法律で読み解く百人一首 20首目

人生とは、会者定離。

出会いがあったならば、別れる時は必ずやって来ます。
しかし「その時」が、「いつ」なのかは、当人たちでさえ予測もつきません。

別れの原因とはさまざまありますが、いずれも相手があってのこと。

別れるべきか?別れぬべきか?
自分の気持ちはどうあれ、自分勝手に結論を出すわけには行かないようです。

 

そこで、本日ご紹介する歌は・・・

 

 本日の歌  「わびぬれば 今はた同じ 難波なる

みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」  

元良親王


「わびぬれば いまはたおなじ なにはなる

みをつくしても あはむとぞおもふ」

もとよししんのう

 

小倉百人一首 100首のうち20首目。
平安時代前期から中期にかけての皇族・歌人である、元良親王の歌となります。

 

歌の意味

 

(あなたにお逢いできなくて) このように思いわびて(思い悩んで)暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。 いっそのこと、あの難波の、澪標(みおつくし)のように、この身を捨てても、お会いしたいと思っています。

 

わびぬれば(侘びぬれば):
思い悩んでいると

難波(なにわ):
難波潟(なにわがた・大阪湾の入り江のあたりの遠浅の海)

みをつくし(みおつくし):
「身を尽くし(身を捧げる)」と、「澪標(みおつくし)」の掛詞

※澪標=船の航行の目印にたてられた杭のことで、難波潟を印象づけるものとなっています。

 

 

作者について

 

元良親王
(もとよししんのう・寛平2年(890年)- 天慶6年(943年))

平安時代前期から中期にかけての皇族・歌人で、官位は三品・兵部卿です。

*三品/日本の律令制において定められていた親王・内親王の位階「品位(ほんい)」のひとつで、一品(いっぽん)から四品(しほん)まで存在する。
*兵部省(ひょうぶしょう、つわもののつかさ)/かつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関。兵部卿は、兵部省の長官。親王等の皇族がこの官職に就任することも多いとのこと。

陽成天皇の第一皇子として生まれた元良親王。
父の陽成天皇は日本の第57代天皇でありましたが、僅か9歳で父・清和天皇から譲位され、17歳(満15歳)で退位しました。

幼少であった陽成天皇には、奇矯な振る舞いが見られたともいわれています。
それが原因かどうか定かではありませんが、次期天皇には長老格の皇族へと継承されることになり、数々の議論が交わされたのち、最終的には、第一皇子の元良親王ではなく、藤原基経の推薦により、仁明天皇の皇子(陽成天皇の祖父・文徳天皇の異母弟)である大叔父・時康親王(光孝天皇)が884年、55歳で即位することになりました。

このような経緯で、元良親王は、本来ならば帝位につく立場ではありましたが、惜しくも天皇になることは叶いませんでした。

また、元良親王は、風流で好色な皇子として名高く、それについては『大和物語』や『今昔物語集』に逸話も残っているようですが、特に有名なエピソードとして、時の権力者である宇多法皇の御息所(妃)である、京極御息所(きょうごくのみやすんどころ)=藤原時平の娘・藤原褒子(ほうし)との恋愛が知られています。

なお、この藤原褒子、『俊頼髄脳』によると、当初、醍醐天皇に入内する予定だったところ、その父である宇多法皇に見初められて、そのまま宇多法皇に仕えることとなったらしい、とのことですので、とても美しい女性だったのだと思われます。

 

元良親王について、『今昔物語集』には、以下のように記されています。

「今は昔、陽成院の御子に、元良親王と申す人御座しけり。極じき好色にて有りければ、世に有る女の美麗なりと聞こゆるには、会ひたるにも未だ会はぬにも、常に文を遣るを以て業としける。」

(意味)
今は昔、陽成天皇の御子に元良親王と申す人がいらっしゃった。大変な色好みであったので、世間で美人と噂がある女性には、会ったことがある女性にも、まだ会ったことのない女性にも、常に恋文を送ることを仕事のようにしていた。

 

世間で美人との噂があれば、会ったことがあってもなくても、恋文を送ることを仕事のようにしていた、とは驚きますね。。

 

また、『徒然草』にも

元良親王が、よく通る美しい声をしており、元日の奏賀(元日の朝賀の儀で、諸臣の代表者が賀詞を天皇に奏上すること)の声は非常にすばらしく、大極殿から鳥羽の作道までその声が響き渡ったと聞こえた

 

と紹介されており、
元良親王は、恋多き事のみならず、美声もまた有名であったようです。

加えて、『後撰和歌集』には7首、以降の勅撰和歌集も含めると和歌作品20首が入集し、『元良親王集』という歌集も後世になって作られるほど、歌の上手さもまた、有名でありました。

 


 

本日の歌

わびぬれば 今はた同じ 難波なる
              みをつくしても  逢はむとぞ思ふ

 

この歌について、後撰和歌集の詞書(ことばがき:和歌の前書き)には、

「事出できてのちに京極御息所につかはしける」
(元良親王と京極御息所の関係が世間に知られてから後に、元良親王が使者に持たせて京極御息所に贈った歌)

とあり、先ほどの、京極御息所(=宇多天皇の妃・藤原褒子)との道ならぬ恋が露見してしまった後に、元良親王から京極御息所に送られた歌であるとされています。

そして、二人の恋が世間に広まってしまった後
京極御息所については、宇多法皇の寵妃として権勢を振るい、宇多法皇亡き後、晩年は仁和寺で出家した、とされています。

 

ということは…

結局、この歌が元良親王から京極御息所に捧げられた後、元良親王との恋は悲しくも終わりを迎えてしまったということになりますね。。

 

 

 

 

有責配偶者からの離婚請求

 

さて…

結婚とは、始まりであり、スタートラインに立つことである、とも言われておりますが、結婚後の二人の行く先には、どのような未来が待ち受けているのでしょうか。

結婚が生涯一度で終わる人、あるいは複数回となる人など、「結婚」には多種多様なかたちがあります。例えば宇多法皇と京極御息所のように、途中世間に知られるほどのスキャンダルが起きてしまった場合であっても、最後まで離婚しない、というケースもあります。

結婚が、双方の合意により成立するように、離婚についてもまた、双方の合意で成立すれば問題ないのですが、話合いを経ても合意に至らなかった場合、最終的には裁判をすることになります。 

離婚の原因が、例えば一方の配偶者が不貞行為をしたことによるものであった場合、不貞行為をされた側が、離婚を請求するというのであれば理解できますが、逆に、不貞行為をした側(非のある側)から、された側(非のない側)の配偶者に対し、離婚請求をすることはできるのでしょうか。

 


 

夫婦間において、不貞行為をした配偶者のように、離婚原因を作った側の配偶者のことを「有責配偶者」といいますが、有責配偶者の側から離婚請求を出来るかどうかについて、裁判で争われた事例があります。

有責配偶者である夫が、不倫をした末に、妻と居住していた家を出て、不倫相手と住むようになり、その後、不倫相手と結婚したいがために、夫から妻に対し離婚請求をしたという事例です(最大判昭和62年9月2日)。

昭和12年2月、夫と妻は婚姻届を提出して、夫婦となりましたが、二人には子どもがいなかったため、昭和23年12月、養子を迎えることになりました。
それまで夫婦は平穏な結婚生活を送っていたものの、夫が養子の母親と不貞関係にあることが発覚した昭和24年頃、二人の関係は悪化し、同年8月、夫は家を出て不倫相手と住むようになり、以来、夫婦は別居状態となっていました。
その後、夫は不倫相手との間に2人の子をもうけ、昭和29年認知をしました。

夫は二つの会社の社長であり安定した生活、一方妻は人形店に勤務して生計を立てていましたが、無職となり、生活に困窮するようになりました。

夫は、不倫相手との結婚を希望していたため、昭和26年、東京地裁に対し、離婚の訴えを起こしましたが、婚姻関係の破綻は夫に原因がある(有責配偶者である)として棄却され、さらに昭和59年東京家裁に対し、離婚の調停を申し立てましたが、これも成立しなかったとして、本件に至りました。
この時、夫は74歳、妻は70歳となっており、別居後、既に36年が経過していました。

 

民法では、以下の場合、離婚の訴えを提起することができると定められています。

 

(裁判上の離婚)
第770条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
1 配偶者に不貞な行為があったとき。
2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。

 

このうち「5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。」が問題となりましたが、本件につき、裁判所は有責配偶者である夫からの離婚を、事情を総合的に判断した上で、「認める」としたのです。

なお、有責配偶者からの離婚請求が認められる場合の要件として、裁判所は以下のとおり判示しました。

「そこで、五号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において、当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たつては、有責配偶者の責任の態様・程度を考慮すべきであるが、相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、別居後に形成された生活関係、たとえば夫婦の一方又は双方が既に内縁関係を形成している場合にはその相手方や子らの状況等が斟酌されなければならず、更には、時の経過とともに、これらの諸事情がそれ自体あるいは相互に影響し合つて変容し、また、これらの諸事情のもつ社会的意味ないしは社会的評価も変化することを免れないから、時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないのである。
 そうであつてみれば、有責配偶者からされた離婚請求であつても、夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、その間に未成熟の子が存在しない場合には、相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、当該請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできないものと解するのが相当である。」

 

本判決以前は、以下の判例に代表されるように、夫が不倫関係にあったことが原因で妻との婚姻関係継続が困難になった場合、有責配偶者である夫からの離婚請求は認められていませんでした(最判昭和27年2月19日)。

「論旨では本件は新民法770条1項5号にいう婚姻関係を継続し難い重大な事由ある場合に該当するというけれども、原審の認定した事実によれば、婚姻関係を継続し難いのは上告人(夫)が妻たる被上告人を差し置いて他に情婦を有するからである。上告人(夫)さえ情婦との関係を解消し、よき夫として被上告人(妻)のもとに帰り来るならば、 何時でも夫婦関係は円満に継続し得べき筈である」


「結局上告人(夫)が勝手に情婦を持ち、その為め最早被上告人(妻)とは同棲出来ないから、これを追い出すということに帰着するのであつて、もしかかる請求が是認されるならば、被上告人(妻)は全く俗にいう踏んだり蹴たりである。法はかくの如き不徳義勝手気儘を許すものではない。道徳を守り、不徳義を許さないことが法の最重要な職分である。総て法はこの趣旨において解釈されなければならない。」

 

しかし、本判決以降、

「有責配偶者の責任の態様・程度を考慮」し、

「相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情」

「離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、別居後に形成された生活関係、たとえば夫婦の一方又は双方が既に内縁関係を形成している場合にはその相手方や子らの状況等」

を斟酌したうえで、

「夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び」

「その間に未成熟の子が存在しない場合」

「相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り」

有責配偶者からの離婚の請求を
「有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできない」

とし、事情を総合的に判断した結果、有責配偶者からの離婚を認容する可能性もある、との判断がされました。

この判決により、有責配偶者からなされた離婚請求について、従来の判例を変更し、新しい判断がなされたとされています。

 


 

本日の歌

わびぬれば 今はた同じ 難波なる
              みをつくしても  逢はむとぞ思ふ

 

京極御息所との恋が終わった後、元良親王の次なる恋の行方について、詳細は不明ですが、何といっても「極じき好色にて有りければ、世に有る女の美麗なりと聞こゆるには、会ひたるにも未だ会はぬにも、常に文を遣る」御方とのことですから、

おそらく、「相当の長期間」思い悩んだりすることもなく、次なる恋へ進まれたのではないかと、勝手ながら想像しておりますが、いかがでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

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