法律で読み解く百人一首 1首目

自分には解決出来ず、長い間頭を悩ませている問題を
他の人が、あっさり解決してくれた時。
爽快な気持ちになったという経験は、誰にでも一度はあることでしょう。

自分が得意とすることが、他の人にとっては不得意であったり、
また逆に、自分には出来ないことが、他の人にはいとも簡単に出来てしまったり。

人にはそれぞれ、得手不得手があります。
しかしそれもまた、個性の一つと言えるのではないでしょうか。

直面する問題が、自分の人生を左右するものであった場合、自分の代わりにあの人が解決してくれたら、どんなに楽だろう、、と感じることもありますが、時と場合によっては、これが問題になることも。。

 

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】

「秋の田の  かりほの庵の  苫をあらみ

                 わが衣手は  露にぬれつつ」  

天智天皇

「あきのたの かりほのいほの とまをあらみ 

                    わがころもでは つゆにぬれつつ」

                   てんぢてんのう (てんじてんのう)

 

小倉百人一首 100首のうち1首目。
飛鳥時代(592年 – 710年)の天皇・天智天皇の歌となります。

 

歌の意味

 

「秋の田の側に作った仮小屋に泊まったところ、屋根を吹いた苫の目が粗いので、その隙間から、冷たい夜露が忍び込んできて、私の着物の袖をすっかり濡らしてしまっているなぁ」

かりほの庵(仮庵):農作業のための粗末な仮小屋のこと。
秋の刈入れの際には、刈入れた稲が獣に荒らされないよう、ここに泊まって番をすることがありました。

苫:藁(わら)やイグサ等で編んだ「莚(むしろ)」のこと。
寂しさや、侘(わび)しさ、貧しさ等を連想させる語として、歌では多く用いられています。

小倉百人一首100首のうち1首目としても有名なこの歌。
天智天皇といえば、誰もが一度はその名を聞いたことがあるのではないでしょうか。

小倉百人一首の歌番号(和歌番号)とは、実は、歌の詠まれた年代順(古い歌人から新しい歌人の順)に付されており、1首目の天智天皇(626-672)から100首目の順徳院(順徳天皇・1197-1242)まで、およそ550年間にも及びます。 

それ故、本日ご紹介する歌の作者、天智天皇とは、百人一首の登場人物の中では、最も古い時代の歌人となります。

 

作者について

 

天智天皇(てんじてんのう・626-672)

日本の第38代天皇であり、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・なかのおおえのみこ)としても知られています。

43歳で即位し、その在位は10年に及びました。
斉明天皇を母とし、藤原鎌足(中臣鎌足)と共に豪族・蘇我氏を討ち、大化の改新をおこなったことで有名です。

「大化の改新」とは、645年に始まった日本の国政改革。

私有地の廃止、統一的な税制の実施等、中央集権的支配体制の形成を目指したもので、従来の豪族中心であった政治から、大化の改新を境に、天皇中心の政治が始まりました。
そしてここから、「日本」と言う国号、「天皇」という称号、そして日本の最初の元号である「大化」が始まったとされており(それ以前は「天智天皇●年」のように、元号として天皇の名前が付されていました。)、日本の歴史が大きく動き出した転換点といわれています。

天智天皇は、このような偉業を成し遂げた人物であることから、時を経て、百人一首が作られた平安時代においても、日本の基礎を築いた偉大なる天皇として、なお絶大な人気があったようです。

加えて、天智天皇は「万葉集」や「日本書紀」などにもその歌が記されるなど、才能豊かな歌人でもありました。


ところで。

百人一首の歌には、四季が織り込まれていますが、本日の歌に詠まれている季節は、文字通り「秋」となります。
実は、百人一首で詠まれている季節の中では秋が最も多く、その数は16首。
侘び寂びを大切に思う日本人の感性には、もしかしたら秋の持つイメージが一番合うのかもしれません。

「秋の田の  かりほの庵の  苫をあらみ わが衣手は  露にぬれつつ」

改めてこちらの歌を詠んでみると、
周りを田に囲まれ、四方から隙間風が吹き込むほどの、荒れ果てた仮小屋の中心に、衣を冷たい夜露で濡らし、天皇ともあろう高貴なお方が、一人でおられるお姿が目に浮かびます。

あまりにも有名な歌ながら、なんと寂寥感の漂う歌でしょうか。
これは、本当にあの天智天皇が詠んだ歌?
天皇という高貴な身分の方に、この歌のイメージが全くそぐわない。。

というのも、実はこちらの歌
本当の歌人(作者)は天智天皇ではない、というのが通説とされているようです。

ということは、誰かが「天智天皇」になりすまして詠んだ、ということでしょうか?

そこで…

 

 

私文書偽造と事実証明に関する文書

 

「他人になりすます」と言って思い浮かぶことのひとつに、
いわゆる「替え玉受験」があります。

「替え玉受験」とは、大学入学選抜試験において、別の人物が受験者本人に成りすまして試験を受けるというもの。
つまり、入学試験において、受験者本人名義の試験の答案を、別の人物が本人に成り代わって作成し、それを本人が作成したものとして提出する行為とされています。

 

この「替え玉受験」は、受験者本人と、別の人物である答案作成者双方の合意の上でなされる行為であるところ、本人の承諾を得た上で、別の人物が答案を作成したとしても、文書偽造に当たるのでしょうか。

受験者の代わりに、「替え玉」受験生が答案を作成して、受験者のものとして提出したことが、有印私文書偽造、同行使に該当するか否かが争われ、この入学選抜試験の答案が、刑法159条1項にいう「事実証明に関する文書」に当たるかどうかが問題となった事件があります(最三小決平成6年11月29日)。

(私文書偽造等)
刑法159条1項
「行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造した者は、3月以上5年以下の懲役に処する。」

 

この事件で、最高裁は

「本件入学選抜試験の答案は、試験問題に対し、志願者が正解と判断した内容を所定の用紙の解答欄に記載する文書であり、それ自体で志願者の学力が明らかになるものではないが、それが採点されて、その結果が志願者学力を示す資料となり、これを基に合否の判定が行われ、合格の判定を受けた志願者が入学を許可されるのであるから、志願者の学力の証明に関するものであって、「社会生活に交渉を有する事項」を証明する文書(最高裁昭和33年9月16日)に当たると解するのが相当である。したがって、本件答案が刑法159条1項にいう事実証明に関する文書に当たる」

と判断しました。

大学入学選抜試験の答案は、受験者の学力の証明に関する文書であって、
いわば受験者本人であることを証明するもの。

入学試験の結果は、その時の、受験者本人自身の学力を示す資料であり、答案の作成者は本人であることが前提とされていることから、本人以外の作成は認められておらず、「社会生活に交渉を有する事項」を証明する文書に当たります。
これはすなわち、刑法159条1項にいう「事実証明に関する文書」に当たるとされ、例え本人から承諾を得たとしても、他人が本人になりすまして作成した入学選抜試験の答案は偽造された文書となり、「替え玉受験」は私文書偽造罪に当たるとされたのです。

 

◇ ◇ ◇ 

 

本日の歌
「秋の田の  かりほの庵の  苫をあらみ わが衣手は  露にぬれつつ」

本来は万葉集の「詠み人知らず」の歌であったものが、天智天皇の歌とされたのは
「天智天皇は、貧しさに苦しむ庶民の姿と、ご自分のお姿を重ね合わせ、庶民と苦しみを分かち合ってくださっている、、」
というお話が伝わるうちに、いつしか、この歌は実際に天智天皇が詠まれた歌であるとの噂が広まったからだと言われています。

また一説には、天智天皇が御所の庭を散歩されていたところ、庭の草花にかかる露をご覧になり、「この夜露では、さぞかし庶民もつらい思いをしているだろう」と、庶民に思いを馳せられ、天智天皇自らこの歌を詠まれたのだとも伝えられています。

 

素晴らしい歌とは、時代を超えて、人々の心に響くもの。

「詠み人知らず」である一庶民が、もし、天智天皇の承諾を得た上で、天智天皇の歌としてこの歌を世に出したのだとしたら。。

そんな想像をしてみるのも、また歴史の楽しさのひとつかもしれません。

 

  文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

六法全書クロニクル~改正史記~平成7年版

平成7年版六法全書

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
製造物責任法(平成6年法律第85号。通称:PL法)
があります。

「製造物」の「欠陥」が原因で損害を被った場合に
被害者が「製造業者等」に対して損害賠償を求めることができる
ことを規定した法律です。

損害賠償を求めようとする場合、一般的には
民法709条(不法行為による損害賠償)の規定

故意又は過失によって
他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、
これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

によることになるのですが、

この場合、被害者(ユーザー)は、加害者(メーカー等)に故意・過失があったことを証明しなければなりません。

しかし、専門知識のない消費者が、故意・過失を証明することは、困難です。

そこで、損害賠償責任を追及しやすくするために、
「製造業者等に過失(主観的要件)があったこと」ではなく、
「製造物に欠陥(客観的要件)があったこと」を証明すれば、
損賠賠償を認めることとしたのが、PL法です。

 

もう少し具体的に言うと、
「メーカーの設計や製造過程にミス(過失)があって、損害が生じた」
ことを証明しようとした場合、

メーカー側が
「自分たちは十分に注意して作っていた、結果的に損害が生じたとしても、自分たちのせいではない」と言い張ると、

被害者側としては、
「メーカーが十分注意していなかった証拠」を提出しなければならないのです。

しかし、「注意していなかった証拠」と言われても、難しいですよね…
(工場で製造過程をずっと見張っていた訳でもないですし。)

一方、「製品に欠陥があったこと」の証明であれば、実際にその製品を示して
ここに突起がある、
だから刺さってケガをしたんだ、
などと欠陥(安全性を欠いていること)を証明しやすいと思いませんか?

そのような方法で、消費者側の保護を図っているのです。

先ほどもお伝えしたとおり、この法律の対象となるのは「製造物」の「欠陥」が原因で損害を被った場合で、損害賠償の相手方となるのは「製造業者等」ですが、
「製造物」とは、「製造又は加工された動産」のことで、不動産や電気、ソフトウェア、未加工の農林水産物は対象となりません。

「欠陥」とは、「通常有すべき安全性を欠いていること」で、
いろいろな事情を総合的に考慮して判断されます。


さて、「欠陥」の分類の一つに「指示・警告上の欠陥」という類型があります。
製造物から取り除くことが不可能な危険がある場合に、その危険に関する適切な情報を与えなかったときなどがこれに当たるとされています。
例えば、取扱説明書の記述に不備がある場合などが該当します。

PL法施行以降、例えば製品を包んでいるビニール袋に
「被らないでください。窒息のおそれがあります。」などと、
どうしてこんな注意書きが?
普通、そんなことはしないのでは?
と不思議に思うような注意書きが書かれているのを、よく見かけるようになりました。

あれは、この「指示・警告上の欠陥」をなくそうとしているせいなのですね。

しかし、あまりにもたくさん注意書きが書いてあると、かえって読むのが困難になったり面倒くさくなったりして、事故につながってしまうような気さえします。

製造者側としても、訴訟リスクを考えると、記載せざるを得ないのでしょうが…
本当に必要な注意がきちんと消費者に届くよう、そこにも注意を払っていただきたいものです。

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものとして、
商法(明治32年法律第48号)
があります。
(平成6年法律第66号「商法及び有限会社法の一部を改正する法律」による改正) 

この時の改正の目玉は「自己株式取得の緩和」でした。

株式会社は、自分が発行した株式を取得し、所有することができます。
これを「自己株式」というのですが、実はこの平成6年改正より前、日本の商法はごく例外的な場合(合併のときなど)を除き、原則として自己株式の取得を禁止していました。

というのも、自己株式の取得を認めれば以下のデメリットがある
と考えられていたからでした。

①「資本維持の原則(※)」に反するおそれがある
(※:株式会社を立ち上げる時、出資を募って資本金を集めますが、この集めたお金を、別のことに使ってしまわず、会社に維持しておかなければならないという原則)

②相場操縦やインサイダー取引に利用されるおそれがある

③「株主平等の原則」に反するおそれがある
(特定の株主からだけ自社株を買うと、それ以外の株主との関係で不公平になることもある)

④経営者が、会社のお金で自己株式を買って多数派工作をおこなうなどの、不正に使われるおそれがある

他方、経営側の立場からは、弾力的な企業経営のために自己株式の取得を認めてほしい、という要求がかねてからなされていました。

ごく単純化すると、自己株式の取得には、

会社が自己株式を買う
 ↓
市場に出回るその会社の株式の数が、その分少なくなる
 ↓
計算上、その会社の1株当たりの利益が増える
(自己株式には利益が配当されないため、計算から除外される。割る数が小さくなるので、利益の額が変わらなくても、計算結果(商)は大きくなる。)
 ↓
「会社の業績が良くなった」ように見えるので、株式市場で、その会社の株価が上がる

というメリットもあるのです。

先ほども述べたとおり、日本の商法はこのうちデメリットの方を重く見て、自己株式の取得をほとんど認めてきませんでした。
しかし、1990年代にバブル崩壊によって急激に株価が下がったことなどもあって、株式市場活性化の観点から、取得を緩和する方向に舵がきられたのでした。

 

平成6年の改正では、自己株式の取得・保有について、原則的には禁止を維持しながら、例外的に取得できる事由を、新たに4つ追加しました。

1. 使用人(従業員)に譲渡するための取得
2. 消却(株式を消滅させること)目的の取得
3. 閉鎖会社(その株式が市場で流通しない会社)の自己株式消却の特例
4. 有限会社の自己持分の取得

このうち、特に注目を集めたのは、1.と2.でした。
1.は従業員持株制度を後押しするためのもの、
2.は先ほどメリットの点で説明した、株式の数を減らし、1株当たりの利益を上げるためのものです。

ただ、
1.では、保有期間を6か月に限定
2.では、株主総会決議が必要とされた
などの制限がかけられていたことから、これら制度の利用は限定的なものにとどまりました。

そのため、その後も
・平成9年のストックオプション制度導入
・平成13年の金庫株(自己株式を消却せずに金庫にしまっておき、株価が上がったらまた市場に放出する)の解禁
などの改正が重ねられることとなりました。

しかし、そうではあっても、この平成6年商法改正は、それまで厳格な姿勢を崩そうとしなかった商法が初めて経営側に歩み寄った、画期的な改正であったと評価されています。

日常的に株取引をされている方には常識なのかもしれませんが、そうでない方にとって、“会社が自分の株を買う”というのは、あまり馴染みのない事象ではないでしょうか。
“自分で自分に出資する”なんて、(言葉が適切かどうか分からないのですが)なんだかマッチポンプ?のような印象を受けます。

今も一定の規制は残っているようですが、これまでお伝えしたように、ある程度会社の利益を多く見せる、といった操作もできてしまうようです。
そんなことができるのを知らないと、やけどすることにもなりかねません。

生活していく上で、法律の知識って大切なんだな、と思います。