌っていたといいます。

※「叔父にあたる子」の意。白河上皇は鳥羽天皇の祖父であったため、その子であるとされた崇徳院が、自分にとっては実は叔父であるということ。

数えで5歳になると、白河法皇の意向により鳥羽天皇から譲位を受けて即位しましたが、その幼さゆえ白河法皇が実権を握る院政が敷かれることになりました。
やがて白河法皇が亡くなると、今度は鳥羽上皇が院政を開始します。1141年になると崇徳院自身も鳥羽上皇から譲位を迫られ、鳥羽上皇の皇子・近衛天皇が即位。数えでわずか3歳の幼帝であったため、鳥羽上皇による院政が続きました。

ところが近衛天皇は17歳で早世。
近衛天皇には子供もいなかったため、崇徳院は「次は当然自分の子が即位するものだ」と考えていましたが、鳥羽上皇は自身の第四皇子(崇徳院の同母弟)・後白河天皇を即位させます。これは、近衛天皇の母である美福門院が「近衛天皇が亡くなったのは崇徳院の呪詛によるものである」と訴えたことによるとも言われています。
こうして弟が天皇の位についたことで、崇徳院は自身が院政を敷く可能性を失ってしまいました。

間もなくして鳥羽上皇が崩御。崇徳院は後白河天皇を排除して自分の皇子を即位させようとしますが、後白河天皇はこれに抵抗。朝廷内は上皇派・天皇派で対立し、また藤原氏・源氏・平氏の一族内の争いも巻き込んだことで、「保元の乱」へ発展しました。

最終的に崇徳院が敗北し、讃岐国(現在の香川県)へ流罪となりました。
このとき、天皇もしくは上皇が流刑に処されるのは実に400年ぶりでした。

その後、崇徳院は京へ戻ることなく45歳で亡くなりました。
(京からの刺客に暗殺されたとの説もあり)

 


 

崇徳院の行く末を大きく変えた保元の乱。
その顛末を描いた「保元物語」(作者不詳の軍記物語)等の書物には、讃岐に流された後の崇徳院についても記述がされています。

流刑前すでに出家していた崇徳院は、讃岐で監視下の生活を送るうち仏教に深く帰依するようになり、3年かけて写経をおこないました。その写本を「騒動を起こした反省の証として京の寺へ納めて欲しい」と朝廷に差し出したところ、後白河天皇は「呪詛が込められているのではないか」といって受け取りを拒絶し、写本を送り返してしまいました。

これに激昂した崇徳院は自らの舌を噛み切り、その血で写本に

日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん

(日本の大魔王となり、天皇をその座から引きずりおろし、民の中から新たな王を生み出してやる)

 

と書き付けたというほか、

・亡くなるまでの間は髪に櫛も入れず爪を伸ばし続け、まるで夜叉のような姿となり、さらに天狗へ姿を変えた
・崇徳院の崩御後、弔いのために柩を運んでいたところ、柩から血が溢れ出てきた

といった逸話が残っています。
(写本自体は存在しており、納経が断られたのは事実だそうです)

 

 

こうした怨霊伝説がより確固たるものになった一因として、崇徳院が亡くなった後に発生した災厄があります。

 

保元の乱の後、崇徳院は罪人として扱われ続け、崩御された際も国司による葬礼のみで朝廷による措置はなされませんでした。
すると都では度重なる飢饉や洪水が発生。1177年になると延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀などが立て続けに起こったことで、社会情勢が不安定になっていきました。さらに後白河天皇や藤原忠通に近い人々が続けて亡くなったことなどから、人々は「崇徳院の怨霊ではないか」と考え始めました。

そして、その魂を慰めるため「崇徳院」という院号が贈られることになったのです。

しかし、その後も崇徳院命日の節目ごとに様々な災いが起きていたことなどから、祟りは幕末の時代になっても信じられていました。
そこで、孝明天皇は崇徳院の御霊を京都に戻して鎮魂する計画を立て、白峯宮(現・白峯神宮)の建設を開始しました。

ところが、間もなく孝明天皇が崩御されたため、明治天皇がその遺志を継ぐことに。1868年、讃岐国白峯陵において勅使が崇徳院の御霊を京都に遷す儀式を行い、白峯宮へ還られたため、それを受けて明治の時代が始まりました。

なお、1879年には淳仁天皇(崇徳院の400年前に淡路へ配流)の神霊も迎えて合祀されています。

 

 

  

因果関係の直接性

 

さて。

 

数奇な運命をたどった末、帰京叶わず崩御した崇徳院。

きっと思い残すことも多かったことでしょう。
人々もそれが分かっていたからこそ、ますます「崇徳院の祟り」であると思う気持ちが強くなったのかもしれません。

崇徳院が
「呪詛で近衛天皇を早死させた」「写本に呪詛を込めた」
と嫌疑をかけられたことで不利な立場に置かれたように、当時「呪術」は人の命を脅かす危険な行為とされ、犯罪行為であると認識されていました。その準備をしただけでも罪となり、標的とした人物が亡くなった際には斬首刑に処されたといいます。

 

一方、現在はどうでしょうか。
例えば、ある人がこっそり「呪いの儀式」とするものをおこなった場合に、遠く離れた場所で標的とされた人物が死傷したとしても、罪に問うことは難しいでしょう。その「儀式」と「死傷」に原因と結果の関係があること、つまり「因果関係」を示す必要があります。

 

「因果関係」は法律において重要な概念のひとつです。
これに関連して、いわゆる「ブルドーザー事件」(最一小判昭和45年7月16日)についてご紹介します。

 

MはY所有のブルドーザーを賃貸借契約により借り受けていたところ、その修理をXに依頼し、両者間で修理請負契約を締結しました。Xは同契約に基づき約51万円相当の修理を完了し、ブルドーザーをMへ引渡しましたが、Mから修理代金の支払いがありませんでした。

ところが、そのわずか2か月後にMは破産。Xは代金の回収不可能となりました。
その後、ブルドーザーは所有者であるYの元に戻り、Yはそのブルドーザーを修理されて価値が上がった状態で他人に売却しました。

そのためXは、
・Yは何もせずに約51万円分の価値増加という利益を得た
・一方、Xは修理代金の支払いを受けることができず、同額の損失を被った
・これは不当利益にあたるため、YはXに対して修理代金相当額を支払うべきである
として、Yを提訴しました。

民法703条(不当利得の返還義務)
法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。

 

 

第1審、第2審はともにXの請求を棄却。
第1審では、Xが修理契約を結んだのはA社であり、XとYの間に直接の契約関係がないことから、Xが修理代金を請求できるのはA社のみである(Yが得た利益は、直接Xから得たものではなく、A社との契約を通じて間接的に得たもの)と整理されました。
第2審もこれを支持し、Xが被った損失(修理の実施)と、Yが得た利得(ブルドーザーの価値増加)との間に、法律上の直接の因果関係は認められない、と判断しました。

 

これを受けてXは上告。

最高裁は、

本件ブルドーザーの修理は、一面において、上告人にこれに要した財産および労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他面において、被上告人に右に相当する利得を生ぜしめたもので、上告人の損失と被上告人の利得との間に直接の因果関係ありとすることができるのであつて、本件において、上告人のした給付(修理)を受領した者が被上告人でなく訴外会社であることは、右の損失および利得の間に直接の因果関係を認めることの妨げとなるものではない。ただ、右の修理は訴外会社の依頼によるものであり、したがつて、上告人は訴外会社に対して修理代金債権を取得するから、右修理により被上告人の受ける利得はいちおう訴外会社の財産に由来することとなり、上告人は被上告人に対し右利得の返還請求権を有しないのを原則とする(自然損耗に対する修理の場合を含めて、その代金を訴外会社において負担する旨の特約があるときは、同会社も被上告人に対して不当利得返還請求権を有しない)が、訴外会社の無資力のため、右修理代金債権の全部または一部が無価値であるときは、その限度において、被上告人の受けた利得は上告人の財産および労務に由来したものということができ、上告人は、右修理(損失)により被上告人の受けた利得を、訴外会社に対する代金債権が無価値である限度において、不当利得として、被上告人に返還を請求することができるものと解するのが相当である

 

として、X主張の事実関係が認められるとすれば、Xの請求を容認すべきであるとの見解を示し、この修理代金債権について、

本件において上告人の訴外会社に対する債権が実質的にいかなる限度で価値を有するか、原審の確定しないところであるので、この点につきさらに審理させるため、本件を原審に差し戻すべきものとする

 

として破棄差戻しとしました。
(最高裁判所から差し戻された後、福岡高等裁判所は、最終的にXの請求を全面的に認める判決を下しました)

 

本件は転用物訴権を承認した判例ですが、その後、実質的に判例変更されることとなりました。

その事件とは・・・

建物の所有者YはAに対してこれを賃借していましたが、その際、Aが権利金を支払わないことの代償として、本件建物の修繕、造作の新設・変更等の工事はすべてAの負担とし、Aは本件建物返還時に金銭的請求を一切しないとの特約を結んでいました。
Aは請負人Xに建物の改修等を依頼し、完了後に建物をXからAへ引渡しましたが、その後Aが行方不明に。Xは代金回収不能の状態に陥ってしまったため、Yに対して不当利得返還請求権に基づき代金相当額の支払いを求めて提訴したというものです(最判平成7年9月19日)。

この判決では転用物訴権の成立範囲がやや制限され、
Yが「対価関係なしに右利益を受けたときに限られるものと解するのが相当である」と判断されました。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

さて。

 

「瀬をはやみ」は、もともと崇徳院が藤原俊成(定家の父)に編纂を命じた「久安百首」が原典で、「恋」の題で詠まれたものだそうです。
情熱的な恋を詠んだ歌ととれる一方、崇徳院の悲劇的な人生そのものを詠んだ「述懐歌」である、とする説も有力です。

述懐歌とは、自分の思いや願望を表現する和歌のこと。

確かに、崇徳院の歩みをたどってみると、政治的な地位、鳥羽上皇との親子関係、叶わない帰京など、様々なものへの願いが込められた歌と読み取らずにはいられません。

 

崇徳院が京都・白峯神宮に祀られているのは前述のとおりですが、同神宮は、蹴鞠の宗家である飛鳥井家の邸跡に創建されています。
鞠の守護神として「精大明神」が祀られていることから、野球・サッカーなど球技を中心とするスポーツの上達を願う人や、また蹴鞠がボールを落とさないものであることから、学力向上や受験合格を祈願する人の参拝が多いのだそうです。

京都の地で鎮魂された今、崇徳院の思いの強さは、こうした努力する人々に良いエネルギーを与えているかもしれませんね。

 

 

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

法律で読み解く百人一首 40首目

新型コロナウイルスの流行が落ち着いてから久しくなりました。

パンデミックにより変化したことのひとつに、
「オンライン化」「リモート化」があるのではないでしょうか。

 

法律事務所として印象的であったのは、民事裁判手続のデジタル化です。
パンデミック前から法改正に向けて進められていたものの、期日のオンライン運用(一部地方裁判所における、ウェブ会議を用いた争点整理手続の運用)が始まったのが、くしくも2020年2月頃でした。

偶然のタイミングではありましたが、大変な状況ながらも事件の進行停止を避けることができた一方、それまでとは勝手も異なるため、裁判所も弁護士も当初は手探りの状態だったのではないかと想像するところです。

 

こうした裁判手続に限らず、人と人が顔をあわせる場面では、無意識のうちに相手の様子や場の雰囲気から感じ取っている情報があるのではないでしょうか。

自分はポーカーフェイスのつもりでも、はたから見れば、想像以上に考えが表情に出てしまっているかもしれません。

 

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 

 本日の歌  「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は

ものや思ふと 人の問ふまで」  

平兼盛


「しのぶれど いろにいでにけり わがこひは

ものやおもふと ひとのとふまで」

たいらのかねもり

 

 

 

 

小倉百人一首 100首のうち40首目。
平安時代前期の貴族・歌人、平兼盛による「恋」の歌となります。

 

 

 

 

歌の意味

 

人に知られまいと心に秘めてきたけれど、とうとう顔色に出てしまっていたようだ。
私の恋は、「何か物思いをしているのですが?」と人が尋ねるほどまでに。

 

 

しのぶれど
ここでの「忍ぶ」は、「人目につかないように隠す、秘密にする」の意。
接続助詞「ど」は逆説確定条件のため、「~けれども」「~のに」と訳す。

色に出でにけり
「色」は顔色、表情、態度の意。
「色に出づ」で「(思っていることが)顔やそぶりに表れる。態度に出る」の意味がある。
「に」は完了の助動詞「ぬ」の活用形で「~てしまった」、
「けり」は詠嘆の助動詞で「~だなあ」と訳す。

わが恋は
係助詞「は」は強調。
この歌は「わが恋」が主語の倒置法になっている。

ものや思ふと
「物思ふ」は物思いにふける、思い悩むの意。
「や」は疑問の係助詞で「~か」となる。「思ふ」に係り結びしている。
ここの「ものや思ふ」は会話文。

人の問ふまで
「まで」は程度を表す副助詞。「~ほどに」「~くらいに」と訳す。
 
 

 

 

作者について

 

平兼盛(たいらのかねもり・不明-991)

  

平安中期の貴族・歌人で、正確な生まれ年はわかっていませんが、光孝天皇(百人一首15番の作者)の玄孫として生まれました。
(「尊卑分脈」に系譜が記載されているものの、矛盾点も指摘されており、ひ孫であった説も提示されているとのこと)

950年に臣籍降下(皇族が姓を与えられて皇室を離れ、臣下の籍に降りること)し、平姓となります。越前国(現在の福井県北東部)、山城国(現在の京都府南部)、駿河国(現在の静岡県中部、北東部)などの地方官を務めました。
官位は、最終的に従五位上にまで至っています。

歌人としては、三十六歌仙の一人に選ばれています。
壬生忠見のエピソードでもご紹介したとおり、960年の天徳内裏歌合では接戦の末に勝利をおさめました。
また、968年の「大嘗会屏風歌」(※)をはじめとする多くの屏風歌を献上したほか、勅撰和歌集に90首近くもの歌が選ばれるなど、「拾遺和歌集」「後拾遺和歌集」における主要歌人の一人とされています。家集に「兼盛集」があります。

※大嘗会屏風歌:「大嘗会」は天皇が即位後初めておこなう新嘗祭のことで、その中の一儀式で用いる屏風をいう。10世紀頃に始り毎回、当時第一流の歌人、画家、書家により新造された。(コトバンク参照)

 

私生活では、天徳内裏歌合のわずか数年前に離婚を経験。
その後、別れた妻は後に役人である赤染時用という男性と再婚しました。そこで生まれたのが、百人一首59番目の作者・赤染衛門です。

「袋草紙」(平安後期の歌人・藤原清輔による歌論書)には、赤染衛門の母親が兼盛の子どもを身ごもった状態で再婚し、赤染衛門を出産したとする記述が残されています。
兼盛も「別れた直後に生まれたならば、自分の子であるに違いない」と、引き取ることを希望して検非違使庁(現在でいう警察のような役所)に訴えましたが、元妻は拒否。
さらには、赤染時用が「兼盛の妻であったころから関係があった」などと主張し(それもいかがなものかと思いますが)、最終的に兼盛には親権が認められませんでした。

 


 

そんな兼盛。
恋愛面ではついていなかったのか、別の女性との逸話も残っています。

平安時代に成立した歌物語「大和物語」は様々な人の歌とエピソードを集められたものですが、その中には兼盛を扱った箇所があります。
歌をやり取りしていた女性に結婚を申し込んだものの、その人には恋人がいて、何も知らない兼盛が引き続きアプローチしたところ、ついには女性が過去に兼盛が贈った歌を返して来たので、そこで振られたことに気づいた・・・

という、何とも残念な内容となっています。

 

 

  

 

夫婦の日常家事代理と表見代理

 

さて・・・

 

離婚した妻との親権争いに敗れてしまった兼盛。
2人が結婚生活を継続していれば、子育ての他にも、様々なことを共に協力して過ごしていたことでしょう。

 

現在の民法は、夫婦が日常生活を送るうえで発生する債務について、夫婦が連帯して責任を負うことを定めています。

民法761条(日常の家事に関する債務の連帯責任)
夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。

 「日常の家事」とはひとことで言っても、夫婦によって生活や事情は異なり、その範囲も変わってくることでしょう。

 

また、民法は本来与えられた権限を超えておこなわれた行為でも、一定の条件を満たす場合には、その行為が有効となることを定めています。

民法110条(権限外の行為の表見代理)
前条第1項本文(※)の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。

※109条1項(代理権授与の表示による表見代理等)の条文は、
「第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

 

この「表見代理」について、761条が定める「日常家事」の範囲を超えた場合にも成立するのかという点が問題になる場合があります。 

これについて、裁判所の判断が示された事例があります(最判昭和44年12月18日)。

 

昭和24年頃、女性Xはとある不動産を売買により取得し(以下「本件不動産」)、同年中にその所有権移転登記を了していました。

やがてAと結婚しましたが、その後Aが経営していた事業は昭和37年3月に倒産。
当時、Yが経営する企業はAに対して800万円以上の債権を有していました。

そこでAは、昭和37年4月に自身をXの代理人であるとして、Yとの間で、本件不動産をYに売り渡す旨の売買契約を締結しました。この際AはXに許諾を得ず、契約書への記名押印など、契約締結の手続も勝手に進めていました。
そして、本件不動産については、同年中に原告・被告間に売買があったことを原因とする所有権移転登記がなされました。

その後の昭和39年6月、XとAは離婚。
XはYに対して本件不動産を売り渡したことはなく、かかる登記申請もおこなっていないため、上記の所有権店登記は無効であるとして、Yに対して抹消登記手続を求めて提訴しました。

 

これに対してYは、

・AはXから代理権を授与されて契約締結した
・仮にこれが認められなくとも、Aは民法761条により日常家事に関してXを代理する権限を有していたから、これを基に民法110条により表見代理が適用される

としたうえで、取引は有効であると主張しました。

1審、2審では、ともにXの請求が認められたため、これに対してYが上告。
裁判所は民法110条の表見代理の成立について、次のとおり判示しました。

民法761条は、「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによつて生じた債務について、連帯してその責に任ずる。」として、その明文上は、単に夫婦の日常の家事に関する法律行為の効果、とくにその責任のみについて規定しているにすぎないけれども、同条は、その実質においては、さらに、右のような効果の生じる前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することをも規定しているものと解するのが相当である。

そして、民法761条にいう日常の家事に関する法律行為とは、個々の夫婦がそれぞれの共同生活を営むうえにおいて通常必要な法律行為を指すものであるから、その具体的な範囲は、個々の夫婦の社会的地位、職業、資産、収入等によつて異なり、また、その夫婦の共同生活の存する地域社会の慣習によつても異なるというべきであるが、他方、問題になる具体的な法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するか否かを決するにあたつては、同条が夫婦の一方と取引関係に立つ第三者の保護を目的とする規定であることに鑑み、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも充分に考慮して判断すべきである。

しかしながら、その反面、夫婦の一方が右のような日常の家事に関する代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合においては、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法110条所定の表見代理の成立を肯定することは、夫婦の財産的独立をそこなうおそれがあつて、相当でないから、夫婦の一方が他の一方に対しその他の何らかの代理権を授与していない以上、当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、民法110条の趣旨を類推適用して、その第三者の保護をはかれば足りるものと解するのが相当である。

 

つまり、日常家事代理権を基礎に広く表見代理を認めるのではなく、「その行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるとき」と、範囲を厳密に限定すると示したのです。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

さて。

兼盛の作風は基本に忠実で、内容も実生活に根ざしたものが多く、生活派(※)の歌人といわれたそうです。

※芸術上の一派。現実の生活を重視し、実生活の体験に基づいた創作をおこなうもの。特に、明治末期から大正時代にかけての近代短歌の一派をいう。(コトバンク参照) 

 

本日の「しのぶれど」は題詠されたもの。

表に出さないようにしていたつもりが、人から「もしかして恋してるのですか?」と聞かれて、自分の気持ちが表情に出てしまっていることに気づく・・・

というように、会話を取り入れた巧みな構成でありながら
現代の私たちも「そういうこともあるよね」と頷いてしまう、とても身近な内容となっているのです。

  

新しい景色を知ることのできる歌が数々ある一方、
時代を超えて共感できる作品に出会えることも、和歌の楽しさかもしれません。

 

 

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

 

 

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ⑥

あっという間にお盆も過ぎ、8月も下旬に入ろうとしています。

 

一般的にお盆は8月とされていますが、地域によっては7月や9月にもなることをご存じですか?

東京、函館、金沢は7月、
一部(沖縄、東京都多摩地区の一部)を除く全国は8月、
とされており、その背景には「改暦」があります。

 

明治より前の日本は旧暦が使用されており、お盆は7月15日であったところ
①改暦によって日付がずれ、同じ時期にあたる現在の8月15日とした(旧盆)
②お盆は7月15日が相応しいとして、現在の7月15日とした(新盆)
との経緯により、大きく二手に分かれることとなりました。

なお、全国的には旧盆(8月)がとられているのには、7月は農作業が忙しいためお盆をおこなうのが難しいから、という説があります。
特に東京は農業との関連が弱く、また改暦をおこなった明治政府のお膝元であることから、新盆(7月)としたと考えられるそうです。

ちなみに・・・筆者の家族はみな東京出身で、幼いころから7月になると家族で迎え火、送り火を焚いた思い出があります。
今回経緯を知って「なるほど」と大きく頷いてしまいました。

こうした地域差が生まれるのも、場所ごとに文化が多様な「日本ならでは」という感じがいたします。

 

◇ ◇ ◇

 

先日一部開花していたひまわりですが、徐々に満開となりました。

 

 

 

 

 

 

タイミングが揃って開花したのは小夏でした。
やはり「王道のひまわり」感があって華やかですね。

 

 

ということで、2025年のひまわりも無事に開花を迎えることができました。

過去のブログ記事でもふれましたが、ひわまりは弁護士バッジ(弁護士記章)のデザインに用いられていることもあり、弁護士事務所には縁のある花なのです。

来年も引き続き観察してまいりたいと思います。

ひまわり観察日記-2025- ⑤

平均気温が過去最高となった7月を終え、8月に入りました。

しかし、毎日口から出るのは「暑い」という言葉ばかり。
朝の天気予報を見ただけで汗をかいてしまいそうです。

 

そんな8月ですが、またの名を「葉月」というのはご存じの方も多いはず。
その由来は諸説ありますが、「木の葉が紅葉して、葉が落ちる月だから」というのが最も有名なようです。

 

・・・なんだかとても「秋」の雰囲気ではありませんか?
昨今の猛暑からすれば、季節外れじゃないかと違和感があるほど。

 

それもそのはず。
この「和風月名」は旧暦(太陰太陽暦)で使われていたもので、現在の太陽暦とはズレがあります。

 

旧暦8月は現在の8月下旬から10月上旬にあたるため、そう考えると非常に季節にマッチしたネーミング、というわけなのです。
8月に「立秋」が置かれているのも納得ですね。

ちなみに、「葉月」は以下の名称から転じたとされる説もあります。

穂張り月(ほはりづき):稲の穂が育ち身が張る様子から
初来月(はつきづき):雁が初めて渡って来るため(雁は春と秋の季語)
南風月(はえづき):台風が来るため「南の風が吹く月」の意
月見月(つきみづき):中国の中秋節の風習が伝来したことから

 

さて、少しは涼しい気分になれましたでしょうか。

 

 

◇ ◇ ◇

 

秋の気分をわずかに先取りしたところで、
弊所のひまわりは徐々に咲きはじめてまいりました。

 

一番乗りは「ジュニア」です。 

 

 

 

ほぼ100%開花のものから、あと一息というものまで。
全体的にちらほら咲き始めています。 

 

 

  

そして別日には、より一層開きが大きくなっていました。 

 

 

他の鉢でも咲き始めています。
こちらは夏物語。若干色味が異なっており、こちらも綺麗ですね。 

 

 

小夏も咲いている箇所を発見。あともう少しというところでしょうか。 

 

 

 

ちなみに・・・
ひまわりは夏の季語のなかでも晩夏に分類されるのだそうです。

ということは、間もなく夏も終わりに近づくのですね。

 

これからお盆を迎え、暑さはまだまだ衰えそうにありませんが、夏らしさを楽しみながら乗り越えたいと思います。

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ④

7月も終盤となり、ますます夏らしさが増してまいりました。

先日友人と
「自分たちが子供の頃の夏はどう過ごしていたか」
という話になりました。

平成1桁の生まれの私たちは、幼いころの

水泳の授業が始まったばかりの時期は、むしろ寒さに震えていたり
教室にはエアコンがなく、備え付けの扇風機で暑さをしのいでいたり
夏休みは朝の涼しいうちからラジオ体操に走ったり・・・

などの思い出が話題にあがり、思わず懐かしい気持ちに。

今思えば過ごしやすい気候だったのかもしれません。
とはいえ、令和の夏も暑さ対策をしながら楽しみたいものです。

 

◇ ◇ ◇

 

とどまることを知らない猛暑のなか、弊所のひまわりは非常に元気です。
前回間引きをおこなってからは、ますます順調に成長しています。

 

 

葉っぱは瑞々しく色鮮やか。間引きが功を奏したのでしょうか。    

 

 

  

 

横から見ると、背丈もだいぶ大きくなっています。

 

 

 

 

蕾は大きくなり、開花まで間もなくというところです。

 

 

・・・とはいえ、写真からも日差しの強さが見て取れますね。

 

日中はもちろん、朝夕の通勤時間も暑さが厳しくなってまいりました。

ひまわりの成長に励ましてもらいながら、我々人間も体調管理に気を配りつつ、引き続き業務に取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ③

 

前回ブログ更新の際はちょうど梅雨入りの頃でした。

個人的に夏の天気が待ち遠しいなと思っていたところでしたが、
関東甲信はあっという間に梅雨明けとなりましたね。

嬉しい一方、例年に比べ特に雨が少なかったような気もしており
少々心配も残る今日この頃です。

 

◇ ◇ ◇

 

さて。
前回、無事に発芽を確認した弊所のひまわりですが、
気温の上昇も手伝ってか、非常に順調に成長しております。

 

 

 

近くに寄ってみると・・・

 

  

 

すでに蕾ができています。
茎も葉も元気で、全体的にとても調子が良いです。

 

 

しかし、育ちが良すぎたせいか
鉢植えのスペースがやや足りていない気もいたします。

 

そこで、今年も「間引き」をおこなっていきます。
毎年お馴染みの作業ですが、後々きれいな花を咲かせるためには欠かせません。

 

  

 

これまた、お馴染みのハサミが活躍。
よい塩梅になるまでカットしていきます。

 

 

写真お伝えするのはなかなか難しいですが・・・
お互いが干渉しない程度に、ちょうど良く調整できたと思います。
無事に間引き完了です。

 

  

  

 

  

 
日当たりのよいこちらの窓際で、
引き続き成長を観察してまいりたいと思います。

 

 

 

 

ひまわり観察日記-2025- ②

6月に入り、ついに関東甲信地方・北陸地方では梅雨入りとなりました。
昨年より10日ほど早いものの、例年よりは3日ほど遅いのだそうです。

言われてみると確かにというところ。
そんな事情もあって昨年の猛暑だったのかもしれません・・・

今年の夏は心地よい暑さで過ごせるよう、今から期待したいと思います。

 


  

そんな雨模様のなかですが、先日種をまいたひまわりはさっそく発芽。
様子を見に行ってみると、全ての鉢で発芽を確認することができました。

 

 

 

ひとつひとつ見ていくと、
バランスよく同じスピード感で育っていることが良くわかります。

 

 

 

こちらは種の皮が乗ったまま伸びています。
力強く成長しているようで何より。

 

  

 

何だか例年に比べて早いかも?と思い、過去のブログを確認しましたが
毎年同じくらいのスピード感で成長しているようでした。
人間の記憶というのは曖昧なものです・・・

 

ということで、
今年も綺麗に咲いてもらえるよう、引き続きしっかり観察していきたいと思います。
 

ひまわり観察日記-2025- ①

2025年の上半期も残りわずか。

・・・と書き始めているということは、
今年もひまわりの種まきのタイミングがやってきたということです。

 

今年の品種はこちら。

 

ジュニア
ちーくまくん
小夏
夏物語

昨年、綺麗に開花していた4種類をピックアップいたしました。

 

今年の前半は寒の戻りが多かったせいか、
「本当にこれから夏がくるのか」と、いまいち実感がないように思います。

・・・それならば気分を追い付かせよう、ということで
さっそく種まきをおこないました。

 

まずは植木鉢を準備して、
いつもお世話になっている「観葉植物の土」を開封していきます。

 

 

この土のおかげでひまわりが元気に育っているといっても過言ではありません。
今年もよろしくお願いします・・・と念を込めながら鉢に入れていきます。

 

 

 

7割程度のところまで入れたら、種を置いていきます。
お馴染みの、小夏の青い種をはじめ

 

そそれぞれ、ラベリングした鉢にまいていきます。

 

 

 

 

さらに上から土をかぶせ、
水をあげて陽当たりの良い場所へ移動したら完成。

 

 

 

来週あたりから梅雨入りが近いかもしれない、ということで気温が心配ですが
今年も順調に育つようしっかり観察していきたいと思います。