朝顔を植えてみました 2021

一昨年、番外編として植えて成長を記録した朝顔ですが、

今年も植えており、開花までたどり着きました!

 

 

前回よりも何だかあっという間に咲いたような気がしますが・・・

無事に開花に至り、何より!

 

とはいってもまだ一部しか咲いておらず、まだまだ後に続きそうです。

 

 

このあたりには違う色も。次の開花が楽しみです!

 

◇ ◇ ◇

 

9月も折り返し地点ですが、
涼しくなったと思いきや、残暑がまだまだしぶとい今日この頃。。。

涼しげな夏を感じさせてくれる朝顔を眺めつつ、
日々の業務を頑張りたいと思います!

六法全書クロニクル~改正史記~平成10年版

平成10年版六法全書

平成10年度六法全書

この年の六法全書に新収録された法令に、
臓器の移植に関する法律(平成9年法律第104号)
があります。

臓器移植は、病気や事故により臓器が機能しなくなった人に対して、
他の人の健康な臓器を移植して機能の回復を図る医療です。
一部の疾病に対して、現時点での医学レベルでは臓器移植が唯一の治療法である場合があります。

しかし一方で、臓器移植については、臓器提供者の脳死判定の在り方などに議論があります。脳死を人間の死と認めるかどうか、死生観にもかかわる問題であり、この法律も、制定されるまでに、衆議院で無修正の上可決された法案が参議院で大幅修正されるなど、異例の経過をたどりました。

古来、心停止が人間の死とみなされてきましたが、医学が発達した現代では、
一般に、脳・心臓・肺のすべての機能が停止した場合(三徴候説
と定義されています。

しかし医療技術の発達により、脳幹機能が停止し、
本来ならば心肺機能が停止するはずの状態でも、人工呼吸器によって呼吸が継続され、心臓機能も維持される状態が出現しました。

この状態が、脳死です。

脳死者の中には、自発的に身体を動かす例も見られることや、呼吸があり心臓が動いている、体温が維持されることなどから、脳死を人間の死と認めるかどうか、国や宗教によって賛否は様々です。
我が国では、無機物にも魂が宿っているなどとする文化的背景もあって、脳死という概念の受け入れに特に抵抗が強いとも言われてきました。


この法律が制定される前の我が国では、1979年に「角膜及び腎臓の移植に関する法律」が成立し、心臓停止後の腎臓及び角膜の移植がおこなわれていました。
しかし、心臓や肝臓、肺などの臓器の患者は、移植を希望しても日本では移植を受けることができず、亡くなられていました。移植を受けるためには、海外に渡り、ごく限られた外国人枠として移植を待つほかない状況でした。

1968年には、札幌医科大学の和田寿郎教授によって、世界で30例目の脳死患者からの心臓移植がおこなわれ、移植患者は83日間生存しました。
しかし、患者が亡くなった後、臓器提供者の救命治療が十分におこなわれたかどうか、脳死判定が適切におこなわれたかどうか、本当に移植が必要だったかどうかなど、多くの議論を呼びました(いわゆる和田心臓移植事件)。和田教授に対しては殺人罪で刑事告発もされています(結果は、嫌疑不十分の不起訴処分)。

1984年にも、筑波大学の深尾立教授が脳死判定による膵・腎同時移植を実施しましたが、患者が死亡したことで、執刀医らが殺人罪で刑事告発されました。
このように、日本では脳死臓器提供者からの移植がタブー視され続ける時代が続いていました。

そのような中、移植を待ちながら亡くなっていく患者・遺族の声や、健康なドナーの体にメスを入れる生体移植に頼る現状の是非についての議論が高まり、平成2年、総理府に、臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)が設置され、脳死の定義について議論が始まりました。
そして、2年近くに及ぶ審議のすえ、
「脳死をもって『人の死』とすることについては概ね社会的に受容され合意されているといってよいものと思われる」
とした上で、一定の条件の下に脳死体からの臓器移植を認める内容の最終答申が提出されたのです。

この答申を受けて、各党・各会派の代表者からなる協議会の場で検討・協議が進められ、様々な修正を重ねて成立したのが、臓器の移植に関する法律です。


この法律では、6条1項で、
「医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。」
と規定しています。

つまり、

死亡した人が、臓器移植の意思を生前に書面(「臓器提供意思表示カード」など)で表示していて、遺族が拒まない場合に限り、「死体」からその臓器を摘出できる

と規定し、

「死体」には「脳死した者の身体」も含まれる

とすることで、脳死下での臓器提供が可能となりました。

 

法律的には、脳死=死と扱うことで、脳死の段階で「人」ではなくなり、刑法199条の殺人罪「人を殺した者」には該当しないこととなります。
残る問題として、死体から臓器を取り出すことは、外形的には刑法190条の死体損壊罪を構成しますが、この法律に基づき臓器移植をする時には、法令行為(※)として、違法性がないものとして扱われることになります。(※刑法35条に、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」との規定があります。)

この法律によって、法的脳死判定後に、その人の心臓、肺、肝臓、腎臓、小腸、眼球などの臓器を摘出して、移植を必要とする患者に移植することができるようになりました。


しかし、この法律が1997年10月に施行されてからも、国内での臓器移植は年間数例(具体的には、法律施行から2008年7月末までに、72名の方から臓器提供があり、298名の患者が移植を受けた)にとどまっていました(日本移植学会広報委員会編「脳死臓器提供Q&A」)。
そのため、移植が必要な患者は
生体移植や海外で移植を受ける「渡航移植」に頼らざるをえなかったのです。

その原因は、この法律が、
●本人が生前、臓器提供の意思を書面で示す必要がある
●有効な意思表示をするには、15歳以上でなければならない
という厳格な要件を求めていたからでした。

渡航移植に頼ると言っても、
世界のどの国においても臓器の提供は足りていません。
2008年の国際移植学会で「移植が必要な患者の命は自国で救う努力をすること」という主旨のイスタンブール宣言が出されたことで、この法律を改正する機運が高まり、2010年7月17日、「改正臓器移植法」が施行されています。

改正法では、脳死での臓器提供について、本人が生前に拒否の意志を示していなければ、家族の同意があれば、脳死の方からの臓器提供が可能になりました。
その結果、15歳未満の子どもからも脳死臓器提供が可能になりました。
免許証・保険証の裏に意思表示欄ができたのも、改正法からです。

そして現在、公益社団法人日本臓器移植ネットワークによると、日本で臓器の移植を希望して待機している方はおよそ14,000人おられ、それに対して移植を受けられる方は年間およそ400人とのことです。


自分が脳死になったら。
家族が脳死になったら。
「縁起でもない」と、考えることさえタブー視してしまうかもしれません。
でも、反対に
自分が移植を必要とする体になったら。
家族が移植を必要とする体になったら。
そんな事態だって、絶対にないとは言い切れない世の中です。

少しだけ、「自分ごと」として、考えてみてはいかがでしょうか。

【参考:一般社団法人日本移植学会HP

 

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
酒税法(昭和28年法律第6号)
があります。

平成9年の改正では、
焼酎の税率が引き上げられています。

これは、我が国では、同じ蒸留酒でありながら、ウイスキーの税率が焼酎の税率に比べて高率であったところ、平成7年、焼酎の低い税率が関税及び貿易に関する一般協定(GATT)に違反しているとして、EU、アメリカ、イギリス及びカナダから世界貿易機関(WTO)に提訴され、その結果、日本に対する是正勧告が出されたことを受けたものです。

酒税は、酒類に対して課せられる租税ですが、その歴史は古く、室町時代に足利義満が造酒屋に税を課したことに始まると言われています。明治以降、地租とともに政府の大きな財源となり、一次は国税収入の中で首位となったこともありました。

その後、直接税のウエイトが高まり、令和2年度の酒税収入は11,430億円、税収全体に対する構成比は2.0%です。
割合としては減少していますが、安定した税収が見込まれることから、現在でもその税収上の重要性は無視できないとされています。

酒税法上の「酒類」とは、アルコール分1度以上の飲料とされています。
また、その製造方法の違いにより、

①発泡性酒類(ビール、発泡酒、その他の発泡酒類)
②醸造酒類(清酒、果実酒、その他の醸造酒)
③蒸留酒類(連続式蒸留焼酎、単式蒸留焼酎、ウイスキー、ブランデー、原料用アルコール、スピリッツ)
④混成酒類(合成清酒、みりん、甘味果実酒、リキュール、粉末酒、雑酒)

の四つに分類されます。
そして、種類、品目、アルコール分等により税率が異なっています。
有名なのが、ビール、発泡酒、いわゆる新ジャンル(第3のビール、とも)で、税率が異なっていることですよね。

ちなみに、2026年10月にはこの区分がなくなる予定で、現在、ビールの税額が段階的に引き下げられ、発泡酒及び新ジャンルの税率が段階的に引き上げられています。

2021年3月現在、1キロリットル当たりの税率は、
ビールが200,000円
発泡酒が134,250円~200,000円(麦芽比率及びアルコール分により異なる)
いわゆる新ジャンルが108,000円
とのこと。

国民生活に密着したものだけに、影響が過度なものにならないよう、徐々に徐々に変更がおこなわれているようです。

そのせいなのでしょうか、
酒税って、割りあい頻繁に、変わっている気がしませんか?

法改正自体は、今回取り上げた平成9年の改正以降、平成10年、平成12年、平成15年(4月・7月・9月の3回)、平成18年、平成29年、平成30年におこなわれていますが、それより頻繁に、「酒税が変わった」というニュースや、売り場のポスターを見かけるような気がします。

酒税については、税収の確保だけでなく、最初に述べたように国際通商問題や、あるいは酒類の販売価格に影響を及ぼすことで酒類の消費量を引き下げて飲酒の負の側面を緩和する、などの観点も考慮する必要があります。
消費者としては、税率が低ければ低いほどうれしいですが、そういうわけにもいかないようですね。

酒類の国内市場は、長中期的に縮小してきている上に、昨今の新型コロナウイルス感染症の拡大によっても、飲食店を中心に消費が一段と減少しているとのこと。
国税庁としては、商品の差別化・高付加価値化や、海外市場の開拓(輸出促進)などに取り組んでいくそうです。

「SAKE」は日本文化の一つでもあると思います。
現在の状況下、他の業種以上に大変なことも多いのではないかと推察しますが、
是非乗り越えてほしい、つなげてほしいと思います。

【参考:国税庁課税部酒税課・輸出促進室「令和3年3月酒のしおり」

法律での「業界用語」

日々法律事務に携わる中で、

「これって法律分野での『業界用語』なのかな」
「この言葉の使い方は法曹界特有なのかも」

と思うことが多々あります。本当に沢山あります。

そんな「これはもしや…」について、
弁護士でもなく、法学部出身でもない、いちスタッフの目線から
数は少ないですがご紹介してみたいと思います。

  

①趣旨

 

筆者が一番初めに「法律っぽさ」を感じた言葉です。

弊所で勤務を始めたころ、
「これは○○という趣旨です」というように
「趣旨」という言葉が頻繁に使われているのが印象的でした。
そうやって使えばいいのか、便利だな、なんて思った記憶があります。

しかしその後、ドラマ「99.9 -刑事専門弁護士-」見ていた際

元裁判官だった人物が「趣旨」を使って話すのに対し
元同僚である裁判官が「癖が抜けていないね」といった言葉をかける、

という場面を見てハッとしました。
「趣旨」を使うのはやっぱり法曹界の人あるあるなのでは、と。

実際、「趣旨」を含む法律用語を多く目にします。
例えば「立証趣旨」。
裁判所に証拠を提出する際に作成する「証拠説明書」に記載するものですが、言葉のとおり、その証拠を使ってどのような事実を証明したいのかを記載します。
また、訴状に記載する「請求の趣旨」もあります。これはその訴えで求める結論を記載するものです。

こうして頻繁に読み書きしていると
便利な言葉だけに、ついつい使ってしまうのかもしれません。

 

②善意・悪意

 

これはご存知の方も多いのではないでしょうか。
法律用語としては、それぞれ以下のとおりの意味を持ちます。
善意:ある事実・事情を知らないこと
悪意:ある事実・事情を知っていること

よく使われるのは不動産関係などでしょうか。
「他人が所有者として登記されている土地なのに、それを知らずに何年も自分のものだと信じて、また自分のものとして使ってしまっていた…」
こういったケースはざっくり言うと「善意」となるようです。

本来の意味とは異なるため、違和感を感じざるをえませんが
民法がフランス法・ドイツ法の概念を取り入れている
という背景も大きく関係しているようです。

そもそも日本にない概念・文言を持ち込んだことから、
ぴったり一致する日本語がなかったのですね。

きっと、法律を学んでいる方からすれば
他にも違和感を感じる表現が多々あるのではないでしょうか。

 

③しかるべく

 

「しかるべき○○」のように、他の言葉と組み合わせて使うことはありますが
「しかるべく。」と一言で終わらせることって、なかなかないですよね。

しかし、法曹界ではそういった使い方があります。

裁判所からの問いに対する回答として使われますが、その意味は
「こちらは積極的に同意するわけではないが、裁判所の判断には従う」(weblio辞書)、「同意や異議なし」(goo辞書
などとなります。

裁判所の判断におまかせします、といったところでしょうか。

「ご意見ありますか?」「しかるべく、です。」
なんて感じで使われるみたいです。日常でも通じたら結構便利な気がします。

 

その他

 

以上にあげたほか、いくつか簡単にご紹介したいと思います。

【差し支え】
「仕事に差し支える」など、一般的には「支障が生じる」といった意味で使われますが、法曹界では日程調整の場面で使われるようです。
これはまさに「業界用語」ではないでしょうか。
弁護士が「その日は差し支えです」と言ったら、調整不可という意味なので、ぜひ違う日程を伝えてみてください。

【期日】
「締め切り」や「約束した日」をイメージすることが多いのではと思いますが、訴訟法においては「裁判所、当事者などの訴訟関係人が、裁判所に出頭するなどし裁判手続を進行させるために指定された時間」を指します(Wikipedia)。
よく「今日裁判がある」なんて言われることがありますが、「裁判」は、裁判所が法律を用いてトラブルを最終的に解決する手続自体を指しますので、裁判所に出頭することを言いたいのであれば、「期日」のほうがより適切かもしれません。
また、ニュースでよく耳にする「初公判があった」というのも、「1回目の公判期日があった」ということになります。
民事・刑事において期日に関するルール等はそれぞれ異なりますので、興味のある方はぜひ調べてみてください。

【郵券】
読んで字のごとく、「郵便切手」を意味します。裁判所にて訴訟を提起したり、申立をしたりする際は、決められた額の郵券をあらかじめ納めなければなりません。これを「予納郵券」などと呼びます(裁判所によって呼称は異なるようです)。
「郵券」は法曹界で生まれた言葉、というわけではなく、従来一般的に使われていたものがそのまま使われている、という状態のようです。郵便局の方ならわかってくれるかもしれませんね。
ちなみに、最近では郵券のかわりに現金で納付できる裁判所も増えています。

【被告】
こちらは個人的に最も戸惑った言葉です。
ニュースで「○○被告は…」と聞くと、何か事件を起こして捕まった人、というイメージがありますよね。しかし、実際は「被疑者」「被告人」などと呼ばれ、「被告」は民事裁判における当事者の呼称です。
被疑者は、犯罪の疑いをかけられて捜査対象となっている状態で、まだ起訴されていません。よくメディアでは「容疑者」と呼ばれますが、正しくは「被疑者」となります。その後、起訴された者は「被告人」と呼ばれます。
民事裁判において訴えを提起する者を「原告」といい、訴えを提起された者を「被告」と呼ぶのです。何だか「被告=犯罪者」のようなイメージを持たれてしまいそうですが、「被告」は単に原告の「相手方」にすぎません。

 

◇ ◇ ◇

 

以上、
駆け足ではありますが、法曹界でよく聞く言葉をご紹介しました。

どの職種においても「業界用語」的に使われる言葉は様々あると思います。
ご自身の職場ではいかがでしょうか?
他の職種では全く違う意味を持っている、なんてこともあるかもしれません。

弊所でも引き続き法曹界的業界用語をさがしてみたいと思います。

 
  

参考・引用:
Wikipedia
日弁連ホームページ
日弁連子どもページ
裁判所ホームページ
書籍「裁判官の爆笑お言葉集」長嶺超輝(幻冬舎新書)

ひまわり観察日記-2021-②

東京オリンピックが開幕し、
日々猛暑のなかで戦うアスリートには頭が上がらない今日この頃です。

 

そんな中、弊所のひまわりも暑さと戦っておりましたが・・・
4年目にして、初めて壁にぶつかってしまいました。

 

 

なんだか、今一つ元気がないような・・・

いつもは室内で過ごしている植木鉢ですが、この事態を受けて急遽ベランダへ。
場所柄、日光にあてるのは難しいのですが、しばらくこの状態で様子を見ることに。

 

◇ ◇ ◇

 

後日、再び様子を伺うと・・・

うーん・・・

 

芽が出ない・・・
種が開いた形跡があるため、根付かず枯れてしまったものもあるようです。

種に元気がなかったのか、
土との相性が悪かったのか、
室温が低かったのか、

 

原因は分かりませんが、このまま諦めるわけにはいきません。

 

今年もひまわりを傍らに夏を乗りきるため、
他の植物の植木鉢にも種をまいてみました。

すると、

 

芽が出てきました!

 

何故だか分かりませんが、良い方に転んだようです!
やはり土があわなかったのでしょうか。。

ひとまずは他の植木鉢に居候してもらい、
順調に育った際には元の場所に戻そうと思います。

 

ひとまず危機は乗り越えられたようですので、
また引き続き全力で観察していきたいと思います!

ひまわり観察日記-2021-①

久しぶりの更新となってしまいました。

気付けば2021年も既に折り返し地点。
あっという間に年末を迎えてしまいそうな恐怖感がありますが、
東京オリンピックも応援しつつ、下半期も全力で駆け抜けたいものです!

そんな中、弊所では毎年の恒例行事、ひまわりの種まきをいたしました。

 

◇ ◇ ◇

 

お馴染みのミニひまわり、「小夏」と「夏物語」の2種類です。

大きな一輪のひまわりも素敵ですが、
ミニひまわりのサイズ感や可愛らしさも、特にお部屋で育てる場合は良いのではないかしら、と個人的に思っております。

 

そして、今回の土はこちら。

ここ2年程、植物まわりの虫が気になっていたので
それが防げるといいなと思い、新しい種類を購入してみました。
(粒状なので扱いやすく、部屋で作業していても汚れにくかったです!)

 

さらに、毎年の相棒。

 

種まきも4年目になりますので、始めてしまえばあっという間。
植木鉢に土を入れたら、いつもの要領でまいていきます。

 

↓こちらが夏物語で

 

↓こちらが小夏。

過去に弊所のひまわりブログを読んでくださったことがある方は
お分かりかと思いますが、
(まだの方はこちらからどうぞ☞ 2018年2019年2020年

この青色は「キャプタン」という殺菌剤で、ひまわりを病気から守るためのものです。誤食防止のため、このように絶対食べなさそうな色がつけられています。

 

このような感じで、間隔をあけて蒔いていき

上から1センチ程土をかぶせたら、完了です!

もちろんお水も忘れずに。

 

どちらが何の種類か忘れないように、今年はラベルも貼りました。


手前が夏物語、奥が小夏です。

 

例年よりやや遅めのスタートですが、
今年もしっかり観察していきたいと思います!

六法全書クロニクル~改正史記~平成11年版

平成11年六法全書

平成11年版六法全書

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
種苗法(しゅびょうほう、平成10年法律第83号)
があります。

1991年に改正された植物の新品種の保護に関する国際条約(略称:UPOV条約)を踏まえて、旧種苗法 (農産種苗法、昭和22年法律第115号)を全部改正する形で制定されました。

近年、日本で開発されたイチゴやブドウ、サツマイモなどのブランド品種が海外に流出し、無断栽培され流通していることが問題となっています。
ニュースで流れたりと、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、この問題に関連して種苗法を取り上げてみたいと思います。

まずは、どんなことを定めた法律なのか、見ていきましょう。


種苗法は、一言で言えば、農作物などの種苗の開発者の権利を守る法律です。
開発者の権利を守ることにより、新品種の開発を促進し、農業の発展に寄与することを目的としています。

今までにない新しい品種を開発した場合、その品種の開発者は、品種登録をすることができます。
品種登録すると、知的財産権である「育成者権」が発生し、育成者権者は、一定期間に限り、新品種の種苗を販売する権利を独占することができます。
いわば、農産物に関する特許権や実用新案権のようなものです。

育成者権の保護期間は、
品種登録後、最長25年間(果樹等の木本は最長30年間)です。
(期間経過後は、一般品種となり、誰でも自由に使うことができます。)

登録品種の保護のための措置として、以下の規定がされています。

【民事上の措置】
• 育成者権が侵害された種苗や収穫物等の流通の差止め
• 育成者権の侵害によって発生した損害の賠償請求

【刑事罰】
• 個人:10年以下の懲役、1千万円以下の罰金(併科可能)
• 法人:3億円以下の罰金

しかし、改正前の種苗法では、正規に販売された後の登録品種の海外への持ち出しは違法ではなかったため、日本の登録品種が海外に流出し、海外が産地化して、本家である日本の農産物の輸出が阻害されるような事態が生じていました。

 

代表的なのが、高級ブドウ「シャインマスカット」です。
甘みが強く、食味が優れ、皮ごと食べられる大粒の果実が人気で、
もともとは国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)が2006年に品種登録したものです。農研機構が交配等を始めたのは1998年で、18年かけて開発した品種でした。

これが、中国や韓国へ流出し、無断で栽培されて、中国や韓国国内で流通しているばかりか、国外へも輸出されていることが確認されています。
シャインマスカットは、日本から東南アジアなどへ輸出されているのですが、
日本産に比べて安価な中国・韓国産のものが出回り、輸出拡大の阻害要因になっているのです。

このようなことは、日本の農業関係者の長い間の努力に「ただ乗り」する行為であって、日本の付加価値の高い農業の力を弱めることになります。
そこで、このような事態を防止するため、政府が対策に乗り出し、種苗法が改正されることとなったのです(2020年12月2日成立)。

 

主な改正内容は、以下となります。

①輸出先国又は国内栽培地域を指定できるようにする
②育成者権者が利用条件(国内利用限定、国内栽培地域限定)を付した場合は、利用条件に反した行為を制限できることとする
③登録品種には、登録品種であること、利用制限を行った場合はその旨の表示を義務付ける
④登録品種については、自家増殖にも育成者権者の許諾を必要とする

この法改正には、懸念の声もありました。
特に、上記④の自家増殖(正規に新品種を購入した農家が収穫物から種子を採取して翌シーズンの作付けをすること)については、これまでは許諾は不要だったため、農家の負担が増えるとの不安の声があります。

これについて、農水省は、

○自家増殖を行っている農業者から海外に流出した事例があり、増殖の実態を開発者が把握する必要があること
○許諾手続は、団体等がまとめて行うことも可能であるし、ひな形を配布するため、過度に事務負担が増加することは想定されない

などと説明して、理解を求めています。

 

せっかく苦労して開発したブランド品種が、「ただ乗り」されるのは、やっぱりもったいないですよね。
開発者の権利を守ることが、品種開発のインセンティブとなり、消費者にとっても利益になると思われますので、きちんと開発者の権利が守られるようにしてほしいなと思います。

一方で、それを栽培しようとする農家に過度の負担がかかってしまうと、栽培が広がらず、人気も出ず、結局は開発者にも消費者にもマイナスになってしまうと思います。
なにごともそうですが、バランスが大切ですね。
今後も、法改正を繰り返して、「よい加減」を探っていく必要があるのかもしれません。

【参考:農林水産省HP

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
地方自治法(昭和22年4月17日法律第67号)
があります。

平成10年の改正では、以下の点が変更されました。

○特別区を「基礎的な地方公共団体」として位置付け
○特別区の自主性・自立性の強化
○都から特別区への事務の移譲(清掃事務等)

この「特別区」についてはご存知でしょうか?

特別区(とくべつく)は、日本の地方公共団体の一種です。
制度創設当初から現在(2021年1月)まで、東京都区部である東京23区のみとなっています。
(ただし、2013年の法改正により、東京都以外の道府県であっても、
「人口250万人以上の政令市、または政令市と同一道府県内の隣接市町村の人口の合計が200万人以上」
ならば特別区に移行することができるようになっています。)

このような特別区制度の特殊性は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に
東京府と旧東京市が、戦時法令である旧東京都制の施行に伴って合併し、
東京都が設置されるに至ったことに起因しています。

権限は、基本的には「市町村」に準ずるものとされ、「市」の所掌する行政事務に準じた行政権限が付与されています。
しかし特別区は、「法律または政令により都が所掌すべきと定められた事務」および「市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務」を処理することができません。

具体的には、特別区は上下水道・消防などの事務に関しては単独で行うことができず、「都」が、東京都水道局、東京都下水道局、東京消防庁などを設置しておこなっています。
また都市計画や建築確認についても、一定規模以上のものについては、都が直接事務をおこなっています。

今回の改正までは、清掃事業も都の業務とされており、東京都の行政機関である「東京都清掃局」がこの地域の清掃事務を統一的におこなっていたのが、各特別区および東京二十三区清掃一部事務組合に移管されました。

 特別区は、制度創設から長らく、東京都の「内部的団体」と位置付けられ、日本国憲法93条2項の「地方公共団体」に当たらないと解されてきました。
地方自治法の制定時には「基礎的自治体」と位置付けられましたが、従来から都が処理していた事務の多くは引き続き都がおこなうこととされていました。
1952年の法改正によって再び「都の内部機関」に改められ、特別区の自治権は大幅に制限され、
さらに今回の法改正で、「基礎的自治体」としての地位を回復しました。
このような歴史的な経過があり、その地位や権能は、今後も法律によって左右される可能性があることから、日本国憲法において地方自治権を保障されている市町村とは、比べ物にならないほど脆弱だと考えられているそうです。

東京23区が共同で組織する公益財団法人特別区協議会は、
「特別区制度そのものを廃止して普通地方公共団体である「市」(東京○○市)に移行する」という形での完全な地方自治権の獲得を模索しているそうです。

かなり長い間、東京23区に住んでいますが、
こんなふうに、「市」と「特別区」が違っていて、
「特別区」が「市」になりたがっているとは、知りませんでした。
住民として、特に不便を感じたことはなかったのですが、
もしも行政の無駄や非効率が生じているのであれば、
時代の要請に沿うよう、柔軟に変えていってほしいものです。

【参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』東京都HP

法律で読み解く百人一首 19首目

 

かつて、図らずもバラバラに分割される運命となってしまったものの、
昨年2019年、100年ぶりに一堂に会する事となり話題になった、国宝級の絵巻物「佐竹本三十六歌仙絵巻」。

鎌倉時代に制作されたもので、当初は上下2巻の絵巻物となっており、各巻に18名ずつ、計36名の歌人の肖像が描かれていました(絵の筆者は藤原信実・ふじわらのぶざね(1176年 – 1265年)、書の筆者は当ブログ91首目にてご紹介した、後京極良経・ごきょうごくよしつね(1169年 – 1206年)であるとも言われています。)。

以降、この絵巻物が佐竹侯爵家に伝来したことから、
「佐竹本」との名で呼ばれています。

 

明治維新以後、多くの大名家が没落する中、佐竹侯爵家も例外ではなく、収入源を失い、家宝を売却しなければ生き残ることができなくなってしまいました。

こうして、止む無く手放されることとなった貴重な絵巻物は、その後、数奇な運命を辿ることとなります。

次々に絵巻物の所有者が変遷する中、日本は戦争の時代へと突入。
社会における経済状況も、次第に悪化の一途を辿り、この大変高価な美術品は、我が国においては、個人の財力では、到底購入することができないものとなってしまったのです。

このままでは、国の宝とも言うべき貴重な絵巻が、海外へ流出するという危険が生じてしまう…

こうした危機的な状況の中、最悪の事態を防ごうと、
1919年12月20日、美術品コレクター・実業家である益田鈍翁の提案により、
「佐竹本三十六歌仙絵巻」は歌人ごと、バラバラに切り離され、それぞれが別々の所有者のもとで、所有されることとなりました。

いわゆる「絵巻切断事件」です。

絵巻が分割されるにあたっては、誰もが欲しい人気の歌人(逆に不人気の歌人も)がおり、果たして誰がどの歌人を手に入れるか、くじ引きによる抽選がおこなわれました。(実は、この提案をした益田鈍翁本人は、最も人気のない「僧侶」の絵が当たってしまい、すっかり不機嫌になってしまったとのこと・・・。一気に気まずくなった雰囲気の中、一番人気の「斎宮女御」を引き当てた古美術商が交換を申し出てくれたおかげで、益田氏のご機嫌も直り、その場もなんとか収まった、という裏話もあるようです。)

こうして海外流出の難を逃れた歌人たちは、
全国へと散らばることで、生き延びてゆきます。

その後、日本はさらなる戦争の混乱へと突き進むことになりました。

そして、それに伴う経済状況の悪化により、歌人たちの絵は、時代に翻弄されつつも、様々に所有者が変遷し、美術館や個人の手へと渡ることとなったのです。

 

そんな事件から、昨年でちょうど100年。
恐らく今後二度とないであろう、36人の歌仙たちの貴重な再会となったのでした。

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】
「難波潟 みじかき芦の ふしの間も

             逢はでこの世を 過ぐしてよとや」

伊 勢

「なにはがた みじかきあしの ふしのまも

                 あはでこのよを すぐしてよとや」

い せ

小倉百人一首 100首のうち19首目。
本日ご紹介するのは、百人一首に一番多く収められている
「恋」の歌の一つとなります。

 

 

歌の意味

「難波潟の短い芦の節と節の間ほどの短い時間でも、あなたに会いたいのに、
あなたはもう、会わずにこの世を過ごせとおっしゃるのですか?」

難波潟とは、現在の大阪市上町台地の西側に広がっていた、大阪湾の入り江あたりの、遠浅の海のこと。
旧淀川の河口にあたり、昔は干潟が広がり、芦が生い茂っていました。

現在は開発が進み、かつての干潟を見るのは難しいようですが、
大阪市・淀川の下流、長江橋のあたりには、辛うじて風景が残っているとのこと。

芦とは、現代でこそあまり馴染みがありませんが、古くから、水辺に生える芦に多く歌が詠まれております。
特に難波潟の芦は有名で、様々な歌に詠まれているようです。

 

 

作者について

 
伊勢(いせ・872-938)

平安時代の代表的な女流歌人であり、三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとり。

宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受け、その皇子を生んだことで「伊勢御息所」と呼ばれます(御息所・みやすどころとは天皇の子を生んだ女性のこと)。
しかしその皇子は、儚くも5歳で夭折。
その後、伊勢は宇多天皇の皇子敦慶(あつよし)親王と結婚して娘・中務(なかつかさ・後に女流歌人として活躍)を生みます。
彼女は情熱的な恋歌で知られ、”紀貫之と並び称されることもあった”というほどの才能の持ち主でした。

特に家集「伊勢集」は、
「和泉式部日記」などの後の女流日記文学の先駆けとされているほど。

この伊勢こそ、「佐竹本三十六歌仙絵巻」に描かれている歌人の一人であり、恋多き女性、情熱的な女性として多くの歌を詠み、名を馳せた歌人です。

 

さて・・・

昨今の世界情勢のように、社会情勢の変化により、収入源を失ってしまうことで、時に税金を収められなくなってしまう、という事態が生じることもあるでしょう。

そのような時、国は、資産の差押という手段によって、滞納している税金(租税債権)を回収することがあります。

ところが、その回収先にも、同様に債権があった場合はどうなるでしょうか。

 

 

相殺の範囲


この件に関し、裁判で争われた事例がありますので、ご紹介いたします。

税金を滞納していた、とある会社の銀行預金を国が差押えたところ、銀行がこの会社に対しては貸付金を持っているので、これと相殺して預金を差押えすることはできない、と主張してきたため、国が、銀行の貸付債権(自働債権)については、返済する期限が後に来る預金債権(受働債権)については相殺できないとして訴えた事例です(最判昭和45年6月24日)。

相殺には、相殺する債権(自働債権)と、相殺される債権(受働債権)があり、
相殺を可能にする条件については、民法505条に定められています。

(相殺の要件等)
民法505条
「二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。」

 

この条文では、相殺適状の要件として次の内容が規定されています。

・同種の対立する債権があること
・双方の債務が弁済期にあること
・債権が相殺できるものであること

相殺を可能にするためには、これらの要件が必要とされており、双方の債権がこの要件を満たしていなければなりません。

そして、これらの要件全てを満たし、相殺ができる状態であることを
「相殺適状」といいます。

 

さて、ご紹介の事例において、最高裁は

「相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もって両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であって、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己の債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において、受働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものである。」

として、相殺制度の趣旨を説明した上で、相殺の効力の範囲について、

「第三債務者(※銀行)が債務者(※会社)に対して有する債権をもって差押債権者に対し、相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによって、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調節を図ったものと解するのが相当である。
したがって、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきである。」

とし、その範囲を限定しました。

 

差押と相殺につき、旧民法では、第三債務者が差押え後に取得した債権における相殺については規定していたものの、差押え前に取得した債権における相殺については明確に規定していませんでした。

しかし、この判決では、第三債務者の債権が差押え後に取得されたものでなければ、自働債権の弁済期及び受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達していれば、差押後においても相殺できることとしたのです。

 

これを受け、改正民法511条1項では

・差押えを受けた債権を、差押え後に取得した債権で相殺することは出来ないものの、差押え前に取得した債権で相殺することはできること

・差押え後に取得した債権につき、差押え前の原因に基づいて生じた債権であるときは、差押による債権と相殺できること

が明文化されました。

<改正前民法>
(支払の差止めを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
第511条  支払の差止めを受けた第三債務者は、その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。
<改正民法>
(差押えを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
第511条 差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することはできないが、差押え前に取得した債権による相殺をもって対抗することができる。
2 前項の規定にかかわらず、差押え後に取得した債権が差押え前の原因に基づいて生じたものであるときは、その第三債務者は、その債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができる。ただし、第三債務者が差押え後に他人の債権を取得したときは、この限りでない。

 

 

さて、本日ご紹介いたしました歌、

「難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」

そして作者である、恋多き情熱的な女流歌人、伊勢。

 

冒頭で触れました「佐竹本三十六歌仙絵巻」で描かれている歌人は、女性歌人5名、男性歌人31名となっておりますが、絵巻切断事件以降、所有者が変わるたび、それぞれの歌人に値が付けられるにあたっては、やはり華やかな女性の絵に高値がついたと言われています。

伊勢の絵も、恐らく高額にて取り引きされ、
所有者の手から手へ渡ってきたものと思われます。

100年の節目に、昨年「佐竹本三十六歌仙絵巻」の特別展が開催されたのは、全国でただ1箇所、京都国立博物館のみ(巡回なし)であった、という稀有な機会にもかかわらず、それでも出品されることのなかった、大変貴重な作品。

伊勢の絵は、美術館蔵ではなく、個人蔵となりますので、実物を目にすることのできる機会は、今後いつになるか、果たしてその機会はあるか否かも定かではありません。

その上残念なことに、今年に入ってからは、美術館に足を運ぶことも難しい状況となってしまいました。

この先、実物に出会える機会は、益々遠のいてしまいましたが、
もし、そのような機会が訪れたならば、何をおいても観に行きたいものです。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

六法全書クロニクル~改正史記~平成12年版

平成12年六法全書

平成12年版六法

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(平成11年法律第137号)
があります。略称は「通信傍受法」です。
捜査手段としての通信傍受の要件、手続等について規定しています。

 

プライバシー侵害への懸念などから、成立までに激しい反対があったことは、
ご記憶にあるのではないでしょうか?

何となく危なそうな法律だとは思っているけど、詳しくは知らない・・・
という方のために、少し中身を見てみましょう。

 

まず、「通信」と「傍受」です。
傍受の対象となる「通信」とは、「電話その他の電気通信」をいい、電話(固定電話・携帯電話)だけでなく、電子メール、FAXも対象となります。
「傍受」とは、現に行われている他人間の通信について、その内容を知るため、当該通信の当事者のいずれの同意も得ないで、これを受けることです。

通信傍受による捜査が許容される犯罪は、通信傍受が必要不可欠な組織犯罪に限定されます。具体的には、法律制定当初は
・薬物関連犯罪
・銃器関連犯罪
・集団密航
・組織的殺人  の4類型に限定されていたところ、平成16年12月から、
殺人、傷害、放火、爆発物、窃盗、強盗、詐欺、誘拐、電子計算機使用詐欺・恐喝、児童売春などが追加されました。

通信傍受の手続としては、裁判官から発付される傍受令状に基づいておこなわれることになります(令状主義)。通信傍受を実施する根拠・必要性があるかどうか、裁判官によってチェックされる仕組みです。
捜査機関が通信傍受をおこなおうとする場合には、地方裁判所の裁判官に対して傍受令状を請求する必要があります。傍受令状の請求ができるのは、検事総長からの指定を受けた指定検事か、国家公安委員会等から指定を受けた警視以上の階級を有する警察官等に限定されています。(他の令状、例えば逮捕状では、これを請求できる警察官の階級は「警部以上」とされていますので、傍受令状については制限が厳しいといえます。)

請求を受けた裁判官は、請求を理由があると認めるときは、傍受令状を発付します。
傍受令状には、被疑者の氏名や、傍受すべき通信、傍受の実施の方法及び場所、傍受できる期間、傍受の実施に関する条件、有効期間等などが記載されます。
そして、この傍受令状を、通信事業者等に対して提示して、傍受を実施することになります。

傍受してよい通信は、傍受令状に記載された通信のみです。傍受実施中におこなわれた通信であっても、傍受令状に記載されていない内容は傍受してはならず、例えば、犯罪に関わらない家族からの電話等は傍受できません。

傍受した通信は、全て、記録媒体に記録しなければならず、検察官・司法警察員は傍受した通信内容を刑事手続において使用するための記録(傍受記録)を裁判官に提出しなければなりません。
また、傍受終了後、傍受された通信の当事者に対して、傍受したことを書面で通知しなければなりません。通知を受けた通信の当事者は、当該通信の記録の聴取・閲覧や複製をしたり、不服を申し立てたりすることができます。

このほか、通信の秘密の尊重が条文にうたわれていたり、
通信傍受の実施状況を国会に報告するとともに公表することが規定されているなど、
人権侵害が生じないよう、配慮された内容となっています。

 

ちなみに、警察庁HPによると、
2019年における通信傍受の状況は、傍受令状の発付は31件、通信手段の種類はいずれも携帯電話、逮捕人員は48人とのこと。

かなり謙抑的に運用されている印象です。
しかし、たとえ数は少なくても、通信傍受がなかったとしたら逮捕することができなかったケースが、確実にあったのだと思います。
効果的な武器ともなる反面、罪のない人の人権を侵害してしまうおそれもある。
まるで、鋭利な刃物のようだと思います。
使い方を間違えないよう、慎重に、しかし有効に使われるよう、注意深く見守っていく必要がありそうです。

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
借地借家法(平成3年法律第90号)
があります。

借地借家法(しゃくちしゃっかほう)は、建物の所有を目的とする地上権・土地賃貸借と、建物の賃貸借について定めた法律です。
「しゃくちしゃくやほう」と呼ぶこともあります。
その立法趣旨は、一般的に弱い立場に置かれがちな土地や建物の賃借人(借地人、借家人、店子)の保護にあるとされています。

平成11年の改正では、
「定期建物賃貸借」(定期借家契約)の規定(38条)が新たに設けられました。
存続期間が終了すればそこで賃借権は完全に消滅し、契約を更新することはできないという、特別な建物の賃貸借です。

これは、建物の賃貸借に関して、賃借人の権利が強くなりすぎた(一度物件を貸すと、正当な事由がない限り立ち退いてもらえない)ために、家主が賃貸に消極的になってしまい優良物件の供給が阻害されているとの指摘があり、改正がなされたものです。

 

一般の借家契約との違いを見てみることにしましょう。

○契約方法
普通借家契約は、書面でも口頭でも締結が可能であり、その際、特段の説明をする義務等は貸主に課されていません。
一方、定期借家契約は、書面によらなければ締結できません。また、定期借家契約は、「更新がなく、期間満了により終了する」ことを、あらかじめ、契約書とは別に書面を交付して説明しなければなりません。

○賃料の増減
租税等の増減や経済事情の変動等があれば、貸主と借主は、賃料の増額や減額を請求できます。ただし、普通借家契約では、賃料を増額しない旨の特約をすることができます。
一方、定期借家契約では、賃料を増額しない旨だけでなく、減額しない旨の特約をすることもできます。

○契約の更新
普通借家契約では、当事者が、期間満了の1年前から6ヵ月前までの間に、相手方に対して「更新をしない」旨を通知しなかったときは、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなされます(賃貸借期間が1年以上の契約)。なお、貸主による更新しない旨の通知には、正当事由(家主がほかに住むところがなく貸している建物に住まなければならない場合など)が必要となります。
一方、定期借家契約では、更新はありません。賃貸借期間が1年以上の場合、貸主は、期間満了の1年前から6ヵ月前までの間に、借主に対して、期間満了により契約が終了することを通知しなければ、その終了を借主に対抗できません。(逆に言えば、通知さえすればよく、正当事由は必要ない。)

○1年未満の契約
普通借家契約では、1年未満の契約は、期間の定めのない契約とみなされます(各当事者はいつでも解約の申入れが可能で、借主による解約の申入れについては3ヵ月経過後に契約が終了しますが、貸主による解約の申入れについては6ヵ月の猶予期間がある上、正当事由が必要となります。)。
一方、定期借家契約では、1年未満の契約も可能です(期間の定めのない契約とみなされることはありません)。

○借主からの中途解約
普通借家契約では、(貸主からの中途解約は自由には行なえませんが、)借主からの中途解約は、それができる旨の特約があればその定めに従うことになります。
一方、定期借家契約は、特約がなくても借主からの中途解約が可能な場合があります。それ以外の場合は、特約があればその定めに従うことになります。

 

定期借家契約が満了したら、借主は必ず出ていかなければならないのかいうと、そうではありません。当事者双方が合意すれば、「再契約」という形でその建物の使用を続けることは可能です。
しかしあくまで、家主側の合意が必要であるため、必ず再契約できるわけではないことを承知しておく必要があります。これが、借主にとっての最大のデメリットと言えます。

ただ、そういったデメリットのために賃料が相場より安かったり、問題を起こす住民が長く居座り続けることができない仕組みであるため居住環境が良好に保たれやすいといったメリットもあると言われています。

「定期借家契約」は、全体の数パーセント程度だそうです。メリット・デメリットをきちんと把握した上で、賢く使い分けたいですね。

六法全書クロニクル~改正史記~平成13年版

平成13年六法全書

13年六法

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
民事法律扶助法(平成12年法律第55号)
があります。

民事法律扶助(みんじほうりつふじょ)とは、
民事の法的トラブルがあった場合に、経済的理由で、弁護士などの法律専門家を依頼する費用を支払うことができない人に対して、その費用を公的機関が給付したり立替えたりする制度です。

日本における民事法律扶助制度は、
1952年に日弁連により設立された財団法人である法律扶助協会が担ってきました。
しかし、民間の寄付に頼るなど財政基盤が弱く、地域間格差や運営体制の整備の立ち後れが指摘されていました。
そんな中、国民へ十分な司法サービスを提供することを目指して広汎な司法制度改革をおこなう流れとなり、その先駆けとして制定されたのが、この法律です。

この法律により、法律扶助協会は、民事法律扶助事業をおこなう者として、法務大臣の指定を受けることとなりました。
そして、国からの補助金も大幅に拡充されました。

 

この法律では、

①国の責任が明示され、事務・運営費について補助金が大幅に拡充された
②法律事務所等で援助申込みができるようになり、アクセス・ポイントが大きく広がった
③司法書士が新たなサービス提供者として加わった

などの点で、民事法律扶助事業の拡充が図られました。

しかし、それでもなお、
対象事件の範囲や対象者の範囲が限定的で、予算規模も小さく
憲法第32条の『裁判を受ける権利』の実質的保障という観点からはなお不十分
との指摘があり、これを受けて、総合法律支援法が制定されます。

民事法律扶助法は廃止され、
民事法律扶助業務は「日本司法支援センター」(通称:法テラス)が承継して実施することとなりました。

 

法テラスで扶助を受けるためには、次のような条件を満たす必要があります(2020年10月現在)。

①資力が一定額以下であること。
(単身者の場合、月収18万2000円以下、保有資産180万円以下など。)
②勝訴の見込みがないとはいえないこと。
③民事法律扶助の趣旨に適すること。
(報復のためだけの訴訟や、権利濫用的な訴訟などはダメということ。)

しかし、たとえ上記の条件に当てはまらない人でも大丈夫。
法テラスでは、問題を解決するための法制度や手続、
適切な相談窓口を無料で案内するという業務もおこなっています。
サポートダイヤルが設けられていて、電話(通話料のみ)やメールでも問合せ可能ですので、気軽に相談ができますね。

法的トラブルは、こじれてしまってからでは、解決に時間がかかります。
できるだけ早い段階で、躊躇なく、専門家の援助を受けることが大切です。

経済的な事情でそれが難しい時にも、自分一人で何とかしようとするのではなく、
どうぞ、この民事法律扶助制度を思い出してください。きっと最終的に、経済的にも精神的にもずっと軽い負担で解決できることでしょう。
(参考:法テラス公式サイト

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
少年法(昭和23年法律第168号)
があります。

この年の改正内容は、次のようなものでした。

①刑事処分可能年齢の引き下げ(16歳から14歳へ)
②懲役・禁錮の言渡しを受けた少年の、16歳に達するまでの少年院収容が可能に
③犯行時16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた事件について、原則として検察官送致
④保護者に対する訓戒、指導等
⑤検察官・弁護士である付添人が関与した審理の導入
⑥被害者への配慮の充実(被害者等の申出による意見の聴取、被害者通知制度、記録の閲覧・謄写)

少年法では、20歳未満の少年による犯罪行為の場合、
すべて家庭裁判所に送致する「全件送致」が定められています。
しかし、16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた場合、
原則として家庭裁判所から検察官に送り返すこととなったのです(上記③)。
これを検察官送致(逆送)と言います。
その場合、少年は成人同様の刑事処分を受けることになります。
場合によっては、少年院ではなく、刑務所(少年刑務所)に入ることになります。

この年の少年法改正は、全体として、
1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件などを契機として、
少年法の厳罰化を実現するものでした。

少年による凶悪な事件が発生すると、
どうしても、「少年法は甘い」という声が高まります。
しかしそもそも、少年法は、その目的を処罰ではなく、少年の健全育成においています。つまり、少年の処罰よりは、改善更生を目的としているのです。

どこでバランスを取るか、とても難しい問題だと思います。

 

現在も、民法の成年年齢を18歳未満に引き下げる法律が2022年4月に施行されることに伴い、少年法の適用年齢を、20歳未満から18歳未満に引き下げることの是非が議論されています。

法制審議会の要綱案では、適用年齢の引き下げについて結論を見送る一方
18・19歳の少年について、原則検察官送致する犯罪の範囲を広げ、起訴されれば、18・19歳でも実名報道を可能とするとの方向性が示されたとのこと。

複数の視点が対立する難しい問題だからこそ、
目を背けることなく、関心を寄せ続けたいと思います。

法律で読み解く百人一首 91首目

被害者が死亡に至った直接の原因が、加害者によるものではなく
第三者(またはその他の要因)によるものであった場合。

被害者が死亡に至る過程において、
加害者による行為が起因していたとあれば、被害者死亡という事実と
加害者による行為には相当因果関係が認められるのでしょうか?




誰でも一度は経験したことがあるでしょう。
「青天の霹靂」とも言える、想像だにしていない、突然の出来事。

しかし、それが人の命を左右するものだとしたら。。

物ごとには、すべて「原因」と「結果」があり、
この2つは、1本の線で繋がっていると言われています。

点と点を繋げてゆけば、必ず線になるように。

一見、全く無関係のように思われる出来事も、
元を辿れば、必ず「原因」に行き当たります。

それが、例え想定外に起きてしまった「結果」だとしても。。

 

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに

               衣かたしき ひとりかも寝む」
                     後京極摂政前太政大臣

「きりぎりす なくやしもよの さむしろに

                 ころもかたしき ひとりかもねむ」

            ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん


小倉百人一首 100首のうち91首目。
平安末期から鎌倉初期にかけての公卿・歌人である
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)の歌となります。

 

 

歌の意味

「霜の降るこの寒い夜、こおろぎがしきりに鳴いている。
こんな夜に、筵(むしろ)の上に衣の片袖を敷いて、わたしはたった独り、寂しく寝るのだろうか。。」


この歌にある「きりぎりす」とは、現在の「コオロギ」のこと。
私たちが知っている、現在の「キリギリス」とは異なります。

漢字では「蟋蟀」と書き(「きりぎりす」とも、「こおろぎ」とも読みます。)、平安時代から中世には、秋に鳴く虫のことを指し、秋の季語とされておりました。

それ故、この歌の季節は「秋」となります。

 

さて

平安時代には、男性と女性が一緒に寝る時は、お互いの着物(衣)の袖を敷きあって寝るという習慣がありました。

「衣片敷き(ころもかたしき)」とは、
共に寝る相手(衣を敷き交わす相手)がいないため、自分の衣を敷き、その袖を枕代わりにして、独りで寝ることを意味しています。

 

霜の降る晩秋の寒い夜
むしろ(わらで編んだ粗末な敷物)の上で、
きりぎりすの声を聞きながら、独り寂しく眠る…

想像するだけで、寂しく孤独な様子がひしひしと伝わってまいります。
(「さむしろ」とは「寒い」と「むしろ」を掛けていることからも、
なお一層、寂寥感が募りますね。)

 

しかし、実はこの歌を詠む直前、良経は妻を失っています。

そのような背景を知った上で、改めてこの歌を詠んでみると
先ほどまでとは、また違った印象を受けるのではないでしょうか。

 

 

作者について


後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん・1169-1206)

彼は、
本名:九条(藤原)良経(くじょう(ふじわら)よしつね)
別名:後京極殿(ごきょうごくどの)
通称:後京極摂政(ごきょうごくせっしょう)
と、いくつもの呼び名を持っています。

政治家としては、内大臣(左大臣・右大臣に次ぐ官職)まで昇りつめるも、
派閥争いに破れて、朝廷から追放されてしまいます。
しかし、その後再び政権に返り咲き、
1204年、ついに官僚の最高位である太政大臣となりました。

ところが、そのわずか2年後、38歳の若さで急死してしまいます。

 

また、良経は歌人としても、新古今和歌集(後鳥羽院の命によって1201年より編纂された勅撰和歌集)の「仮名序」を書いたことで有名です。

「仮名序」とは、「真名序」とともに、新古今和歌集の序文として大変重要な位置づけであり、仮名序を任されるということは、多くの人から尊敬を集める、当時は大変名誉な任務でした。

新古今和歌集は、1205年3月26日に完成しますが…
その翌年、1206年4月16日の深夜、良経に突如死が訪れます。

宮廷内の自邸で一人休んでいるところを、天井から槍で刺し殺されたことから
良経の死は、暗殺によるものだとされています。

政敵か、または
新古今和歌集の「仮名序」の執筆者に選ばれなかった者の逆恨みか、それとも…

 

真実は闇の中、とされておりますが
和歌や漢詩に優れ、とりわけ書においては、のちに「後京極流」との流派ができるほど優れた才能を持っていた良経。

38歳といえば、政治の世界においても、歌の世界においても、まさに絶頂期。

いよいよこれから、、という時の
あまりにも突然で、惜しまれる死となりました。

 

今でこそ、耳にすることも少なくなりましたが、
昔の日本においては、「暗殺」という物騒な事件は、日常の出来事でした。

暗殺の恐怖に怯えながら、戦々恐々として暮らす毎日とは、
どんなものだったでしょうか。。

例えば良経のように、真夜中、暗殺者に襲われた場合…

いつ暗殺されるか知れない、という命の危険を感じながら暮らす日常にあって、
殺害当夜も、危険を察知し、部屋から飛び出したことで、
危うく暗殺という難を逃れたとしても、飛び出したその先に別の危険が待ち受け、
それによって、良経が死に至ったとしたら?

このような場合、暗殺者は、良経の死に関し、
罪に問われることになるのでしょうか?

 

 

被害者の逃走中の事故死と因果関係


さて

現代においても、「生命の危険を感じて逃走する途中で起きた死亡事故」
における因果関係について、争われた事例がありますので、ご紹介いたします。


複数の加害者らに長時間に渡り暴行を加えられた被害者が、加害者らの隙を見て逃走する途中で、高速道路に進入してしまったことで、結果、交通事故により死亡した場合、加害者らの暴行と、被害者の交通事故による死亡との間には、因果関係があるか否か、について争われました。(最決平成15年7月16日

この事件で、加害者6人は、被害者に対し、深夜の公園において、約2時間に渡り激しい暴行を繰り返した後、引き続きマンションの一室で、約45分に渡って断続的に激しい暴行を加え続けました。

その後、極度の恐怖状態にあった被害者は、隙を見て、暴行現場のマンション居室から逃走しました。

逃走を続けること約10分。
被害者は、マンションから約800メートル離れた高速道路に進入してしまい、高速道路上で、走行してきた自動車に轢かれて死亡しました。

加害者らは、被害者の死因は暴行によるものではなく、自動車事故によるものであって、刑法205条には当たらず、自分たちに責任はないと訴えました。

(傷害致死)
刑法205条
「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。」

 

これにつき裁判所は、

「被害者が逃走しようとして高速道路に進入したことは、それ自体極めて危険な行為であるというほかないが、被害者は、被告人らから長時間激しくかつ執ような暴行を受け、被告人らに対し極度の恐怖感を抱き、必死に逃走を図る過程で、とっさにそのような行動を選択したものと認められ、その行動が、被告人らの暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当であったとはいえない。そうすると、被害者が高速道路に進入して死亡したのは、被告人らの暴行に起因するものと評価することができる」

とし、被害者は、加害者ら(被告人ら)の暴行によって死亡したと判断しました。

 

現場からの逃走途中において、高速道路に進入するということは、通常であれば考えられない、極めて危険な行動です。
それにも関わらず、なぜ、加害者の暴行によって被害者は死亡したものと判断されたのでしょうか?

 

判決では、被被害者の行動は

加害者らからの長時間激しく執拗な暴行を受けており、
②その結果として、極度の恐怖を抱き、命の危険を感じて、必死に逃走を図ったもので
③このような、通常ではあり得ない行動をとってしまうという、冷静さを欠いた心理状態おいて、とっさに選択された行動であった

という事情が重視されたようです。

このような場合は、被害者が「高速道路に進入する」という、通常では考えられない行動に出た結果として、交通事故に遭遇し、死に至ったとしても、それは加害者の暴行から生じたものとして、「著しく不自然、不相当であったとはいえない」とされるのですね。

被害者の直接の死因が、加害者らの傷害によるものではなく、交通事故によるものであったとしても、加害者らの行為それ自体が、被害者の心理状況に強度の影響を与えた「原因」により起こった「結果」である、加害者らによる暴行と、被害者の交通事故による死亡との間には相当因果関係がある、とされるところに少し違和感がないこともないですが、深夜の公園で2時間、マンションで45分も暴行を受け続けること自体、通常であれば考えられないことですから、その結果として被害者が高速道路に飛び出すなんてことをしても因果の中に含めてしまっても良いのかもしれません。


さて

本日ご紹介する、こちらの歌

「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」

寂寥感漂うこちらの歌とは対象的に、良経は、「仮名序」を記した新古今和歌集においては、次のような歌を詠み、華々しい第1首目を飾りました。

 

「み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春はきにけり」

(吉野は山も霞んでいる。
ついこの間までは白雪が降っていた里にも、ついに春が来たんだなあ。)

こちらの歌にあるように、まさにこれから春を迎え、
人生を謳歌しようとしていた良経。

 

捉え方によっては、
良経暗殺という「結果」における「原因」とは、ある意味「歌」にあったと言えるかも知れません。

歌とは、嘗ては人の運命を左右するほどの威力を持っていました。
それは、歌が持つ力の恐るべき一面、とも言えるのではないでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー