法律で読み解く百人一首 17首目

少し前に話題を集めた「老後2000万円問題」。
これを受け、投資への関心が高まった方もいらっしゃるかと思います。
諸制度も改正が重ねられており、最近では「新NISA」が始まりました。

このように、現在は若い年齢であっても、また少額からのスタートでも、投資に挑戦できる制度が多く、かかる情報もインターネットで気軽に収集することができます。

 

その一方で、
証券会社にしてみれば、顧客を獲得するのに苦労しているのかもしれません。

 

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 本日の歌  「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川

からくれなゐに 水くくるとは」  

在原業平朝臣


「ちはやぶる かみよもきかず たつたがは

からくれなゐに みづくくるとは」

ありわらのなりひらあそん

  

 

 

小倉百人一首 100首のうち17首目、
平安初期~中期の貴族・歌人、在原業平朝臣の歌となります。

 

 

歌の意味

 

(川面に紅葉が流れていますが)遠い昔の神々の時代にさえ、こんなことは聞いたことがありません。
竜田川一面に紅葉が散り浮いて流れ、水を鮮やかな紅色の絞り染めにするなどということは。

 

ちはやぶる(千早ぶる)
「神」にかかる枕詞。
「いち=激い勢いで」「はや=敏捷に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたもので、勢いが激しい、強力で恐ろしいことを表す。

神代
「遠い昔」や「(太古の)神々の時代」の意。
「神々の時代でさえ聞いたことがない」とすることで、下の句の内容がそれほど不思議な現象であることを指す。

竜田川
奈良県生駒郡を流れる川で、紅葉の名所。

からくれなゐ
「唐紅」や「韓紅」と表記し、濃く鮮やかな紅色を指す。

水くくるとは
「くくる」は絞り染めの技法である「くくり染め」にする、ということ。
「竜田川が水をくくり染めにする」という擬人法が用いられている。

 

 

 

作者について

 

在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん・825-880)

 

平安の初期から前期にかけての貴族・歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。
天城天皇の孫にあたる人物で、母方の血筋では桓武天皇の孫にあたるなど、出自としては非常に高貴な身分でした。しかし、父である阿保親王が政権争いの連帯処罰を受けて左遷されたことなどから、生まれて間もなく、兄たちと共に皇族を離れて「在原」の姓を名乗ることとなりました。

貴族としては、出仕を初めてからもなかなか昇進できず、官職についた記録もありません。このように、朝廷における長い不遇の時代が業平を和歌に没頭させたのでした。
のちに御代が変わると、蔵人頭に任ぜられるなど要職を務めました。
一方、歌人としては、「古今和歌集」に収録された30首のほか、勅撰和歌種に87首が入首するほどの名手であったようです。

そして、業平といえば容姿端麗・恋多き男性として知られています。「ちはやぶる…」の歌も、かつて恋愛関係にあった藤原高子(二条后。清和天皇の女御)に捧げたものだとか。

業平は平安の恋愛小説「伊勢物語」の主人公ともいわれていますが、その中には、業平と高子が身分違い許されぬ恋に落ちて駆け落ちを試みるものの、途中で失敗して高子が連れ戻されてしまう場面が描かれています。
「ちはやぶる…」は、高子の持つ屏風を見た業平が詠んだ「屏風歌」(実際の風景を見ずに、屏風に描かれた絵を主題として詠まれた和歌)です。
業平はこの歌で彼が変わらず高子への気持ちを抱いていることを暗に示した、とする説もあります。

 


 

そんな業平が詠んだ、本日の歌

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

 

漫画作品のタイトルに用いられたことから、耳にしたことのある方も多いかと思います。ところで、落語の演目があるのはご存じでしょうか?

 

「千早振る」という古典落語で、別題「百人一首」「無学者」ともいいます。
そのストーリーはというと・・・

 

ある日、長屋で物知りと知られる「ご隠居」のもとに、「八五郎」がやってきます。娘に「ちはやぶる」の歌の意味を聞かれたがわからない、教えてくれというのです。
ところが・・・実はご隠居もこの歌の意味を知りません。しかし、物知りといわれる手前、知らないなどとは口が裂けても言えません。
そこで、ご隠居は即興で次のような解釈を考えます。

・「竜田川」という相撲取りが吉原で「千早」という花魁に一目ぼれするものの振られてしまう。(=千早振る)

・それならと、竜田川は妹分の「神代」に言い寄るものの、こちらも千早に倣って竜田川を相手にしない。(=神代も聞かず竜田川)

・その後、相撲取りを廃業して豆腐屋になった竜田川のもとに、偶然、物乞いとなった千早がやってくる。おからを恵んでほしいという千早に怒った竜田川は彼女を突き飛ばし、自身の過去の行いを悔いた千早は、近くにあった井戸に身投げする。なお、千早の本名は「永遠(とわ)」であった。(=からくれなゐに 水くくるとは)

 

所々無茶に聞こえるものの、最後には八五郎も納得してしまいます。
これだけの嘘をスラスラ述べてしまうご隠居には驚きです。

 

 

先物取引「客殺し商法」による詐欺

  

さて・・・

 

ご隠居の意のまま、すっかり騙されてしまった八五郎。
思惑どおり、沽券を保つための「カモ」にされてしまったのですね。

もし八五郎が先々でこの話を披露し、大恥をかいてしまったとしても、体面が守られたご隠居には関係ありません。
自分の利益を守るために嘘をついたご隠居は、「詐欺罪」とみなされてしまうのでしょうか。

 


 

 

商品先物取引に関して、いわゆる「客殺し商法」により、業者が顧客から委託証拠金名義で現金等の交付を受けた行為について、詐欺罪の成立が認められた事例があります(最決平成4年2月18日)。

「客殺し商法」とは、外務員の思惑通りに顧客に取引をおこなわせ、顧客に損失を発生させ、顧客への委託証拠金の返還及び利益の支払を免れる商法のこと。
業者が利益を得る一方、客が大きな損失を抱えることになるものであり、業者が意図的に仕掛ける方法です。

 

本件は昭和45年から47年にかけての時期において、商品取引員(顧客からの商品取引所における売買注文を執行するための受託業務をおこなう者)として営業していた株式会社Aの社員らが顧客を勧誘し、総額5000万円に上る委託証拠金の交付を受けた行為に関連して、その幹部、管理職、外務員ら合計11名が詐欺により起訴された事案です。

一審判決は、被告人らが客殺し商法をとることを営業方針としていた点は認められず、具体的な欺罔文言とともに勧誘がおこなわれた4件のみについて詐欺罪の成立を認めました。
これに対して検察側が控訴し、控訴審判決は、検察側の主張を全面的に採用。上記争点に関する原判断を破棄しました。

被告人らが上告したところ、本決定は、原判決の認定した事実関係を摘示した上で、それらの事実に照らせば、被告人らの行為は詐欺罪を構成するとの職権判断を示し、上告を棄却しました(以上、判例タイムズ781号117頁参照)。

本件において、被告人らの用いた「客殺し商法」の手口は以下となります。

 

①勧誘に当たっては、いわゆる「飛び込み」と称し、一定地域の家庭を無差別に訪問して勧誘する方法を採る。

②勧誘対象の多くは、先物取引に無知な家庭の主婦や老人となり、これらの者を勧誘するに際しては、外務員の指示どおりに売買すれば先物取引はもうかるものであることを強調する。

③右の言葉を信用した顧客に対して、外務員の意のままの売買を行わせることとし、具体的には、相場の動向に反し、あるいはこれと無関係に取引を仲介し、しかも、頻繁に売買を繰り返させる。

④取引の結果、顧客の建て玉に利益を生じた場合には、一定の利幅内で仕切ることを顧客に承諾させて、利益が大きくならないようにする一方で、利益金を委託証拠金に振り替えて取引を拡大、継続するよう顧客を説得し、顧客からの利益の支払要求等を可能な限り引き延ばしたりしつつ、それまでとは逆の建て玉をするなどして、頻繁に売買を繰り返させる。

⑤以上の方法により、顧客に損失を生じさせるとともに、委託手数料を増大させて、委託証拠金の返還及び利益金の支払を免れる。

 

 

最高裁は、

「客殺し商法」により、先物取引において顧客にことさら損失等を与えるとともに、向かい玉を建てることにより顧客の損失に見合う利益を会社に帰属させる意図であるのに、自分達の勧めるとおりに取引すれば必ずもうかるなどと強調し、顧客の利益のために受託業務を行う商品取引員であるかのように装って、取引の委託方を勧誘し、その旨信用した被告者らから委託証拠金名義で現金等の交付を受けたものということができる

 

とし、被告人らの本件行為は詐欺罪を構成すると判断しました。

 

(詐欺)
刑法246条1項 人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。

 

 

◇ ◇ ◇

 

ご隠居の嘘にまんまと騙されてしまった八五郎。
かつての恋人に詠んだ歌を落語でネタにされるなんて、ましてや元の影も形もないストーリーにされてしまうなんて・・・
業平もさぞ驚くことでしょう。

 

このように、落語は、熊五郎、八五郎、与太郎あたりが、「ご隠居」や「先生」など年長者の口の上手さに丸め込まれてしまう、という噺が多いですよね。

「客殺し商法」に負けずとも劣らない、ご隠居たちの見事な手法。
あなたなら何と名付けますか?

 

 

 

 

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

法律で読み解く百人一首 62首目

「勘違い」や「間違い」とは、誰にでも起こりうることかもしれません。

気づいた時点で、すぐに軌道修正できれば良いのですが、「勘違い」や「間違い」が修正されないまま進んでゆくと、事態はより複雑になってしまうことも。

自分の間違いであると、他人の間違いであるとに関わらず、途中(あるいは最初から)、それが実は「間違い」であることに気づいたとして、例えばその「間違い」が自分の利益になる場合、

最後まで、それが間違っていることに気づかない振りをして、結果他人を騙し、他人に損害を与えてしまうという事態になったとしたら。。

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 本日の歌  「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも

よに逢坂の 関はゆるさじ」  

清少納言


「よをこめて とりのそらねは はかるとも

よにおうさかの せきはゆるさじ」

せいしょうなごん

 

 

小倉百人一首 100首のうち62首目。
平安時代中期の作家で歌人・清少納言の歌となります。


歌の意味

 

夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き声を真似て、夜が明けたとだまそうとしても、(あの中国の函谷関ならいざ知らず、あなたとわたしの間にある) この逢坂(おおさか)の関(せき)は、決して開くことはありません。

 

夜をこめて
夜が深い(明けない)うちに、の意。

鳥のそらね
鶏の鳴き真似、の意。
鳥は鶏(にわとり)、そらね(空音)は鳴き真似のこと。

はかるとも
謀る(はかる)=だます
とも=逆接の接続助詞「~としても」
「鶏の鳴き真似をしてだます」とは、函谷関(かんこくかん)の故事にまつわるエピソードを指す。

※中国の史記(中国前漢の武帝の時代に司馬遷(しば せん:紀元前145/135年頃~紀元前87/86年頃)によって編纂された歴史書)にある斉の孟嘗君(もうしょうくん)の話。
秦国に入って捕まった孟嘗君が逃亡する際、一番鶏が鳴くまで開かないことになっている函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせ、無事通過できた、という故事。

よに逢坂の関はゆるさじ
よに=決して、絶対に
逢坂の関=逢坂の関と、逢瀬(おうせ・男女が密かに逢うこと)の掛詞。

※逢坂の関は、山城(現在の京都府)と近江(現在の滋賀県)の境にあった関所であり、京都への入り口とされ、古くから交通の要所だった。
逢坂の関を通ることは許さないことと、あなたが私に会いに来ることは許さない、という二つの意味を掛けている。

 

 

作者について

 

清少納言(せいしょうなごん・966頃-1025頃)

平安時代中期の女流作家・歌人で、「梨壺の五人」の一人である清原元輔(908-990年)を父に持ちます。

梨壺の五人とは、天暦5年(951年)村上天皇の勅により、平安御所七殿五舎の一つである昭陽舎(その庭に梨の木が植えられていたことから「梨壺」と呼ばれていました)に和歌所を設け、『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などをおこなった五歌仙(坂上望城(さかのうえのもちき)・紀時文(きのときぶみ)・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔(きよはらのもとすけ)・源順(みなもとのしたごう)を指しました。

彼女自身も、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人に数えられ、『清少納言集』に42首、『後拾遺和歌集』以降の勅撰和歌集に15首入集、また漢学にも通じるなどの才女であったとのことです。平安文学の代表作である、随筆『枕草子』の作者としても有名です。
『枕草子』(まくらのそうし)は、鴨長明の『方丈記』(鎌倉時代)、兼好の『徒然草』(鎌倉時代)と並んで日本三大随筆と称され、執筆時期は正確には判明していないものの、長保3年(1001年)にはほぼ完成したとされています。

なお、「清少納言」の名で知られているところ、これは女房名(貴人に出仕する女房が仕える主人や同輩への便宜のために名乗った通称)であり、「清」は「清原」の姓に由来するとされていることから、「せい・しょうなごん」と区切ることとなります。

また、本名は「清原諾子(きよはらのなぎこ)」とする説もあるところ、実証する一級史料は現存しないことから、「不明」とされているとのことです。

清少納言は、15歳の頃、陸奥守(むつのかみ)・橘則光(たちばなののりみつ)と結婚し一児をもうけたものの、やがて離婚。その後、一条天皇の皇后・中宮定子に仕えました。博学で才気煥発であったため、中宮定子の恩寵を受けたばかりでなく、公卿や殿上人との贈答や機知を賭けた応酬を交わすなどし、宮廷社会に名を残しました。

長保2年(1000年)、中宮定子が出産時に亡くなってまもなく、清少納言は宮仕えを辞め、枕草子を執筆しましたが、その後の清少納言の人生についての詳細は、残念ながら不明となっているとのことです。。

 


 

本日の歌

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
              よに逢坂の 関はゆるさじ

 

この歌の詠まれた背景には、こんなエピソードがあったと言われています。

 

ある夜、藤原行成(ふじわらのゆきなり)が清少納言のもとにやってきて、

「明日の帝の御物忌み(ものいみ:ある期間中、ある種の日常的な行為を控え、穢れを避けること)に籠もらなければ」と話して慌てて帰りますが、翌朝、行成から清少納言のもとに、「鶏の声に急かされてしまいました」などと、言い訳めいた文が届き、これを読んだ清少納言は「それは函谷関の故事にある、鶏の鳴き真似でしょう」(それは、言い訳でしょう)と返事をしました、すると

「関は関でも、中国にある函谷関のことではなく、私たちの間にある逢坂の関のことですよ」と返してきました。

そこで清少納言が返したのが、本日の歌。

「(函谷関の関守のように)鶏の鳴き真似でごまかそうとしても、逢坂の関守は、だまされて関を開くことは決してありません(あなたには絶対逢ってあげません)」
という意味です。

当意即妙に返したこの歌には、中国史のエピソードを始め様々な教養が盛り込まれており、清少納言の知性が光る一首となっています。

なお、清少納言と藤原行成は冗談を言い合うような、気の置けない友人関係だったそうです。

 

 

 

誤振込と詐欺罪

 

さて・・・

さて、中国の函谷関では、孟嘗君の部下が鶏の鳴き真似をして関守をだまし、関所を開かせたことで事なきを得ましたが、他人をだまして金品などを奪ったり、損害を与えたりする行為は、「詐欺罪」に当たります。

このことに関し、自分の銀行預金口座に誤った振込(誤振込)があったことを知った受取人が、それが誤振込である事実を隠して、銀行の窓口担当者に預金の払戻しを請求し、その払戻しを受けた場合、刑法246条にいう「詐欺罪」に当たるかどうか裁判で争われた事例があります(最判平成15年3月12日)。

(詐欺)
刑法第246条
1 人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
2 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

 

ある税理士が、(誤振込を受けた受取人を含む)顧問先からの税理士顧問料等を、集金事務代行業者に委託して徴収していました。

徴収方法は、集金事務代行業者が、税理士の顧問先の各預金口座から、自動引落しの方法により顧問料等を集金し、これを一括して、税理士が指定した銀行預金口座に振込送金するかたちでおこなっていました。

しかし、税理士の妻が、指定振込送金先を、誤振込を受けた受取人の普通預金口座に変更する旨、誤って届出てしまったため、集金事務代行業者は、この届けに基づいて、本来であれば税理士が受取るべき顧問料等を、誤振込を受けた受取人の銀行口座に振り込んでしまいました。

この受取人が、通帳の記帳をしたところ、入金される予定にない(身に覚えのない)、集金事務代行業者からの誤った振込みがあったことを知りましたが、これを自分の借金の返済に充てようと考え、自分の銀行預金口座に誤って振込があった旨を銀行の窓口担当者に告げることなく、現金の交付を受けました。

 

なお、銀行実務においては、振込先の口座を誤って振込依頼をした振込依頼人からの申出があれば、受取人の預金口座への入金処理が完了している場合であっても、受取人の承諾を得て振込依頼前の状態に戻す「組戻し」という手続が執られており、また、受取人から誤った振込みがある旨の指摘があった場合にも、自行の入金処理に誤りがなかったかどうかを確認する一方、振込依頼先の銀行及び同銀行を通じて、振込依頼人に対し、当該振込みの過誤の有無に関する照会をおこなうなどの措置が講じられています。

このような事情もあることから、裁判所は、受取人の義務につき

「銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として、自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には、」

銀行に組戻し等の措置を講じさせるため、
「誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務」があり、

また、
「社会生活上の条理からしても、誤った振込みについては、受取人において、これを振込依頼人等に返還しなければならず、誤った振込金額相当分を最終的にじこのものとすべき実質的な権利はないのであるから、上記の告知義務があることは当然」
だとしました。

その上で、
「誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐偽罪の欺罔行為に当たり、また、誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たるというべきであるから、錯誤に陥った銀行窓口係員から受取人が預金の払戻しを受けた場合には、詐欺罪が成立する。」
とし、受取人は、誤振込である旨、告知すべき義務があるところ、告知をおこなわないことは欺罔行為に当たるとし、詐欺罪が成立すると判示しました。

(詐欺)
刑法第246条
1 人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
2 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

詐欺罪の構成要件とは、

①欺罔行為又は詐欺行為
一般社会通念上、相手方を錯誤に陥らせて財物ないし財産上の利益の処分させるような行為をすること

②錯誤
相手方が錯誤に陥ること

③処分行為
錯誤に陥った相手方が、その意思に基づいて財物ないし財産上の利益の処分をすること

④占有移転、利益の移転
財物の占有又は財産上の利益が行為者ないし第三者に移転すること

 

であり、これら全ての間に因果関係が認められ、また、行為者に行為時においてその故意及び不法領得の意思があったと認められることが必要です。

なお、①の欺罔行為については、積極的欺罔(虚偽の事実を表示する事による欺罔)のみならず、消極的欺罔(真実を告げない事による欺罔)であっても、欺罔行為とみなされます。

今回の事例で言えば、

①受取人が、銀行窓口担当に誤振込があったと言わなかった(欺罔行為・消極的欺罔)ことで

②銀行窓口担当が、受取人の正当な振込金であると判断(錯誤)

③銀行窓口担当が、受取人に誤振込金を交付(処分行為)

④受取人が、誤振込金を受領した(利益の移転)

という因果関係となり、且つ受取人の故意が認められることから、詐欺罪の構成要件を満たすこととなります。

 

記憶に新しいところでは、山口県阿武町が、新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金463世帯分(4630万円)を、誤って一人の男性に給付(誤振込)してしまい、この男性が誤振込金である4630万円全額をオンラインカジノで使用しまった、という事件がありました。

この場合は、男性は銀行窓口で誤振込金の交付を受けたのではなく、ネットバンキングを利用し、オンラインカジノの決済代行業者に振込んだとして、電子計算機使用詐欺罪(刑法第246条の2)に問われることとなりました。

(電子計算機使用詐欺)
刑法第246条の2 
前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、10年以下の懲役に処する。


 

さて、本日の歌

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
              よに逢坂の 関はゆるさじ

 

今では知らない人がいない程、歴史に名を残した才女である清少納言。

からかってきた藤原行成に

「よに逢坂の 関はゆるさじ(逢坂の関守は、だまされて関を開くことは決してありません=あなたには絶対逢ってあげません)」

とは言ったものの、その実、仲が良かったとの噂の行成と清少納言のことですから、この歌が生まれる二人のやり取りはさておき、本当のところは、清少納言が敢えて「だまされて」逢ってあげた、というストーリーも、あり得なくはない、、のではないでしょうか。

それにしてもだまされてしまった側の函谷関の関守。。

一体どんな結末になったのか、気になります。。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー