2024年 新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今年も早速、愛宕神社へ初詣に行ってまいりました。

 

 

 

今年も変わらずの快晴です。

と書いたところで、昨年の写真など見返しておりましたら
毎年お天気に恵まれているような気がいたします。

日頃のおこないの成果でしょうか、、、?
来年も良いお天気で初詣できるよう、業務に取り組まねばなりません。

  

鳥居をくぐったところで、お馴染みの狛犬に出迎えられ

 

これまたお馴染みの階段を上っていきます。

 

写真ではなかなか伝わらないかもしれませんが、
実際に上ってみると、ひやっとするくらいには結構急勾配なのです。

 

やや息を切らしながら上り切ったところで、
列に並んで順番を待ちます。

今年は時間をずらしたせいか、そこまで混雑しておらず
比較的スムーズにお参りまで進むことができました。

  

とはいいつつ、近隣企業が御祈祷をされていたり
新年らしい雰囲気につつまれておりました。

 

お参りを終え、事務所に破魔矢などを購入。

一部スタッフは個人的にも初詣ということで、おみくじを。
一人は大吉を引いており、なんとも幸先の良いスタートとなりました。

 

  

ちなみに、愛宕神社では整備のための工事をされていて
池の鯉たちはバカンス中とのことでした。

 

 

  

そして、帰りもお馴染みの階段をくだり帰所いたしました。

 

こちらも快晴時に通ると、とても気持ち良いのです。

晴れやかな気持ちでお参りすることができました。

 

今年も楽しんでいただける記事を作成できるよう、努めてまいります。
タイラカ総合法律事務所ならびに当ブログをよろしくお願いいたします。

ひまわり観察日記-2023- ⑤

引き続き、ひまわり観察日記です。

前回は蕾だった種類も、気付けば次々と開花。
大急ぎでカメラにおさめました。

◇ ◇ ◇

 

前回のミニひまわりに続いて、
「F1モネパレット」「ちーくまくん」が咲きました。

 

昨年の「F1モネパレット」
黄緑のような、おしゃれな雰囲気の色味だったのですが

今年は全く異なる、紅色のような、紫に近いような花が咲きました。

 

なんだか秋の花のような、シックな雰囲気。
この色は初めてでしたので驚きました。

涼しさを先取りということで、
今年の猛暑にはちょうど良かったかもしれません。

 

ちなみに、昨年のような淡い花も咲き始めていたのですが

 

こちらは残念ながら満開に至りませんでした。
来年は鉢を増やしてみようかと考えています。    

  

そして「ちーくまくん」。

こちらはその特徴どおり、丸い花がつきました。
(「八重咲」と呼ぶそうです)

  

 

通常イメージする「ひまわり」とは少しギャップがありますが、
また違う華やかさがあって良いなと思います。

 

そして。今年初めて導入したダイソーの栽培キットですが
途中まで順調に育っていたものの、少し咲いた位のところで成長が止まってしまい
そのままピークが過ぎてしまいました。。。

来年も店頭に並んでいれば、再挑戦したいと思います。

 

◇ ◇ ◇

 

以上、2023年のひまわり観察日記でした。

また来年の夏を楽しみに待ちたいと思います。

ひまわり観察日記-2023- ④

まだまだ暑い日が続いております。

ひまわりのことを考えると、
気温が高いと成長を促す気がして嬉しいような
でもやはり暑くて人間は辛いような、なんとも難しいところです。

(それにしても今年の猛暑は異常ですが。。。)

夏真っ盛りのなか、弊所のひまわりもついに開花が始まりました。

 

◇ ◇ ◇

 

まず最初に咲いたのはミニひまわり2種。
昨年も一番早かったような気がします。

 

 

まだ蕾のものもありましたが、しっかり育っています。
同じ品種・植木鉢でも個体差があるものですね。

 

 

…なんてことを考えて撮影していたところ、週の後半には次々と開花。

 

 

成長速度に驚きです。

やはり季節の植物なんだな、と感心してしまいました。

 

他の種類も順調に蕾が育っていますが
開花までにはもう少し時間がかかりそうです。

  

引き続き、しっかり観察していきたいと思います。

ひまわり観察日記-2023- ③

7月中旬とは思えない猛暑が続いていますね。

日本気象協会の発表によれば
今年の夏は、40~50%の確立で平年より気温が高いのだそうです。
(毎年そんなニュースを聞く気がしますが、、)

ますます熱中症に気をつけなくては、というところですが
弊所のひまわりは、この気温のおかげで急速に成長しています。

 

◇ ◇ ◇

 

発芽のブログ記事を書いてからちょうど1か月程ですが

 

こここまで葉が大きくなりました。隙間なくびっしり。

特にスマイルフラッシュは、蕾もしっかりしてきました。

 

1~2週間もすれば、咲いている姿が見られるかもしれません。

 

また「F1モネパレット」は前回植えた際に茎が柔らかく、
しっかり伸びるか心配でしたが・・・

 

 

今年は早めに添木をした効果があってか、前よりも元気に成長中です。
(ちなみに、咲くとこのような花を見ることができます)

  

そして、ダイソーで購入したキットも大健闘しています。

 

一時は暑さのせいでカラカラになっていたのですが、何とか復活。
どのような雰囲気の花が咲くのか楽しみです。

 

また、例年はこのくらい成長するまでに「間引き」をするのですが
今年は発芽率がやや低く、幸か不幸か、お互いが干渉しない程度のボリューム感。

…ということで、このまま様子をみることにいたしました。

 

◇ ◇ ◇

 

今のところ順調なひまわりの様子をお伝えしました。

連休があるため、その間また暑さに負けないか心配ですが、
引き続きしっかり観察していきたいと思います。

ひまわり観察日記-2023- ②

やっと気温が上がったと思えば、関東も梅雨入りとなりました。
しばらく雨や湿気に悩まされる日々が続きそうです。

 

そんなすっきりしないお天気の中、植木を見に行ってみると・・・

 

 

先日植えたひまわりが、さっそく芽を出していました。

いつもこんなに早かったかな?と、昨年のブログを振り返ってみたのですが
今年の方がさらに早かったような気がします。

色々条件が良かったのでしょうか?
幸先の良いスタートとなりました。

 

 

 

 

ちょっと心配だった栽培キットも、このとおり。 

  

 

レギュラーメンバー?ともいえる「小夏」は1つだけ発芽していました。
あともう一息というところでしょうか。ぜひ頑張ってほしいところ。 

 

  

もう少し成長してきたら、次は「間引き」をおこないます。

数日涼しい日が続きそうですので、
油断せずにしっかり観察していきたいと思います🔍

ひまわり観察日記-2023- ①

2023年もまもなく半分が過ぎようとしています。

気温も上がってきて、何だか既に夏気分…

と、いうことは。
そう。弊所恒例のひまわりの種まきの季節です。

今年も夏に向けてしっかり準備いたしました。

 

◇ ◇ ◇

 

昨年と同じく、複数の品種を種まきしていきます。

 

 

ラインナップは以下のとおりです。

また、一昨年から導入した栽培キットですが
今年はこんなものを発見。

 

なんと、ダイソーの栽培キットです。
今回はこちらを一緒に種まきしていきたいと思います。

 

 

 

では、さっそく土入れから。
このあたりは、例年どおりの作業ですので、サクッとおこなっていきます。

 

 

ある程度土を入れたら種をまき、その上から1センチ程土をかぶせます。

 

 

水をあげたらもう完成。発芽を待つのみです。

 

次に栽培キットを準備していきます。
内容はこのような感じ。

 


 

種、土、ポットが一つのセットになっていて、税込220円でした。

100円ショップでも、植物の「種」は購入できるイメージでしたが
まさかキットまで売っているなんて知りませんでした。
商品の進化にただただびっくりです。

余談ですが、ひまわりの他にもバジルやトマト、ガーデンレタスミックス
さらにパクチー(!)まであるようです。
とってもお手軽なので、個人的に買ってみようかなと検討中です。

 

さっそく、パッケージ裏の説明どおりに進めていきます。

以前使ったキットと同じように、土の入った袋に水を入れてなじませます。
コップ1杯(200ml)と記載がありますが、一度に入れず
様子を見ながら加えていくのが良いかもしれません。

 

 

丁度良い状態になったら、ポットに土を入れていきます。
ちなみに種はこのような感じ。結構大きめです。

 

 

品種は「サンスポット」と記載されており、
調べるとアメリカが原産で、難易度は初心者向けとのこと。

緑黄色の中心部にオレンジがかった花びらがつく種類のようで、
他とミニひまわりとはまた少し違った雰囲気になりそうです。

種を置いたら、上に残りの土をかぶせていきます。

 

 

ちなみにこのポット、底に水はけの穴があいているのですが
受け皿はセットの内容に含まれていません。
特に室内で育てる方は、別途受け皿の準備が必要かと思います。

 

 

あっという間に完成。とても簡単にできました。
付属のポットも何だかいい感じです。

 

 

並べてみると、既に達成感のようなものが…
かなり気が早いですが。

 

今年も綺麗に咲いてもらえるよう、念入りに観察していきたいと思います🌻

 

 

資格試験アラカルト・宅建(5)~登録手続編

宅建ブログ5回目です。
今回は、実際の登録の手続について、共有させていただきます。

 

都道府県への登録申請

 

前回、宅建士として登録するために
「登録実務講習」を受講したことを共有させていただきました。

これで登録に必要な条件がそろいました。
次はいよいよ都道府県への「登録申請」となります。

 

登録申請ですが、
まず、申請先は、試験合格地の都道府県に申請することになります。
私は東京都で受験し合格しましたので、東京都に対して申請をしました。

申請方法は、書類の提出によります。
具体的には、窓口に持参することもできますし、郵送も可能です。
今回は、郵送でおこないました。

提出する書類は、以下のとおりです(かっこ書きは、該当者のみ)。

① 登録申請書
② 誓約書
③ 身分証明書
④ 登記されていないことの証明書
⑤ 住民票
⑥ 合格証書(コピー)
⑦ 顔写真
⑧ 登録資格を証する書面(実務経験を証明する書類/登録実務講習修了証)
(⑨ 従業者証明書(コピー)※現在、宅地建物取引業者に勤務し、宅地建物取引業に従事している方。)
(⑩ 営業に関する法定代理人の許可書等※未成年の方(婚姻したものを除く))
⑪ 返信用封筒
⑫ 運転免許証等顔写真の入った本人確認書類の拡大コピー
⑬ 手数料

持参か郵送かで異なるのは、⑪の返信用封筒だけでした。
また、⑬登録手数料について、
持参の場合、現金37,000円を持参するよう指示があるのに対し、
郵送の場合、書類提出後に都から電話連絡するので、連絡を待って入金するように指示されています。

少し詳しく見ていきましょう。

 

 

登録申請に必要な書類・その役割

 

①登録申請書
②誓約書
これらついては、ホームページ上に様式が準備されていますので、そちらに必要事項を記載します。

 

③身分証明書
こちらは、日常生活における「身分証明書」(例えば運転免許証とかマイナンバーカードなど)のことではなく、本籍地の市区町村で発行してもらう公的な書類になります。
市役所、区役所、町村役場の戸籍課の管轄で、窓口で申請するほか、郵送でも申請が可能です。
手数料は、自治体によって異なるかもしれませんが、例えば弊所が所在する東京都港区では、1通300円となっています。
「成年被後見人及び被保佐人とみなされる者に該当しない旨の証明(禁治産者、準禁治産者ではないと表示されています。)並びに破産者に該当しない旨の証明」をする書類とのことで、私は生まれて初めて発行してもらいました。

 

④登記されていないことの証明書
上記③と似ているのですが、正式名称は「成年被後見人及び被保佐人に該当しない旨の登記事項証明」です。
東京法務局後見登録課、又は全国の法務局・地方法務局(本局)の戸籍課で発行してもらいます。各法務局の窓口で申請するか、又は、郵送の場合は、住所地がどこであっても「東京法務局民事行政部後見登録課」に申請することになります。窓口の場合、支局や出張所では発行できないとのことですので、注意が必要です。
これまた、私は生まれて初めて発行してもらいました。郵送で申請したところ、おおむね1週間弱で届きました。

 


ここで、③④の提出が求められる事由についての豆知識をお伝えします。

従前、改正前宅建業法18条1項2号は、「成年被後見人又は被保佐人」であることを、宅建士の欠格事由としていました。
2019年に、成年被後見人等が不当に差別されることがないよう、「成年被後見人等の権利の制限に係る措置の適正化等を図るための関係法律の整備に関する法律」が制定され、これによって、宅建業法の前記規定は削除され、代わりに、
「心身の故障により宅地建物取引士の事務を適正に行うことができない者として国土交通省令で定めるもの」(改正後宅建業法18条1項12号)
が欠格事項に追加されました。

これを受けた宅建業法施行規則14条の2の2は、
「法第18条第1項第12号の国土交通省令で定める者は、精神の機能の障害により宅地建物取引士の事務を適正に行うに当たつて必要な認知、判断及び意思疎通を適切に行うことができない者とする。」
と定めています。

つまり、成年被後見人・被保佐人を一律に欠格とするのではなく、該当する人の状態を個別的・実質的に審査し、判断することとしたのです。
というわけで、③④が提出できない場合でも、直ちに宅建士として登録ができない、ということにはなりません。

東京都でも、
成年被後見人又は被保佐人に該当し、身分証明書及び登記されていないことの証明書が提出できない場合は、宅地建物取引士の事務を適正に行う能力を有する旨を記載した医師の診断書が必要となりますので、事前に不動産業課免許担当までお問い合わせください。
という取り扱いがなされているようです。
(これも、宅建試験で勉強した事項です。そういえばそうだった、こういうふうにつながっているんだな、と思います。)

 

⑤住民票
ごく一般的なもので、本籍・続柄は不要、マイナンバーが記載されていないものと指定されています。

以上、公的な機関が発行する③④⑤については、発行日から3か月以内のものという限定がされています。
(そのため、登録実務講習の受講など、申請前に必要な手続がある方は、その手続が終わってから書類を集め始めた方が安心かと思います。) 

⑥合格証書(コピー)
コピーに「原本と相違ありません」と自分で原本証明を記載したものです。
こちらも署名のみで、押印は不要でした。

⑦顔写真
一般的な証明写真です。①に貼付します。

⑧登録資格を証する書面
実務経験が2年以上ある方・ない方で提出内容が異なります。
実務経験がある方は、勤務先の宅地建物取引業者が在職期間等を証明した実務経験証明書、従業者名簿のコピー、業務内容証明書等が必要になります。これらの書面は、勤務先代表者が証明する必要があり、勤務先(過去の勤務先含む)との連絡調整が必要です。
実務経験がない方は、前回紹介した「登録実務講習」を修了したことの証明書(講習実施機関が発行)を提出することになります。

⑨従業者証明書
現在、宅地建物取引業者に勤務し、宅地建物取引業に従事している方が提出します。
宅建業法48条1項は、
「宅地建物取引業者は、国土交通省令の定めるところにより、従業者に、その従業者であることを証する証明書を携帯させなければ、その者をその業務に従事させてはならない。」
と規定していて、いわば社員証のようなイメージです。
こちらをコピーして、「原本の内容と相違ありません」と自分で原本証明をします。

⑩営業に関する法定代理人の許可書
未成年の方(婚姻した方を除く)が提出します。
宅地建物業法は、「宅地建物取引業に係る営業に関し成年者と同一の行為能力を有しない未成年者」は宅地建物取引士の登録を受けることができない旨を規定しています(宅建業法18条1項1号)ので、こちらの確認です。

 


 

ここでまたまた豆知識。

「行為能力」とは、契約などの法律行為を「単独で」「確定的に」有効におこなうことができる能力をいいます。

そもそも、法律行為を有効におこなうには、その行為をおこなったら自分の権利や義務がどのようになるかを理解するだけの精神能力(=意思能力といいます)が必要とされているのですが、その行為をした時に自分には意思能力がなかった、と証明するのは難しいですし、相手方にしても、一見しただけではその人に意思能力があるかどうか分からないこともあります(なにせ、内面的な問題ですので)。

そこで、未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人については、一般的に判断力が不十分なものとして、それらの者が法定代理人の同意を得ないで単独でおこなった法律行為は、「その行為をした時に意思能力がなかった」ことを具体的に証明しなくても、原則として事後的に取り消せることとして、その保護が図られています。
このことを、未成年者等は「行為能力が制限されている」といい、未成年者等を「制限行為能力者」といいます。

宅建試験は、日本国内に居住する方であれば、年齢、学歴等に関係なく、誰でも受験できますので、当然、未成年の方が合格することもあり得ます。
しかし、宅建士が締結した契約等について、「実は未成年者がやった行為なので、取り消します」と言われてしまうとしたら、相手方は安心して取引ができません。
そこで、宅建士として登録し、実務に従事するためには、「成年者と同一の行為能力」を有することを条件としているのです。

次に、どうやったら「成年者と同一の行為能力」が認められるかというと、
①法定代理人から営業の許可を得ること
②婚姻すること
以上の2パターンがあります。
(ただし、②については、2022年4月1日施行の民法改正により、成年年齢が18歳に引き下げられたこと、婚姻適齢が男女とも18歳以上となった(従前は、女性は16歳以上とされていた)ことで、未成年者が婚姻することができなくなり、それに伴って「未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。」と規定していた旧民法753条が削除されましたので、今後数年のうちには該当者はいなくなると思われます。)

以上のような理由で、未成年者の方は「営業に関する法定代理人の許可書」を提出する必要があるけれども、婚姻した未成年者の方はこれを提出しなくてよいのです。

具体的な手続のためには、宅建業法の条文だけではなく、民法等の条文(しかも改正過程まで)も広く知っておく必要があるのですね。
「資格試験の勉強」と「実務」の違いを、こんなところでも実感しました。

 


 

残りは以下のとおりとなります。

⑪返信用封筒
A4版が入るサイズに210円切手を貼り、自分の住所を記載した封筒となります。

⑫運転免許証等顔写真の入った本人確認書類の拡大コピー
顔がわかるよう拡大し、余白に、日中連絡が取れる電話番号を記載したものです。

⑬手数料
既述のとおり、先方からの電話連絡を待っての支払いとなりますので、提出時点では不要です。

 

こちら、令和5年2月16日に普通郵便で申請書を郵送したところ、同月21日に申請書類がそろっていることを確認したので、手数料37,000円を「現金書留」で書類と同じ宛先に送るように、と電話連絡がありました。

試験直後の時期などは、込み合っていてもう少し時間がかかるかもしれませんが、案外素早いな、という印象です。

 

それにしても、「現金書留」。
なんというか、オールドファッションですよね。
税金でさえ決済アプリで納付できたりする昨今、クレジットカード払いさえできないというのは、驚きでした。係員の方だって、現金を取り扱うのは気を遣って嫌だろうと思うのですが。
まあ、収入印紙や小為替で、と指定しないだけ手間が少ないのかもしれません。

そして、令和5年3月22日付で東京都知事名の「宅地建物取引士資格登録について」という葉書が自宅に届きました。
登録番号が付されており、これで私も、宅地建物取引士の仲間入りです。

………ところが手続としてはこれで終わりではなく、実務に従事したい場合は、さらに、「取引士証」の交付申請をしなければならないのでした。
なかなか、道のりは長いです。
「取引士証」取得まで進むかどうかは、少し検討しようかと思っています…。

 

◇ ◇ ◇

 

というところで、もし「取引士証」を取得することになったら、次回はその手続についてお伝えしたいと思います。
(合格後1年を経過してしまうと、法定講習を受講しなければいけないようです。その時までに次回記事が投稿されていないようでしたら、今回は見送ったのだな、とご理解ください。)

では。

法律で読み解く百人一首 47首目

「ウィズコロナ」が浸透して、久しくなりました。
この数年で、私たち個人の生活や価値観は、一変してしまったように思います。

しかし、このような変化は、歴史上において幾度と繰り返されてきたとも言えます。

私たちは、想定外の出来事により大きなダメージを受けたとしても、その度に「よりよく生きる」ための道を模索することを繰り返してきたのではないでしょうか。

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 本日の歌  「八重葎(むぐら) しげれる宿の  さびしきに

人こそ見えね  秋は来にけり」  

恵慶法師


「やへむぐら しげれるやどの さびしきに

ひとこそみえね あきはきにけり」

えぎょうほうし

 

小倉百人一首 100首のうち47首目。
平安時代中期の僧で歌人。恵慶法師の歌となります。

 

歌の意味

 

このような、幾重にも雑草の生い茂った宿は荒れて寂しく、人は誰も訪ねてはこないが、ここにも秋だけは訪れるようだ。

 

八重葎
葎(むぐら)=ツル状の雑草の総称。
八重=何重にも

※八重葎は、家が荒れ果てた姿を表すときに象徴的に使われる言葉。

しげれる宿の
宿(やど)=家
「八重葎が茂っている宿」とは、雑草(つる草)が何重にも重なって生い茂っているような、草が深く荒れ果てた家のこと。

人こそ見えね
人=訪ねてくる客
「ね」=打消しの助動詞「ず」の活用形。「こそ~ね」の用法で、逆接の意味を持つ。
「人こそ見えね」=訪ねてくる客は見当たらないけれどの意味。

秋は来にけり
けり=今初めて気付いたことを表す詠嘆の助動詞

 

作者について

 

恵慶法師(えぎょうほうし・生没年不明、10世紀頃)

平安時代中期の日本の僧、歌人で、中古三十六歌仙(※)の一人に数えられています。
出自・経歴は不明ですが、寛和年間 (985~987) を中心に活躍しました。

962年(応和2年)ごろより歌合などで活動し、986年花山院の熊野行幸に供奉したとの記録があり、大中臣能宣(おおなかとみの よしのぶ)・紀時文(きの ときぶみ)・清原元輔(きよはらの もとすけ)など中級の公家歌人と交流していました。

また、播磨の国分寺で経典の講義をする講師をつとめたと伝わっており、国分寺へ下向する際に天台座主尋禅から歌を送られたとのこと。

歌人としては『拾遺和歌集』に初出、家集『恵慶法師集』があります。

※中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)
平安時代末期に藤原範兼(ふじわらののりかね)が『後六々撰(のちのろくろくせん)』に選び載せた和歌の名人36人の総称。三十六歌仙が選ばれた後に称されたもので、三十六歌仙に属されなかったが秀でた歌人とそれ以後の時代の歌人が選ばれています。

 

本日の歌

八重葎(むぐら) しげれる宿の  さびしきに
              人こそ見えね  秋は来にけり

 

この歌の詞書(ことばがき・和歌や俳句のまえがきとして、その作品の動機・主題・成立事情などを記したもの)には

「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々詠み侍りけるに」
とあり、河原院を舞台に詠まれた歌であることが分かります。

 

河原院とは、京都六条にあった源融(みなもとのとおる)の邸宅。現在の鴨川ほとりの五条大橋の近辺にありました。
南は六条大路、北は六条坊門小路、東は東京極大路、西は萬里小路に囲まれた4町(一説には8町とも。※1町は一辺が約100mの正方形と同じ広さ。面積にして約100m×約100m=約10,000㎡)の広大な敷地で、陸奥国・塩竈の風景を模して庭園を作り、尼崎から毎月30石(※1石は約180.39リットル)の海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだといいます。

しかし、恵慶法師の時代には、河原院は荒廃しており、融の曾孫にあたる安法法師(あんぽうほうし)が住んでいました。廃園の風情を楽しむ歌人が集っては、歌を詠んでいたようです。

河原院には融の幽霊が出るということでも有名で、『今昔物語集』などに、以下をはじめいくつかの逸話が載っています。

東国から上京した夫婦が、荒廃した河原院で一夜を明かそうとしました。 夫が馬を繋いでいる間に、妻は建物の中から差し出された手に捕えられ、夫が戸を開けようとしても堅く閉ざされて開きません。 戸を壊して中に入ってみると、そこには血を吸いつくされた妻の死体が吊るされていました。。
『今昔物語集』27-17

 

宇多上皇が御息所と河原院で月を眺めていると、何物かが御息所を建物の中へ引き入れようとしました。上皇が「何物か」と問うと「融」と答えがあり、御息所は放されましたが、すでに御息所は息絶えていました。。
『紫明抄』

 

恵慶法師は、河原院について、他にも以下のような歌を詠んでいます。

「草しげみ 庭こそ荒れて 年経ぬれ  忘れぬものは秋の白露」

(草が茂って、庭も荒れ果ててしまった。忘れずに昔のままでいてくれるのは、秋の白露だけであるよ)

 

「すだきけむ 昔の人も なき宿に ただ影するは 秋の夜の月」

(昔は人がここに集まって賑やかであっただろうに、今は人影も絶えてしまった。この家に姿を見せるのは、ただ秋の夜の月だけであるよ。)
※すだく=群がり集まる  

 

かつては、多くの貴族が集まっては、美しい庭園を愛で、陸奥の塩焼きを楽しみ、和歌を詠んでいた程、華やかで美しかった時代もあった河原院。

次々に持ち主が変わり、数度の火災に見舞われるなどして、かつての持ち主の幽霊が出る、と噂されるまでにでに荒廃してしまうとは、浮世の無常を感じます。

 


 

さて・・・

平安時代は、貴族といえども激しい権力争いの末、敗れて落ちぶれることもあれば、殺されることもあり、また当時流行していた天然痘等の病により命を落とすなど、突如不幸に見舞われることが多かった時代。

河原院は、持ち主が変わるたび、主の栄枯盛衰をどのように見てきたのでしょうか。
また、こうして没落してしまった人々は、その後、どのように生活していったのでしょうか。。

当時は、人々の生活がどのように保障がされていたか、詳細は不明ですが、

現代においては、憲法で
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、
すなわち「生存権」が保障されています。

憲法25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

この「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とは何かについて、裁判で争われた事例があります(最大判昭和42年5月24日(朝日訴訟))。

国立岡山療養所に単身の肺結核患者として入所していた朝日氏(朝日茂氏:1913年7月18日~1964年2月14日)は、厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額である、月額600円の日用品費の生活扶助と、現物による全部給付の給食付医療扶助とを受けていました。

ところが、受給途中で、長年音信不通であった実兄の存在が明らかになったため、社会福祉事務所は、実兄に対して朝日氏への支援を命じ、朝日氏は実兄から扶養料として毎月1500円の送金を受けるようになりました。

そのため、社会福祉事務所長は、朝日氏への月額600円の生活扶助を打ち切り、実兄からの送金額1500円から日用品費600円を控除した残額900円を、医療費の一部として朝日氏に自己負担させる旨の保護変更決定をおこないました。

朝日氏は、これに対し県知事に不服申立をおこなったところ、却下され、さらには厚生大臣にも不服申立をおこなったところ、これも却下されたため、「月額600円」という支給基準金額では、憲法25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)が保障されないとして、憲法違反であると主張し、厚生大臣に対し訴えを提起しました。

 

第一審(東京地方裁判所)は、日用品費月額を600円に抑えているのは違法であるとし、裁決を取り消しましたが(朝日氏の全面勝訴)(東京地判昭和35年10月19日)、
第二審(東京高等裁判所)は、日用品費月600円はすこぶる低いが、不足額は70円に過ぎず憲法25条違反の域には達しないとして、原告の請求を棄却したため(東京高判昭和38年11月4日)、最終的な判断は最高裁へ持ち込まれることとなりました。

ところが、上告審の途中で、朝日氏が亡くなってしまいました。
そのため、養子夫妻が訴訟を承継して争う流れとなりましたが、

最高裁は
「生活保護法の規定に基づき要保護者または被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であつて、保護受給権とも称すべきものと解すべきである。しかし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし、相続の対象ともなり得ない」として、

相続人である養子夫妻には、「これを承継し得る余地はないもの」として、「本件訴訟は、上告人(朝日氏)の死亡と同時に終了」するとの判断を下しました。

しかし、最高裁は裁判を「終了」とはしたものの
「なお、念のために」「本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見」として、

・憲法25条1項は、
「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではな」く
・「具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。」

との、意見を付加しました。

生活保護法
(無差別平等)
2条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。

(基準及び程度の原則)
8条
1 保護は、厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。
2 前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない。

 

さらに、

「厚生大臣の定める保護基準は、法8条2項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるもの」でなければならないところ、

「健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるもの」であるから、

「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されて」おり、

「現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」

と判断しました。

裁判は、途中で終了したにもかかわらず、傍論で生存権の性格について詳細に意見を述べた最高裁のこの判決は「念のため判決」と呼ばれています。

この裁判は、人間らしく生きるとは、個人に与えられた権利とは、という点で社会に波紋を投じることとなり、以後、生活保護基準の金額改善がおこなわれ、社会保障制度が大きく発展する嚆矢となりました。

 

◇ ◇ ◇

 

さて。

時を経て、河原院はその後、どうなったのでしょうか?

本日の歌

八重葎 しげれる宿の さびしきに
             人こそ見えね 秋は来にけり

 

恵慶法師が歌を詠んだ頃の荒廃した時代以降、次々に主が変わりゆく中、江戸時代には河原院の跡地の一部に渉成園が作られ、寛永18年(1641年)徳川家光から東本願寺に寄進されることとなりました。

さらに承応2年(1653年)、石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭される等の経緯を経て、昭和11年(1936年)12月、国の名勝に指定されることとなり、現在は美しく復活を遂げたようです。

渉成園は、年間を通じて一般に公開されており、東本願寺でおこなわれる諸行事等の際には、種々の催しの会場として用いられているとのこと。

また、下京区木屋町通五条下ルには「河原院址」の石碑があるようです。

一帯は河原院の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられた「籬の森」の跡で、石碑の隣にある老木の榎は森にあった木の最後の1本だといわれています。
石碑の位置は河原院の推定地より少しだけ外れているとのこと。


京都を訪れた際には、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

資格試験アラカルト・宅建(4)~登録実務講習体験記編

宅建ブログ4回目です。
今回は、登録実務講習の様子について、共有させていただきます。

 

「登録実務講習」って?

 

そもそも、「登録実務講習」って何?という感じですが、
ざっくり言えば、実務経験のない人が、宅建士登録するために受けなければならない講習、です。

宅地建物取引士資格試験に合格しても、それだけでは、宅地建物取引士としての業務をおこなうことはできません。
試験合格後、都道府県知事への「登録」をすることで、宅地建物取引士資格者となり、「宅建士証」の交付を受けて、初めて宅地建物取引士としての業務をおこなうことができます。

そして、この宅地建物取引士の「登録」については、宅建業法及び同法施行規則で、

「試験に合格した者」かつ
「2年以上の実務経験を有するもの」(法18条、規則13条の15)

又は

「国土交通大臣がそれと同等以上の能力を有すると認めたもの」(法18条)

でなければならないと規定されていて、
その、同等以上の能力を有すると認められるための要件の一つが、

「登録実務講習」を修了した者(規則13条の16第1号)

なのです。

つまり、宅建士の「登録」のためには、

①「試験合格」+「実務経験2年以上」
②「試験合格」+「登録実務講習を修了」
等のどちらかが必要、とされていて、
私の場合、宅地建物の取引に関する実務に携わった経験が全くないので、②の「登録実務講習」を受講する必要があった、ということです。

 

実施機関

 

登録実務講習は、国土交通大臣の登録を受けた機関が実施することになっています。
令和4年11月14日現在の実施機関は、19機関あるようです。

これらの機関が、それぞれに講習をおこなっているのですが、講習の内容については、宅地建物取引業法施行規則13条の21第4号で

・宅地建物取引士制度に関する科目が講義1時間
・宅地又は建物の取引実務に関する科目が講義37時間

などと定められています。
そのため、どこの機関の講習を申し込んでも、科目やコマ数は共通になっています。
(念のためネット情報も検索してみたのですが、特に「ここがいい!」とか、逆に「ここはやめておけ!」のような情報はないようでした。いずれも独自性を競うようなことはしておらず、大差はない、というところではないかと思います。)
実施機関によって違うのは、会場(場所)、日程、費用などでしょうか。

大手の資格試験予備校などは、全国の会場で多数の日程にわたって講習をおこなっている一方、地方に事務所がある機関では、当該地方で少数の日程しか講習をおこなっていないところが多いようでした。
費用については、おおむね同程度で、22,000円(消費税込)が相場のようです。
(地方の機関がおこなっている講習では安価な設定のものがあるようでしたが、条件が合わず、今回は使えませんでした。)

今回私は、そのうちの「TAC株式会社」で登録実務講習を受講しました。
費用は、相場どおりの22,000円(消費税込)です。
上述のように、どの機関を選んでも大差はないように思ったので、選択のポイントは、(またしても)自宅から通いやすいこと、です。

というのも、この講習の一番重要なポイントは、(後で詳述しますが)

▼2日間にわたり、朝から夕方までのスクーリングに参加が必要(オンライン等不可)
▼欠席・遅刻・早退・中抜けは一切認められない

というところだからです。
(最後に修了試験はありますが、これはそもそもが「受からせるための試験」です。受験できれば、まあ間違いなく合格できると思われます。)

そこで、「2日間、スクーリングの全講義に出席すること」というミッションを確実に達成するため、
・迷子にならない(土地勘がある)
・最悪、交通機関がマヒしてもたどり着ける
ということで、自宅近くの会場が設定されていたTACを選びました。

(受講してみて分かったことですが、実施機関側も、受講者を1回で修了試験に受からせたい、といろいろな便宜を図ってくれます。でも、遅刻・欠席だけは、どうにも救済できないようでした。
朝が苦手な方は、8時半始まりのところではなく9時半始まりの講習を選ぶなど、対策されてください。)

 

申込手続

 

申込みの際は、宅建試験合格証書のコピーが必要となります。
TACでは、何故かオンラインでは申し込みができず、窓口に行くか、郵送でした。
費用は、郵送の場合は先に振込んで振込控えを提出する形で、窓口の場合は現金のほかクレジットカードも使えました。

どんどん枠が埋まっていくので、早めに申し込むのが良いと思いますが、ただ、「申し込み後、会場や日程の変更は一切できない、振り替えもできない(キャンセルの場合も返金しない)がよろしいですか」と何度も念押しされましたので、その点は十分注意が必要です。
(実際、業務に差しさわりのない時期を選んだつもりが、急遽、書面提出の締め切りが入ってしまい、できることなら変更したい!と電話してみたのですが、「変更はできません」とけんもほろろに断られました。)

 

カリキュラムと実際の様子

 

カリキュラムは、大まかに、
①通信学習
②スクーリング
③修了試験
の三つです。

①通信学習(約1か月間)
スクーリング日の1か月くらい前に、自宅にテキスト等が届けられ、これを使ってWeb講義を受講します。
ここで使用する教材は、以下となります。
・送られてきたテキスト1冊+確認テスト1冊
・インターネットからダウンロードした講義動画×3回分
(各回2時間20分程。各回、前半・後半の2ファイルに分かれています。)
・講義録のPDFファイル×3回分

教材については、実施機関によっていろいろ違いがあるようで、例えば、最大手のLECでは、DVD教材を使用しておこなうそうです。

TACではWeb講義で、視聴には、「TAC WEB SCHOOL」というアプリを使用します。
巻き戻しや早送り、再生速度の変更、「しおり」を挟んで次回そこから再生できるようにする、などの機能があって、使い勝手は悪くなかったです。(HPから事前に、動作環境の確認もできます。)

なお、講義動画は、ファイルをダウンロードして視聴するのですが、(ダウンロードしても)インターネットに接続されていない環境では再生できないようでした。自宅にwi-fi環境がない方は、要注意かもしれません。
講義中、板書等はしないので、画面が小さくても問題ないです。私はスマホで視聴しましたが、「大きい画面で見たい」と思うことはなかったです(なんなら、音声だけで充分だと思います)。

内容は、宅建試験の復習又は延長のようなものになっており、やっていて、なんとなく「こういうの勉強したなあ」と懐かしい感じがしました。難易度も同じくらいなので、試験合格者の方なら、恐れるに足らず、だと思います。

 

②スクーリング(演習)(12時間)
重要事項説明・契約書の作成等について、事例を基に演習をおこないます。
(先ほども書いたとおり)この講習の肝は、このスクーリング講義、すべてに出席することです。ほとんどの機関が2日間で実施していますが、中には、1日で全て終わらせるところがあるそうです(ただし、時間数は12時間で同じ)。
1コマでも欠席・遅刻・早退・中抜けをすると、修了試験の受験が認められません(つまり、講習を修了することができません)。

実際の演習の内容は、
一軒家の売買にかかる事例が示され、
その事例についての「重要事項説明書」と「売買契約書」を作成する
(実際の「重要事項説明書」と「売買契約書」の、要所要所が空欄になっているものが示されて、それを穴埋めする)
というものです。

こちらも、問われている内容は宅建試験でやったことの復習ですし、答えは示される資料(不動産登記簿など)に書いてあって、それを拾い出して書き写すだけなので、登記簿等を見たことがある人だったら、恐れるに足らない、と思います。
(これまでに全く不動産登記を見たことがない人だと、1回目は少し戸惑うかもしれませんが、スクーリング中にどこを見たら知りたい情報が書いてあるか、丁寧に教えてくれますので、講師の話さえ聞いていれば大丈夫だと思います。)

今回の場合、講師は不動産鑑定士をされている方でした。
土地建物の取引の実務に日々携わっておられる方なので、実務上で用いられる略語とか、実務の最近の動きなどが説明にちりばめられており、「そうなんだ!」と、興味津々でした。

ただ、実施機関側としては、何としても「修了試験を受けてもらい、1回で合格してもらう」ことを至上命題としているようで、
そういった実務的なお話などより、「修了試験にはここが出ます」(言葉は少し濁して言われますが、翻訳するとそういう意味)というお話が大半でした。
(そのため、正直なところ①の通信学習は、受けなくても支障はない(修了試験合格のためには)と思います。Web講義を聞かなくても、スクーリング中に、修了試験にでるところは全部、「復習」として教えていただけます。)

 

③修了試験(1時間)
一問一答式と記述式があり、それぞれで8割以上の得点を取ると合格=登録実務講習修了となります。
試験中は、通信教育のテキスト、スクーリングのテキスト、スクーリング当日に配布されるノート(穴埋め式)の3冊を持ち込むことができます。その3冊以外から出題されることはなく、時間も60分たっぷりあるので、まあ、ほぼ不合格になることはないのではないか、と思います。
(マークシートで、マークする場所が全部一つずれていた、とかでなければ…)
提出時、問題用紙は回収されます。試験開始から30分経過後、途中退席も可です。

もし不合格となった場合、追試等の救済措置はない、とのことでした。
(ただし、修了試験に不合格になってしまった場合、1回に限り無料で再受講可能となっている機関が多いようです。その場合、修了試験だけを再受験するということはできず、スクーリング12時間を全部最初から受講する必要があるようです。)

 

受講してみての雑多な感想ですが、

〇2クラスに分けて実施されました。教室にはかなりゆとりがあり、3人席を一人で使える状態だったので、快適でした。(通信教育のテキストと、スクーリングのテキストとノート、3冊同時に開いて作業する、みたいなこともありますので、スペースは広い方がやりやすいです。)

〇会社の同僚?と思しきグループで受講されている方もいらっしゃいましたが、一人で受講されている方が多く、(私も一人での受講でしたが)独りぼっち感はなかったです。

〇受講生は、男女比は半々くらい、年代は20代から60代くらい?までバラバラといった感じでした。

〇時間割上、「演習①9:30~12:30」のように記載されていますが、実際は1時間ごとに10分程度の休憩がありました。1コマ3時間は長い、集中力が切れてしまうのではないだろうかと心配していたのですが、ちゃんと配慮されていました。なお、各コマの最初に、結構厳密な(写真との照合もされているようでした)出欠確認がありますのでご注意ください。

 

最終的な感想としては、
〇試験勉強で自分が勉強していたことは、実務でこういうふうに使われているんだ、というのが理解でき、何というか、「身になった」気がした
〇最初に不安に思ったほど、大変ではなかった
→結論「受けてよかった」、といったところでしょうか。

私は、今のところ、不動産取引そのものに携わる予定はないのですが、弊所での業務でも、不動産売買契約書や重要事項説明書を参照する機会は少なくないので(法務デューデリジェンス等)、今回得た知識を活かしていきたいな、と改めて思いました。

 

◇ ◇ ◇

 

そして、1週間後くらいに、無事に修了証が郵送で届きました。
これを添付して、各都道府県に「宅地建物取引士資格登録申請」をすることになります。

次回、その手続についてお伝えしたいと思います。
では。

法律で読み解く百人一首 62首目

「勘違い」や「間違い」とは、誰にでも起こりうることかもしれません。

気づいた時点で、すぐに軌道修正できれば良いのですが、「勘違い」や「間違い」が修正されないまま進んでゆくと、事態はより複雑になってしまうことも。

自分の間違いであると、他人の間違いであるとに関わらず、途中(あるいは最初から)、それが実は「間違い」であることに気づいたとして、例えばその「間違い」が自分の利益になる場合、

最後まで、それが間違っていることに気づかない振りをして、結果他人を騙し、他人に損害を与えてしまうという事態になったとしたら。。

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 本日の歌  「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも

よに逢坂の 関はゆるさじ」  

清少納言


「よをこめて とりのそらねは はかるとも

よにおうさかの せきはゆるさじ」

せいしょうなごん

 

 

小倉百人一首 100首のうち62首目。
平安時代中期の作家で歌人・清少納言の歌となります。


歌の意味

 

夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き声を真似て、夜が明けたとだまそうとしても、(あの中国の函谷関ならいざ知らず、あなたとわたしの間にある) この逢坂(おおさか)の関(せき)は、決して開くことはありません。

 

夜をこめて
夜が深い(明けない)うちに、の意。

鳥のそらね
鶏の鳴き真似、の意。
鳥は鶏(にわとり)、そらね(空音)は鳴き真似のこと。

はかるとも
謀る(はかる)=だます
とも=逆接の接続助詞「~としても」
「鶏の鳴き真似をしてだます」とは、函谷関(かんこくかん)の故事にまつわるエピソードを指す。

※中国の史記(中国前漢の武帝の時代に司馬遷(しば せん:紀元前145/135年頃~紀元前87/86年頃)によって編纂された歴史書)にある斉の孟嘗君(もうしょうくん)の話。
秦国に入って捕まった孟嘗君が逃亡する際、一番鶏が鳴くまで開かないことになっている函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせ、無事通過できた、という故事。

よに逢坂の関はゆるさじ
よに=決して、絶対に
逢坂の関=逢坂の関と、逢瀬(おうせ・男女が密かに逢うこと)の掛詞。

※逢坂の関は、山城(現在の京都府)と近江(現在の滋賀県)の境にあった関所であり、京都への入り口とされ、古くから交通の要所だった。
逢坂の関を通ることは許さないことと、あなたが私に会いに来ることは許さない、という二つの意味を掛けている。

 

 

作者について

 

清少納言(せいしょうなごん・966頃-1025頃)

平安時代中期の女流作家・歌人で、「梨壺の五人」の一人である清原元輔(908-990年)を父に持ちます。

梨壺の五人とは、天暦5年(951年)村上天皇の勅により、平安御所七殿五舎の一つである昭陽舎(その庭に梨の木が植えられていたことから「梨壺」と呼ばれていました)に和歌所を設け、『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などをおこなった五歌仙(坂上望城(さかのうえのもちき)・紀時文(きのときぶみ)・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔(きよはらのもとすけ)・源順(みなもとのしたごう)を指しました。

彼女自身も、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人に数えられ、『清少納言集』に42首、『後拾遺和歌集』以降の勅撰和歌集に15首入集、また漢学にも通じるなどの才女であったとのことです。平安文学の代表作である、随筆『枕草子』の作者としても有名です。
『枕草子』(まくらのそうし)は、鴨長明の『方丈記』(鎌倉時代)、兼好の『徒然草』(鎌倉時代)と並んで日本三大随筆と称され、執筆時期は正確には判明していないものの、長保3年(1001年)にはほぼ完成したとされています。

なお、「清少納言」の名で知られているところ、これは女房名(貴人に出仕する女房が仕える主人や同輩への便宜のために名乗った通称)であり、「清」は「清原」の姓に由来するとされていることから、「せい・しょうなごん」と区切ることとなります。

また、本名は「清原諾子(きよはらのなぎこ)」とする説もあるところ、実証する一級史料は現存しないことから、「不明」とされているとのことです。

清少納言は、15歳の頃、陸奥守(むつのかみ)・橘則光(たちばなののりみつ)と結婚し一児をもうけたものの、やがて離婚。その後、一条天皇の皇后・中宮定子に仕えました。博学で才気煥発であったため、中宮定子の恩寵を受けたばかりでなく、公卿や殿上人との贈答や機知を賭けた応酬を交わすなどし、宮廷社会に名を残しました。

長保2年(1000年)、中宮定子が出産時に亡くなってまもなく、清少納言は宮仕えを辞め、枕草子を執筆しましたが、その後の清少納言の人生についての詳細は、残念ながら不明となっているとのことです。。

 


 

本日の歌

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
              よに逢坂の 関はゆるさじ

 

この歌の詠まれた背景には、こんなエピソードがあったと言われています。

 

ある夜、藤原行成(ふじわらのゆきなり)が清少納言のもとにやってきて、

「明日の帝の御物忌み(ものいみ:ある期間中、ある種の日常的な行為を控え、穢れを避けること)に籠もらなければ」と話して慌てて帰りますが、翌朝、行成から清少納言のもとに、「鶏の声に急かされてしまいました」などと、言い訳めいた文が届き、これを読んだ清少納言は「それは函谷関の故事にある、鶏の鳴き真似でしょう」(それは、言い訳でしょう)と返事をしました、すると

「関は関でも、中国にある函谷関のことではなく、私たちの間にある逢坂の関のことですよ」と返してきました。

そこで清少納言が返したのが、本日の歌。

「(函谷関の関守のように)鶏の鳴き真似でごまかそうとしても、逢坂の関守は、だまされて関を開くことは決してありません(あなたには絶対逢ってあげません)」
という意味です。

当意即妙に返したこの歌には、中国史のエピソードを始め様々な教養が盛り込まれており、清少納言の知性が光る一首となっています。

なお、清少納言と藤原行成は冗談を言い合うような、気の置けない友人関係だったそうです。

 

 

 

誤振込と詐欺罪

 

さて・・・

さて、中国の函谷関では、孟嘗君の部下が鶏の鳴き真似をして関守をだまし、関所を開かせたことで事なきを得ましたが、他人をだまして金品などを奪ったり、損害を与えたりする行為は、「詐欺罪」に当たります。

このことに関し、自分の銀行預金口座に誤った振込(誤振込)があったことを知った受取人が、それが誤振込である事実を隠して、銀行の窓口担当者に預金の払戻しを請求し、その払戻しを受けた場合、刑法246条にいう「詐欺罪」に当たるかどうか裁判で争われた事例があります(最判平成15年3月12日)。

(詐欺)
刑法第246条
1 人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
2 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

 

ある税理士が、(誤振込を受けた受取人を含む)顧問先からの税理士顧問料等を、集金事務代行業者に委託して徴収していました。

徴収方法は、集金事務代行業者が、税理士の顧問先の各預金口座から、自動引落しの方法により顧問料等を集金し、これを一括して、税理士が指定した銀行預金口座に振込送金するかたちでおこなっていました。

しかし、税理士の妻が、指定振込送金先を、誤振込を受けた受取人の普通預金口座に変更する旨、誤って届出てしまったため、集金事務代行業者は、この届けに基づいて、本来であれば税理士が受取るべき顧問料等を、誤振込を受けた受取人の銀行口座に振り込んでしまいました。

この受取人が、通帳の記帳をしたところ、入金される予定にない(身に覚えのない)、集金事務代行業者からの誤った振込みがあったことを知りましたが、これを自分の借金の返済に充てようと考え、自分の銀行預金口座に誤って振込があった旨を銀行の窓口担当者に告げることなく、現金の交付を受けました。

 

なお、銀行実務においては、振込先の口座を誤って振込依頼をした振込依頼人からの申出があれば、受取人の預金口座への入金処理が完了している場合であっても、受取人の承諾を得て振込依頼前の状態に戻す「組戻し」という手続が執られており、また、受取人から誤った振込みがある旨の指摘があった場合にも、自行の入金処理に誤りがなかったかどうかを確認する一方、振込依頼先の銀行及び同銀行を通じて、振込依頼人に対し、当該振込みの過誤の有無に関する照会をおこなうなどの措置が講じられています。

このような事情もあることから、裁判所は、受取人の義務につき

「銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として、自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には、」

銀行に組戻し等の措置を講じさせるため、
「誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務」があり、

また、
「社会生活上の条理からしても、誤った振込みについては、受取人において、これを振込依頼人等に返還しなければならず、誤った振込金額相当分を最終的にじこのものとすべき実質的な権利はないのであるから、上記の告知義務があることは当然」
だとしました。

その上で、
「誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐偽罪の欺罔行為に当たり、また、誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たるというべきであるから、錯誤に陥った銀行窓口係員から受取人が預金の払戻しを受けた場合には、詐欺罪が成立する。」
とし、受取人は、誤振込である旨、告知すべき義務があるところ、告知をおこなわないことは欺罔行為に当たるとし、詐欺罪が成立すると判示しました。

(詐欺)
刑法第246条
1 人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
2 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

詐欺罪の構成要件とは、

①欺罔行為又は詐欺行為
一般社会通念上、相手方を錯誤に陥らせて財物ないし財産上の利益の処分させるような行為をすること

②錯誤
相手方が錯誤に陥ること

③処分行為
錯誤に陥った相手方が、その意思に基づいて財物ないし財産上の利益の処分をすること

④占有移転、利益の移転
財物の占有又は財産上の利益が行為者ないし第三者に移転すること

 

であり、これら全ての間に因果関係が認められ、また、行為者に行為時においてその故意及び不法領得の意思があったと認められることが必要です。

なお、①の欺罔行為については、積極的欺罔(虚偽の事実を表示する事による欺罔)のみならず、消極的欺罔(真実を告げない事による欺罔)であっても、欺罔行為とみなされます。

今回の事例で言えば、

①受取人が、銀行窓口担当に誤振込があったと言わなかった(欺罔行為・消極的欺罔)ことで

②銀行窓口担当が、受取人の正当な振込金であると判断(錯誤)

③銀行窓口担当が、受取人に誤振込金を交付(処分行為)

④受取人が、誤振込金を受領した(利益の移転)

という因果関係となり、且つ受取人の故意が認められることから、詐欺罪の構成要件を満たすこととなります。

 

記憶に新しいところでは、山口県阿武町が、新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金463世帯分(4630万円)を、誤って一人の男性に給付(誤振込)してしまい、この男性が誤振込金である4630万円全額をオンラインカジノで使用しまった、という事件がありました。

この場合は、男性は銀行窓口で誤振込金の交付を受けたのではなく、ネットバンキングを利用し、オンラインカジノの決済代行業者に振込んだとして、電子計算機使用詐欺罪(刑法第246条の2)に問われることとなりました。

(電子計算機使用詐欺)
刑法第246条の2 
前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、10年以下の懲役に処する。


 

さて、本日の歌

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
              よに逢坂の 関はゆるさじ

 

今では知らない人がいない程、歴史に名を残した才女である清少納言。

からかってきた藤原行成に

「よに逢坂の 関はゆるさじ(逢坂の関守は、だまされて関を開くことは決してありません=あなたには絶対逢ってあげません)」

とは言ったものの、その実、仲が良かったとの噂の行成と清少納言のことですから、この歌が生まれる二人のやり取りはさておき、本当のところは、清少納言が敢えて「だまされて」逢ってあげた、というストーリーも、あり得なくはない、、のではないでしょうか。

それにしてもだまされてしまった側の函谷関の関守。。

一体どんな結末になったのか、気になります。。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー