ひまわり観察日記-2021-②

東京オリンピックが開幕し、
日々猛暑のなかで戦うアスリートには頭が上がらない今日この頃です。

 

そんな中、弊所のひまわりも暑さと戦っておりましたが・・・
4年目にして、初めて壁にぶつかってしまいました。

 

 

なんだか、今一つ元気がないような・・・

いつもは室内で過ごしている植木鉢ですが、この事態を受けて急遽ベランダへ。
場所柄、日光にあてるのは難しいのですが、しばらくこの状態で様子を見ることに。

 

◇ ◇ ◇

 

後日、再び様子を伺うと・・・

うーん・・・

 

芽が出ない・・・
種が開いた形跡があるため、根付かず枯れてしまったものもあるようです。

種に元気がなかったのか、
土との相性が悪かったのか、
室温が低かったのか、

 

原因は分かりませんが、このまま諦めるわけにはいきません。

 

今年もひまわりを傍らに夏を乗りきるため、
他の植物の植木鉢にも種をまいてみました。

すると、

 

芽が出てきました!

 

何故だか分かりませんが、良い方に転んだようです!
やはり土があわなかったのでしょうか。。

ひとまずは他の植木鉢に居候してもらい、
順調に育った際には元の場所に戻そうと思います。

 

ひとまず危機は乗り越えられたようですので、
また引き続き全力で観察していきたいと思います!

ひまわり観察日記-2021-①

久しぶりの更新となってしまいました。

気付けば2021年も既に折り返し地点。
あっという間に年末を迎えてしまいそうな恐怖感がありますが、
東京オリンピックも応援しつつ、下半期も全力で駆け抜けたいものです!

そんな中、弊所では毎年の恒例行事、ひまわりの種まきをいたしました。

 

◇ ◇ ◇

 

お馴染みのミニひまわり、「小夏」と「夏物語」の2種類です。

大きな一輪のひまわりも素敵ですが、
ミニひまわりのサイズ感や可愛らしさも、特にお部屋で育てる場合は良いのではないかしら、と個人的に思っております。

 

そして、今回の土はこちら。

ここ2年程、植物まわりの虫が気になっていたので
それが防げるといいなと思い、新しい種類を購入してみました。
(粒状なので扱いやすく、部屋で作業していても汚れにくかったです!)

 

さらに、毎年の相棒。

 

種まきも4年目になりますので、始めてしまえばあっという間。
植木鉢に土を入れたら、いつもの要領でまいていきます。

 

↓こちらが夏物語で

 

↓こちらが小夏。

過去に弊所のひまわりブログを読んでくださったことがある方は
お分かりかと思いますが、
(まだの方はこちらからどうぞ☞ 2018年2019年2020年

この青色は「キャプタン」という殺菌剤で、ひまわりを病気から守るためのものです。誤食防止のため、このように絶対食べなさそうな色がつけられています。

 

このような感じで、間隔をあけて蒔いていき

上から1センチ程土をかぶせたら、完了です!

もちろんお水も忘れずに。

 

どちらが何の種類か忘れないように、今年はラベルも貼りました。


手前が夏物語、奥が小夏です。

 

例年よりやや遅めのスタートですが、
今年もしっかり観察していきたいと思います!

六法全書クロニクル~改正史記~平成11年版

平成11年六法全書

平成11年版六法全書

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
種苗法(しゅびょうほう、平成10年法律第83号)
があります。

1991年に改正された植物の新品種の保護に関する国際条約(略称:UPOV条約)を踏まえて、旧種苗法 (農産種苗法、昭和22年法律第115号)を全部改正する形で制定されました。

近年、日本で開発されたイチゴやブドウ、サツマイモなどのブランド品種が海外に流出し、無断栽培され流通していることが問題となっています。
ニュースで流れたりと、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、この問題に関連して種苗法を取り上げてみたいと思います。

まずは、どんなことを定めた法律なのか、見ていきましょう。


種苗法は、一言で言えば、農作物などの種苗の開発者の権利を守る法律です。
開発者の権利を守ることにより、新品種の開発を促進し、農業の発展に寄与することを目的としています。

今までにない新しい品種を開発した場合、その品種の開発者は、品種登録をすることができます。
品種登録すると、知的財産権である「育成者権」が発生し、育成者権者は、一定期間に限り、新品種の種苗を販売する権利を独占することができます。
いわば、農産物に関する特許権や実用新案権のようなものです。

育成者権の保護期間は、
品種登録後、最長25年間(果樹等の木本は最長30年間)です。
(期間経過後は、一般品種となり、誰でも自由に使うことができます。)

登録品種の保護のための措置として、以下の規定がされています。

【民事上の措置】
• 育成者権が侵害された種苗や収穫物等の流通の差止め
• 育成者権の侵害によって発生した損害の賠償請求

【刑事罰】
• 個人:10年以下の懲役、1千万円以下の罰金(併科可能)
• 法人:3億円以下の罰金

しかし、改正前の種苗法では、正規に販売された後の登録品種の海外への持ち出しは違法ではなかったため、日本の登録品種が海外に流出し、海外が産地化して、本家である日本の農産物の輸出が阻害されるような事態が生じていました。

 

代表的なのが、高級ブドウ「シャインマスカット」です。
甘みが強く、食味が優れ、皮ごと食べられる大粒の果実が人気で、
もともとは国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)が2006年に品種登録したものです。農研機構が交配等を始めたのは1998年で、18年かけて開発した品種でした。

これが、中国や韓国へ流出し、無断で栽培されて、中国や韓国国内で流通しているばかりか、国外へも輸出されていることが確認されています。
シャインマスカットは、日本から東南アジアなどへ輸出されているのですが、
日本産に比べて安価な中国・韓国産のものが出回り、輸出拡大の阻害要因になっているのです。

このようなことは、日本の農業関係者の長い間の努力に「ただ乗り」する行為であって、日本の付加価値の高い農業の力を弱めることになります。
そこで、このような事態を防止するため、政府が対策に乗り出し、種苗法が改正されることとなったのです(2020年12月2日成立)。

 

主な改正内容は、以下となります。

①輸出先国又は国内栽培地域を指定できるようにする
②育成者権者が利用条件(国内利用限定、国内栽培地域限定)を付した場合は、利用条件に反した行為を制限できることとする
③登録品種には、登録品種であること、利用制限を行った場合はその旨の表示を義務付ける
④登録品種については、自家増殖にも育成者権者の許諾を必要とする

この法改正には、懸念の声もありました。
特に、上記④の自家増殖(正規に新品種を購入した農家が収穫物から種子を採取して翌シーズンの作付けをすること)については、これまでは許諾は不要だったため、農家の負担が増えるとの不安の声があります。

これについて、農水省は、

○自家増殖を行っている農業者から海外に流出した事例があり、増殖の実態を開発者が把握する必要があること
○許諾手続は、団体等がまとめて行うことも可能であるし、ひな形を配布するため、過度に事務負担が増加することは想定されない

などと説明して、理解を求めています。

 

せっかく苦労して開発したブランド品種が、「ただ乗り」されるのは、やっぱりもったいないですよね。
開発者の権利を守ることが、品種開発のインセンティブとなり、消費者にとっても利益になると思われますので、きちんと開発者の権利が守られるようにしてほしいなと思います。

一方で、それを栽培しようとする農家に過度の負担がかかってしまうと、栽培が広がらず、人気も出ず、結局は開発者にも消費者にもマイナスになってしまうと思います。
なにごともそうですが、バランスが大切ですね。
今後も、法改正を繰り返して、「よい加減」を探っていく必要があるのかもしれません。

【参考:農林水産省HP

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
地方自治法(昭和22年4月17日法律第67号)
があります。

平成10年の改正では、以下の点が変更されました。

○特別区を「基礎的な地方公共団体」として位置付け
○特別区の自主性・自立性の強化
○都から特別区への事務の移譲(清掃事務等)

この「特別区」についてはご存知でしょうか?

特別区(とくべつく)は、日本の地方公共団体の一種です。
制度創設当初から現在(2021年1月)まで、東京都区部である東京23区のみとなっています。
(ただし、2013年の法改正により、東京都以外の道府県であっても、
「人口250万人以上の政令市、または政令市と同一道府県内の隣接市町村の人口の合計が200万人以上」
ならば特別区に移行することができるようになっています。)

このような特別区制度の特殊性は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に
東京府と旧東京市が、戦時法令である旧東京都制の施行に伴って合併し、
東京都が設置されるに至ったことに起因しています。

権限は、基本的には「市町村」に準ずるものとされ、「市」の所掌する行政事務に準じた行政権限が付与されています。
しかし特別区は、「法律または政令により都が所掌すべきと定められた事務」および「市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務」を処理することができません。

具体的には、特別区は上下水道・消防などの事務に関しては単独で行うことができず、「都」が、東京都水道局、東京都下水道局、東京消防庁などを設置しておこなっています。
また都市計画や建築確認についても、一定規模以上のものについては、都が直接事務をおこなっています。

今回の改正までは、清掃事業も都の業務とされており、東京都の行政機関である「東京都清掃局」がこの地域の清掃事務を統一的におこなっていたのが、各特別区および東京二十三区清掃一部事務組合に移管されました。

 特別区は、制度創設から長らく、東京都の「内部的団体」と位置付けられ、日本国憲法93条2項の「地方公共団体」に当たらないと解されてきました。
地方自治法の制定時には「基礎的自治体」と位置付けられましたが、従来から都が処理していた事務の多くは引き続き都がおこなうこととされていました。
1952年の法改正によって再び「都の内部機関」に改められ、特別区の自治権は大幅に制限され、
さらに今回の法改正で、「基礎的自治体」としての地位を回復しました。
このような歴史的な経過があり、その地位や権能は、今後も法律によって左右される可能性があることから、日本国憲法において地方自治権を保障されている市町村とは、比べ物にならないほど脆弱だと考えられているそうです。

東京23区が共同で組織する公益財団法人特別区協議会は、
「特別区制度そのものを廃止して普通地方公共団体である「市」(東京○○市)に移行する」という形での完全な地方自治権の獲得を模索しているそうです。

かなり長い間、東京23区に住んでいますが、
こんなふうに、「市」と「特別区」が違っていて、
「特別区」が「市」になりたがっているとは、知りませんでした。
住民として、特に不便を感じたことはなかったのですが、
もしも行政の無駄や非効率が生じているのであれば、
時代の要請に沿うよう、柔軟に変えていってほしいものです。

【参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』東京都HP

法律で読み解く百人一首 19首目

 

かつて、図らずもバラバラに分割される運命となってしまったものの、
昨年2019年、100年ぶりに一堂に会する事となり話題になった、国宝級の絵巻物「佐竹本三十六歌仙絵巻」。

鎌倉時代に制作されたもので、当初は上下2巻の絵巻物となっており、各巻に18名ずつ、計36名の歌人の肖像が描かれていました(絵の筆者は藤原信実・ふじわらのぶざね(1176年 – 1265年)、書の筆者は当ブログ91首目にてご紹介した、後京極良経・ごきょうごくよしつね(1169年 – 1206年)であるとも言われています。)。

以降、この絵巻物が佐竹侯爵家に伝来したことから、
「佐竹本」との名で呼ばれています。

 

明治維新以後、多くの大名家が没落する中、佐竹侯爵家も例外ではなく、収入源を失い、家宝を売却しなければ生き残ることができなくなってしまいました。

こうして、止む無く手放されることとなった貴重な絵巻物は、その後、数奇な運命を辿ることとなります。

次々に絵巻物の所有者が変遷する中、日本は戦争の時代へと突入。
社会における経済状況も、次第に悪化の一途を辿り、この大変高価な美術品は、我が国においては、個人の財力では、到底購入することができないものとなってしまったのです。

このままでは、国の宝とも言うべき貴重な絵巻が、海外へ流出するという危険が生じてしまう…

こうした危機的な状況の中、最悪の事態を防ごうと、
1919年12月20日、美術品コレクター・実業家である益田鈍翁の提案により、
「佐竹本三十六歌仙絵巻」は歌人ごと、バラバラに切り離され、それぞれが別々の所有者のもとで、所有されることとなりました。

いわゆる「絵巻切断事件」です。

絵巻が分割されるにあたっては、誰もが欲しい人気の歌人(逆に不人気の歌人も)がおり、果たして誰がどの歌人を手に入れるか、くじ引きによる抽選がおこなわれました。(実は、この提案をした益田鈍翁本人は、最も人気のない「僧侶」の絵が当たってしまい、すっかり不機嫌になってしまったとのこと・・・。一気に気まずくなった雰囲気の中、一番人気の「斎宮女御」を引き当てた古美術商が交換を申し出てくれたおかげで、益田氏のご機嫌も直り、その場もなんとか収まった、という裏話もあるようです。)

こうして海外流出の難を逃れた歌人たちは、
全国へと散らばることで、生き延びてゆきます。

その後、日本はさらなる戦争の混乱へと突き進むことになりました。

そして、それに伴う経済状況の悪化により、歌人たちの絵は、時代に翻弄されつつも、様々に所有者が変遷し、美術館や個人の手へと渡ることとなったのです。

 

そんな事件から、昨年でちょうど100年。
恐らく今後二度とないであろう、36人の歌仙たちの貴重な再会となったのでした。

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】
「難波潟 みじかき芦の ふしの間も

             逢はでこの世を 過ぐしてよとや」

伊 勢

「なにはがた みじかきあしの ふしのまも

                 あはでこのよを すぐしてよとや」

い せ

小倉百人一首 100首のうち19首目。
本日ご紹介するのは、百人一首に一番多く収められている
「恋」の歌の一つとなります。

 

 

歌の意味

「難波潟の短い芦の節と節の間ほどの短い時間でも、あなたに会いたいのに、
あなたはもう、会わずにこの世を過ごせとおっしゃるのですか?」

難波潟とは、現在の大阪市上町台地の西側に広がっていた、大阪湾の入り江あたりの、遠浅の海のこと。
旧淀川の河口にあたり、昔は干潟が広がり、芦が生い茂っていました。

現在は開発が進み、かつての干潟を見るのは難しいようですが、
大阪市・淀川の下流、長江橋のあたりには、辛うじて風景が残っているとのこと。

芦とは、現代でこそあまり馴染みがありませんが、古くから、水辺に生える芦に多く歌が詠まれております。
特に難波潟の芦は有名で、様々な歌に詠まれているようです。

 

 

作者について

 
伊勢(いせ・872-938)

平安時代の代表的な女流歌人であり、三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとり。

宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受け、その皇子を生んだことで「伊勢御息所」と呼ばれます(御息所・みやすどころとは天皇の子を生んだ女性のこと)。
しかしその皇子は、儚くも5歳で夭折。
その後、伊勢は宇多天皇の皇子敦慶(あつよし)親王と結婚して娘・中務(なかつかさ・後に女流歌人として活躍)を生みます。
彼女は情熱的な恋歌で知られ、”紀貫之と並び称されることもあった”というほどの才能の持ち主でした。

特に家集「伊勢集」は、
「和泉式部日記」などの後の女流日記文学の先駆けとされているほど。

この伊勢こそ、「佐竹本三十六歌仙絵巻」に描かれている歌人の一人であり、恋多き女性、情熱的な女性として多くの歌を詠み、名を馳せた歌人です。

 

さて・・・

昨今の世界情勢のように、社会情勢の変化により、収入源を失ってしまうことで、時に税金を収められなくなってしまう、という事態が生じることもあるでしょう。

そのような時、国は、資産の差押という手段によって、滞納している税金(租税債権)を回収することがあります。

ところが、その回収先にも、同様に債権があった場合はどうなるでしょうか。

 

 

相殺の範囲


この件に関し、裁判で争われた事例がありますので、ご紹介いたします。

税金を滞納していた、とある会社の銀行預金を国が差押えたところ、銀行がこの会社に対しては貸付金を持っているので、これと相殺して預金を差押えすることはできない、と主張してきたため、国が、銀行の貸付債権(自働債権)については、返済する期限が後に来る預金債権(受働債権)については相殺できないとして訴えた事例です(最判昭和45年6月24日)。

相殺には、相殺する債権(自働債権)と、相殺される債権(受働債権)があり、
相殺を可能にする条件については、民法505条に定められています。

(相殺の要件等)
民法505条
「二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。」

 

この条文では、相殺適状の要件として次の内容が規定されています。

・同種の対立する債権があること
・双方の債務が弁済期にあること
・債権が相殺できるものであること

相殺を可能にするためには、これらの要件が必要とされており、双方の債権がこの要件を満たしていなければなりません。

そして、これらの要件全てを満たし、相殺ができる状態であることを
「相殺適状」といいます。

 

さて、ご紹介の事例において、最高裁は

「相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もって両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であって、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己の債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において、受働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものである。」

として、相殺制度の趣旨を説明した上で、相殺の効力の範囲について、

「第三債務者(※銀行)が債務者(※会社)に対して有する債権をもって差押債権者に対し、相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによって、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調節を図ったものと解するのが相当である。
したがって、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきである。」

とし、その範囲を限定しました。

 

差押と相殺につき、旧民法では、第三債務者が差押え後に取得した債権における相殺については規定していたものの、差押え前に取得した債権における相殺については明確に規定していませんでした。

しかし、この判決では、第三債務者の債権が差押え後に取得されたものでなければ、自働債権の弁済期及び受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達していれば、差押後においても相殺できることとしたのです。

 

これを受け、改正民法511条1項では

・差押えを受けた債権を、差押え後に取得した債権で相殺することは出来ないものの、差押え前に取得した債権で相殺することはできること

・差押え後に取得した債権につき、差押え前の原因に基づいて生じた債権であるときは、差押による債権と相殺できること

が明文化されました。

<改正前民法>
(支払の差止めを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
第511条  支払の差止めを受けた第三債務者は、その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。
<改正民法>
(差押えを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
第511条 差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することはできないが、差押え前に取得した債権による相殺をもって対抗することができる。
2 前項の規定にかかわらず、差押え後に取得した債権が差押え前の原因に基づいて生じたものであるときは、その第三債務者は、その債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができる。ただし、第三債務者が差押え後に他人の債権を取得したときは、この限りでない。

 

 

さて、本日ご紹介いたしました歌、

「難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」

そして作者である、恋多き情熱的な女流歌人、伊勢。

 

冒頭で触れました「佐竹本三十六歌仙絵巻」で描かれている歌人は、女性歌人5名、男性歌人31名となっておりますが、絵巻切断事件以降、所有者が変わるたび、それぞれの歌人に値が付けられるにあたっては、やはり華やかな女性の絵に高値がついたと言われています。

伊勢の絵も、恐らく高額にて取り引きされ、
所有者の手から手へ渡ってきたものと思われます。

100年の節目に、昨年「佐竹本三十六歌仙絵巻」の特別展が開催されたのは、全国でただ1箇所、京都国立博物館のみ(巡回なし)であった、という稀有な機会にもかかわらず、それでも出品されることのなかった、大変貴重な作品。

伊勢の絵は、美術館蔵ではなく、個人蔵となりますので、実物を目にすることのできる機会は、今後いつになるか、果たしてその機会はあるか否かも定かではありません。

その上残念なことに、今年に入ってからは、美術館に足を運ぶことも難しい状況となってしまいました。

この先、実物に出会える機会は、益々遠のいてしまいましたが、
もし、そのような機会が訪れたならば、何をおいても観に行きたいものです。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

六法全書クロニクル~改正史記~平成12年版

平成12年六法全書

平成12年版六法

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(平成11年法律第137号)
があります。略称は「通信傍受法」です。
捜査手段としての通信傍受の要件、手続等について規定しています。

 

プライバシー侵害への懸念などから、成立までに激しい反対があったことは、
ご記憶にあるのではないでしょうか?

何となく危なそうな法律だとは思っているけど、詳しくは知らない・・・
という方のために、少し中身を見てみましょう。

 

まず、「通信」と「傍受」です。
傍受の対象となる「通信」とは、「電話その他の電気通信」をいい、電話(固定電話・携帯電話)だけでなく、電子メール、FAXも対象となります。
「傍受」とは、現に行われている他人間の通信について、その内容を知るため、当該通信の当事者のいずれの同意も得ないで、これを受けることです。

通信傍受による捜査が許容される犯罪は、通信傍受が必要不可欠な組織犯罪に限定されます。具体的には、法律制定当初は
・薬物関連犯罪
・銃器関連犯罪
・集団密航
・組織的殺人  の4類型に限定されていたところ、平成16年12月から、
殺人、傷害、放火、爆発物、窃盗、強盗、詐欺、誘拐、電子計算機使用詐欺・恐喝、児童売春などが追加されました。

通信傍受の手続としては、裁判官から発付される傍受令状に基づいておこなわれることになります(令状主義)。通信傍受を実施する根拠・必要性があるかどうか、裁判官によってチェックされる仕組みです。
捜査機関が通信傍受をおこなおうとする場合には、地方裁判所の裁判官に対して傍受令状を請求する必要があります。傍受令状の請求ができるのは、検事総長からの指定を受けた指定検事か、国家公安委員会等から指定を受けた警視以上の階級を有する警察官等に限定されています。(他の令状、例えば逮捕状では、これを請求できる警察官の階級は「警部以上」とされていますので、傍受令状については制限が厳しいといえます。)

請求を受けた裁判官は、請求を理由があると認めるときは、傍受令状を発付します。
傍受令状には、被疑者の氏名や、傍受すべき通信、傍受の実施の方法及び場所、傍受できる期間、傍受の実施に関する条件、有効期間等などが記載されます。
そして、この傍受令状を、通信事業者等に対して提示して、傍受を実施することになります。

傍受してよい通信は、傍受令状に記載された通信のみです。傍受実施中におこなわれた通信であっても、傍受令状に記載されていない内容は傍受してはならず、例えば、犯罪に関わらない家族からの電話等は傍受できません。

傍受した通信は、全て、記録媒体に記録しなければならず、検察官・司法警察員は傍受した通信内容を刑事手続において使用するための記録(傍受記録)を裁判官に提出しなければなりません。
また、傍受終了後、傍受された通信の当事者に対して、傍受したことを書面で通知しなければなりません。通知を受けた通信の当事者は、当該通信の記録の聴取・閲覧や複製をしたり、不服を申し立てたりすることができます。

このほか、通信の秘密の尊重が条文にうたわれていたり、
通信傍受の実施状況を国会に報告するとともに公表することが規定されているなど、
人権侵害が生じないよう、配慮された内容となっています。

 

ちなみに、警察庁HPによると、
2019年における通信傍受の状況は、傍受令状の発付は31件、通信手段の種類はいずれも携帯電話、逮捕人員は48人とのこと。

かなり謙抑的に運用されている印象です。
しかし、たとえ数は少なくても、通信傍受がなかったとしたら逮捕することができなかったケースが、確実にあったのだと思います。
効果的な武器ともなる反面、罪のない人の人権を侵害してしまうおそれもある。
まるで、鋭利な刃物のようだと思います。
使い方を間違えないよう、慎重に、しかし有効に使われるよう、注意深く見守っていく必要がありそうです。

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
借地借家法(平成3年法律第90号)
があります。

借地借家法(しゃくちしゃっかほう)は、建物の所有を目的とする地上権・土地賃貸借と、建物の賃貸借について定めた法律です。
「しゃくちしゃくやほう」と呼ぶこともあります。
その立法趣旨は、一般的に弱い立場に置かれがちな土地や建物の賃借人(借地人、借家人、店子)の保護にあるとされています。

平成11年の改正では、
「定期建物賃貸借」(定期借家契約)の規定(38条)が新たに設けられました。
存続期間が終了すればそこで賃借権は完全に消滅し、契約を更新することはできないという、特別な建物の賃貸借です。

これは、建物の賃貸借に関して、賃借人の権利が強くなりすぎた(一度物件を貸すと、正当な事由がない限り立ち退いてもらえない)ために、家主が賃貸に消極的になってしまい優良物件の供給が阻害されているとの指摘があり、改正がなされたものです。

 

一般の借家契約との違いを見てみることにしましょう。

○契約方法
普通借家契約は、書面でも口頭でも締結が可能であり、その際、特段の説明をする義務等は貸主に課されていません。
一方、定期借家契約は、書面によらなければ締結できません。また、定期借家契約は、「更新がなく、期間満了により終了する」ことを、あらかじめ、契約書とは別に書面を交付して説明しなければなりません。

○賃料の増減
租税等の増減や経済事情の変動等があれば、貸主と借主は、賃料の増額や減額を請求できます。ただし、普通借家契約では、賃料を増額しない旨の特約をすることができます。
一方、定期借家契約では、賃料を増額しない旨だけでなく、減額しない旨の特約をすることもできます。

○契約の更新
普通借家契約では、当事者が、期間満了の1年前から6ヵ月前までの間に、相手方に対して「更新をしない」旨を通知しなかったときは、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなされます(賃貸借期間が1年以上の契約)。なお、貸主による更新しない旨の通知には、正当事由(家主がほかに住むところがなく貸している建物に住まなければならない場合など)が必要となります。
一方、定期借家契約では、更新はありません。賃貸借期間が1年以上の場合、貸主は、期間満了の1年前から6ヵ月前までの間に、借主に対して、期間満了により契約が終了することを通知しなければ、その終了を借主に対抗できません。(逆に言えば、通知さえすればよく、正当事由は必要ない。)

○1年未満の契約
普通借家契約では、1年未満の契約は、期間の定めのない契約とみなされます(各当事者はいつでも解約の申入れが可能で、借主による解約の申入れについては3ヵ月経過後に契約が終了しますが、貸主による解約の申入れについては6ヵ月の猶予期間がある上、正当事由が必要となります。)。
一方、定期借家契約では、1年未満の契約も可能です(期間の定めのない契約とみなされることはありません)。

○借主からの中途解約
普通借家契約では、(貸主からの中途解約は自由には行なえませんが、)借主からの中途解約は、それができる旨の特約があればその定めに従うことになります。
一方、定期借家契約は、特約がなくても借主からの中途解約が可能な場合があります。それ以外の場合は、特約があればその定めに従うことになります。

 

定期借家契約が満了したら、借主は必ず出ていかなければならないのかいうと、そうではありません。当事者双方が合意すれば、「再契約」という形でその建物の使用を続けることは可能です。
しかしあくまで、家主側の合意が必要であるため、必ず再契約できるわけではないことを承知しておく必要があります。これが、借主にとっての最大のデメリットと言えます。

ただ、そういったデメリットのために賃料が相場より安かったり、問題を起こす住民が長く居座り続けることができない仕組みであるため居住環境が良好に保たれやすいといったメリットもあると言われています。

「定期借家契約」は、全体の数パーセント程度だそうです。メリット・デメリットをきちんと把握した上で、賢く使い分けたいですね。

六法全書クロニクル~改正史記~平成13年版

平成13年六法全書

13年六法

 

この年の六法全書に新収録された法令に、
民事法律扶助法(平成12年法律第55号)
があります。

民事法律扶助(みんじほうりつふじょ)とは、
民事の法的トラブルがあった場合に、経済的理由で、弁護士などの法律専門家を依頼する費用を支払うことができない人に対して、その費用を公的機関が給付したり立替えたりする制度です。

日本における民事法律扶助制度は、
1952年に日弁連により設立された財団法人である法律扶助協会が担ってきました。
しかし、民間の寄付に頼るなど財政基盤が弱く、地域間格差や運営体制の整備の立ち後れが指摘されていました。
そんな中、国民へ十分な司法サービスを提供することを目指して広汎な司法制度改革をおこなう流れとなり、その先駆けとして制定されたのが、この法律です。

この法律により、法律扶助協会は、民事法律扶助事業をおこなう者として、法務大臣の指定を受けることとなりました。
そして、国からの補助金も大幅に拡充されました。

 

この法律では、

①国の責任が明示され、事務・運営費について補助金が大幅に拡充された
②法律事務所等で援助申込みができるようになり、アクセス・ポイントが大きく広がった
③司法書士が新たなサービス提供者として加わった

などの点で、民事法律扶助事業の拡充が図られました。

しかし、それでもなお、
対象事件の範囲や対象者の範囲が限定的で、予算規模も小さく
憲法第32条の『裁判を受ける権利』の実質的保障という観点からはなお不十分
との指摘があり、これを受けて、総合法律支援法が制定されます。

民事法律扶助法は廃止され、
民事法律扶助業務は「日本司法支援センター」(通称:法テラス)が承継して実施することとなりました。

 

法テラスで扶助を受けるためには、次のような条件を満たす必要があります(2020年10月現在)。

①資力が一定額以下であること。
(単身者の場合、月収18万2000円以下、保有資産180万円以下など。)
②勝訴の見込みがないとはいえないこと。
③民事法律扶助の趣旨に適すること。
(報復のためだけの訴訟や、権利濫用的な訴訟などはダメということ。)

しかし、たとえ上記の条件に当てはまらない人でも大丈夫。
法テラスでは、問題を解決するための法制度や手続、
適切な相談窓口を無料で案内するという業務もおこなっています。
サポートダイヤルが設けられていて、電話(通話料のみ)やメールでも問合せ可能ですので、気軽に相談ができますね。

法的トラブルは、こじれてしまってからでは、解決に時間がかかります。
できるだけ早い段階で、躊躇なく、専門家の援助を受けることが大切です。

経済的な事情でそれが難しい時にも、自分一人で何とかしようとするのではなく、
どうぞ、この民事法律扶助制度を思い出してください。きっと最終的に、経済的にも精神的にもずっと軽い負担で解決できることでしょう。
(参考:法テラス公式サイト

 

◇ ◇ ◇

 

改正された法令として収録されたものに、
少年法(昭和23年法律第168号)
があります。

この年の改正内容は、次のようなものでした。

①刑事処分可能年齢の引き下げ(16歳から14歳へ)
②懲役・禁錮の言渡しを受けた少年の、16歳に達するまでの少年院収容が可能に
③犯行時16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた事件について、原則として検察官送致
④保護者に対する訓戒、指導等
⑤検察官・弁護士である付添人が関与した審理の導入
⑥被害者への配慮の充実(被害者等の申出による意見の聴取、被害者通知制度、記録の閲覧・謄写)

少年法では、20歳未満の少年による犯罪行為の場合、
すべて家庭裁判所に送致する「全件送致」が定められています。
しかし、16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた場合、
原則として家庭裁判所から検察官に送り返すこととなったのです(上記③)。
これを検察官送致(逆送)と言います。
その場合、少年は成人同様の刑事処分を受けることになります。
場合によっては、少年院ではなく、刑務所(少年刑務所)に入ることになります。

この年の少年法改正は、全体として、
1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件などを契機として、
少年法の厳罰化を実現するものでした。

少年による凶悪な事件が発生すると、
どうしても、「少年法は甘い」という声が高まります。
しかしそもそも、少年法は、その目的を処罰ではなく、少年の健全育成においています。つまり、少年の処罰よりは、改善更生を目的としているのです。

どこでバランスを取るか、とても難しい問題だと思います。

 

現在も、民法の成年年齢を18歳未満に引き下げる法律が2022年4月に施行されることに伴い、少年法の適用年齢を、20歳未満から18歳未満に引き下げることの是非が議論されています。

法制審議会の要綱案では、適用年齢の引き下げについて結論を見送る一方
18・19歳の少年について、原則検察官送致する犯罪の範囲を広げ、起訴されれば、18・19歳でも実名報道を可能とするとの方向性が示されたとのこと。

複数の視点が対立する難しい問題だからこそ、
目を背けることなく、関心を寄せ続けたいと思います。

法律で読み解く百人一首 91首目

被害者が死亡に至った直接の原因が、加害者によるものではなく
第三者(またはその他の要因)によるものであった場合。

被害者が死亡に至る過程において、
加害者による行為が起因していたとあれば、被害者死亡という事実と
加害者による行為には相当因果関係が認められるのでしょうか?




誰でも一度は経験したことがあるでしょう。
「青天の霹靂」とも言える、想像だにしていない、突然の出来事。

しかし、それが人の命を左右するものだとしたら。。

物ごとには、すべて「原因」と「結果」があり、
この2つは、1本の線で繋がっていると言われています。

点と点を繋げてゆけば、必ず線になるように。

一見、全く無関係のように思われる出来事も、
元を辿れば、必ず「原因」に行き当たります。

それが、例え想定外に起きてしまった「結果」だとしても。。

 

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに

               衣かたしき ひとりかも寝む」
                     後京極摂政前太政大臣

「きりぎりす なくやしもよの さむしろに

                 ころもかたしき ひとりかもねむ」

            ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん


小倉百人一首 100首のうち91首目。
平安末期から鎌倉初期にかけての公卿・歌人である
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)の歌となります。

 

 

歌の意味

「霜の降るこの寒い夜、こおろぎがしきりに鳴いている。
こんな夜に、筵(むしろ)の上に衣の片袖を敷いて、わたしはたった独り、寂しく寝るのだろうか。。」


この歌にある「きりぎりす」とは、現在の「コオロギ」のこと。
私たちが知っている、現在の「キリギリス」とは異なります。

漢字では「蟋蟀」と書き(「きりぎりす」とも、「こおろぎ」とも読みます。)、平安時代から中世には、秋に鳴く虫のことを指し、秋の季語とされておりました。

それ故、この歌の季節は「秋」となります。

 

さて

平安時代には、男性と女性が一緒に寝る時は、お互いの着物(衣)の袖を敷きあって寝るという習慣がありました。

「衣片敷き(ころもかたしき)」とは、
共に寝る相手(衣を敷き交わす相手)がいないため、自分の衣を敷き、その袖を枕代わりにして、独りで寝ることを意味しています。

 

霜の降る晩秋の寒い夜
むしろ(わらで編んだ粗末な敷物)の上で、
きりぎりすの声を聞きながら、独り寂しく眠る…

想像するだけで、寂しく孤独な様子がひしひしと伝わってまいります。
(「さむしろ」とは「寒い」と「むしろ」を掛けていることからも、
なお一層、寂寥感が募りますね。)

 

しかし、実はこの歌を詠む直前、良経は妻を失っています。

そのような背景を知った上で、改めてこの歌を詠んでみると
先ほどまでとは、また違った印象を受けるのではないでしょうか。

 

 

作者について


後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん・1169-1206)

彼は、
本名:九条(藤原)良経(くじょう(ふじわら)よしつね)
別名:後京極殿(ごきょうごくどの)
通称:後京極摂政(ごきょうごくせっしょう)
と、いくつもの呼び名を持っています。

政治家としては、内大臣(左大臣・右大臣に次ぐ官職)まで昇りつめるも、
派閥争いに破れて、朝廷から追放されてしまいます。
しかし、その後再び政権に返り咲き、
1204年、ついに官僚の最高位である太政大臣となりました。

ところが、そのわずか2年後、38歳の若さで急死してしまいます。

 

また、良経は歌人としても、新古今和歌集(後鳥羽院の命によって1201年より編纂された勅撰和歌集)の「仮名序」を書いたことで有名です。

「仮名序」とは、「真名序」とともに、新古今和歌集の序文として大変重要な位置づけであり、仮名序を任されるということは、多くの人から尊敬を集める、当時は大変名誉な任務でした。

新古今和歌集は、1205年3月26日に完成しますが…
その翌年、1206年4月16日の深夜、良経に突如死が訪れます。

宮廷内の自邸で一人休んでいるところを、天井から槍で刺し殺されたことから
良経の死は、暗殺によるものだとされています。

政敵か、または
新古今和歌集の「仮名序」の執筆者に選ばれなかった者の逆恨みか、それとも…

 

真実は闇の中、とされておりますが
和歌や漢詩に優れ、とりわけ書においては、のちに「後京極流」との流派ができるほど優れた才能を持っていた良経。

38歳といえば、政治の世界においても、歌の世界においても、まさに絶頂期。

いよいよこれから、、という時の
あまりにも突然で、惜しまれる死となりました。

 

今でこそ、耳にすることも少なくなりましたが、
昔の日本においては、「暗殺」という物騒な事件は、日常の出来事でした。

暗殺の恐怖に怯えながら、戦々恐々として暮らす毎日とは、
どんなものだったでしょうか。。

例えば良経のように、真夜中、暗殺者に襲われた場合…

いつ暗殺されるか知れない、という命の危険を感じながら暮らす日常にあって、
殺害当夜も、危険を察知し、部屋から飛び出したことで、
危うく暗殺という難を逃れたとしても、飛び出したその先に別の危険が待ち受け、
それによって、良経が死に至ったとしたら?

このような場合、暗殺者は、良経の死に関し、
罪に問われることになるのでしょうか?

 

 

被害者の逃走中の事故死と因果関係


さて

現代においても、「生命の危険を感じて逃走する途中で起きた死亡事故」
における因果関係について、争われた事例がありますので、ご紹介いたします。


複数の加害者らに長時間に渡り暴行を加えられた被害者が、加害者らの隙を見て逃走する途中で、高速道路に進入してしまったことで、結果、交通事故により死亡した場合、加害者らの暴行と、被害者の交通事故による死亡との間には、因果関係があるか否か、について争われました。(最決平成15年7月16日

この事件で、加害者6人は、被害者に対し、深夜の公園において、約2時間に渡り激しい暴行を繰り返した後、引き続きマンションの一室で、約45分に渡って断続的に激しい暴行を加え続けました。

その後、極度の恐怖状態にあった被害者は、隙を見て、暴行現場のマンション居室から逃走しました。

逃走を続けること約10分。
被害者は、マンションから約800メートル離れた高速道路に進入してしまい、高速道路上で、走行してきた自動車に轢かれて死亡しました。

加害者らは、被害者の死因は暴行によるものではなく、自動車事故によるものであって、刑法205条には当たらず、自分たちに責任はないと訴えました。

(傷害致死)
刑法205条
「身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。」

 

これにつき裁判所は、

「被害者が逃走しようとして高速道路に進入したことは、それ自体極めて危険な行為であるというほかないが、被害者は、被告人らから長時間激しくかつ執ような暴行を受け、被告人らに対し極度の恐怖感を抱き、必死に逃走を図る過程で、とっさにそのような行動を選択したものと認められ、その行動が、被告人らの暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当であったとはいえない。そうすると、被害者が高速道路に進入して死亡したのは、被告人らの暴行に起因するものと評価することができる」

とし、被害者は、加害者ら(被告人ら)の暴行によって死亡したと判断しました。

 

現場からの逃走途中において、高速道路に進入するということは、通常であれば考えられない、極めて危険な行動です。
それにも関わらず、なぜ、加害者の暴行によって被害者は死亡したものと判断されたのでしょうか?

 

判決では、被被害者の行動は

加害者らからの長時間激しく執拗な暴行を受けており、
②その結果として、極度の恐怖を抱き、命の危険を感じて、必死に逃走を図ったもので
③このような、通常ではあり得ない行動をとってしまうという、冷静さを欠いた心理状態おいて、とっさに選択された行動であった

という事情が重視されたようです。

このような場合は、被害者が「高速道路に進入する」という、通常では考えられない行動に出た結果として、交通事故に遭遇し、死に至ったとしても、それは加害者の暴行から生じたものとして、「著しく不自然、不相当であったとはいえない」とされるのですね。

被害者の直接の死因が、加害者らの傷害によるものではなく、交通事故によるものであったとしても、加害者らの行為それ自体が、被害者の心理状況に強度の影響を与えた「原因」により起こった「結果」である、加害者らによる暴行と、被害者の交通事故による死亡との間には相当因果関係がある、とされるところに少し違和感がないこともないですが、深夜の公園で2時間、マンションで45分も暴行を受け続けること自体、通常であれば考えられないことですから、その結果として被害者が高速道路に飛び出すなんてことをしても因果の中に含めてしまっても良いのかもしれません。


さて

本日ご紹介する、こちらの歌

「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」

寂寥感漂うこちらの歌とは対象的に、良経は、「仮名序」を記した新古今和歌集においては、次のような歌を詠み、華々しい第1首目を飾りました。

 

「み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春はきにけり」

(吉野は山も霞んでいる。
ついこの間までは白雪が降っていた里にも、ついに春が来たんだなあ。)

こちらの歌にあるように、まさにこれから春を迎え、
人生を謳歌しようとしていた良経。

 

捉え方によっては、
良経暗殺という「結果」における「原因」とは、ある意味「歌」にあったと言えるかも知れません。

歌とは、嘗ては人の運命を左右するほどの威力を持っていました。
それは、歌が持つ力の恐るべき一面、とも言えるのではないでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

映画「プリズン・サークル」を観てきました

「TC」という言葉をご存知でしょうか?

「Therapeutic Community(セラピュティク・コミュニティ)」の略で、「治療共同体」などと訳されます。薬物依存者や犯罪者の更生に用いられる、心理療法的アプローチのひとつです。

   

アメリカには、世界的に知られるTCとして「Amity(アミティ)」があります。
アリゾナ州を拠点としており、薬物・アルコール依存症者を主な対象としていますが、2018年からは出所後の終身刑受刑者の社会復帰施設の運営などもおこなっているようです。

日本では、島根あさひ社会復帰促進センター(以下「島根あさひ」)において、「TCユニット」と呼ばれる更生特化プログラムがおこなわれています。

そうはいっても、被収容者全員が対象とされるわけではありません。
このプログラムを受けることができるのは、希望する受刑者のうち、面接やアセスメントで許可を得た、わずか30~40名程度です。アミティのカリキュラムのほか、認知行動療法も導入しており、受講生たちは半年から2年程度の間、生活を共にしながら、週12時間程度のプログラムを受けていきます。


<島根あさひ社会復帰促進センター>
島根県浜田市にある、2008年10月に解説された男子受刑者を収容する施設です。
2000年代後半に開設された4つの「PFI刑務所」のひとつで、犯罪傾向の進んでいない男子受刑者2000名を対象としています。

「PFI」はPrivate Finance Initiative、官民協働運営の刑務所を意味します。
これは1992年にイギリスで生まれた行財政改革の手法ですが、日本では1999年7月公布のPFI法の施行以降に活用が始まりました。
現在、日本には島根あさひを含む4つのPFI刑務所が存在します。
島根あさひでは、国の職員約200名に加え、民間の職員約350名が働いており、「刑務所」ではなく「社会復帰促進センター」と呼ばれるのも、特徴のひとつです。

学校のような外観・内装や警備システム、IT技術の活用された管理等、私たちがステレオタイプ的に抱いている「刑務所」のイメージを大きく覆すような施設です。
島根あさひHP「センターの特徴」


以前、当ブログでふれた監獄法の改正とも大きく関わっている点ですね。
今回は、その島根あさひを舞台としてTCの取組みを取材した映画「プリズン・サークル」をスタッフ2名で観てまいりました。

 

 

映画概要

 

今回鑑賞した「プリズン・サークル」は、島根あさひにおける「TCユニット」を受講する4人の受刑者を主人公とし、2年にわたり密着した作品です。
監督・制作・撮影・編集をされたのは坂上香さん。ドキュメンタリー映画監督であり、制作活動をしながら、刑務所等に収容される人々を対象に映像・アートを用いたワークショップもおこなっているそうです。
この作品は取材許可が下りるまで6年、撮影に2年、公開までにおよそ10年の年月を要したと言います。

作品は、刑務所は従来「こういうところ」であるが、島根あさひは「こんなところが新しい」という説明、そして主人公となる若い4人の受刑者がTCに参加するところから始まっていきます。

既に述べたとおり、島根あさひは従来の「塀の中」というイメージを覆すもの。
明るい施設内や新しい管理システムを見ると、一瞬刑務所が映されていることを忘れそうですが、受刑者の丸刈り頭や、定められたであろう規律ある動きを見ていると、「あ、刑事施設だったっけ…」と気づかされます。

TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。
公式HPより)

と説明されるように、TCユニットでは受刑者らが円(サークル)になってグループワークをおこないます。支援員と呼ばれる臨床心理士らが提示する様々なテーマに沿って考え、伝えたり、聞いたり、促したりと、コミュニケーションを図りながら、自分自身ないし周りの受刑者と向き合うのです。

法律事務所に勤務していても(取り扱う業務によりますが)、なかなか知る機会のある世界ではありません。2時間以上に及ぶ映像の中で、初めて知ること、考えさせらえることは多々ありました。
(※以下、内容についての記載があります。)

 

 

大切にされること、の大切さ

 

印象的だったのは、
受刑者に対する支援員の方たちの接し方が非常に柔らかいものだったこと。

刑務所内って(もちろん意味あってのことだと思いますが)、有無を言わさぬの対応・口調のイメージがありますよね。
しかし、支援員たちは受刑者のすぐ近くで、目を見ながら敬語で「○○さん」などと話します。プログラム中、受刑者同士は名前で呼び合い、自由に会話することも可能です。
普段の生活なら当たり前のことが、刑務所という空間においては非常に特別なことであるように感じました。

このことは、受刑者自身にも大きく影響しているようです。
インタビューのなかでも、「支援員が目を見て話してくれるのは嬉しい」「人として尊重されている感じがする」といったような発言がありました。

例え罪を犯してしまい、実刑を受けながら過ごさねばならないとしても、人として「大切」にされる(ように感じる)時間があることは、受刑者本人が自身の罪と向き合ったり、社会復帰に向けて気持ちが動く重要なきっかけになるのではないか、と強く感じました。

 

 

自分の「これまで」と向き合う

 

その他に印象的だったのは、受刑者の過去を題材としたワークショップを多くおこなっていたことです。

この映画で主人公とされた4人には、育児放棄や虐待・いじめ・貧困など、同じような人を集めたのでは?と思ってしまうくらい、共通するバックグラウンドがあります。彼らがおこなった犯罪行為は、こうした背景が積み重なった先にあるものなんですね。

TCでは、とことんその「過去」と対峙させます。
支援員が話を聞いたりブレインストーミングを助けることもありますが、ここでのポイントは、同じような状況にあった他の受刑者とグループワークをおこなうことにあると思います。
こうした教育を受けさせ、自らの罪や、これからの人生に直面させることは、かえって厳しいことかもしれません。刑務所の中で、何も考えずに時(刑期)を過ぎるのを待つだけのほうが、もしかしたら楽なのかも…

だからこそ、その時感じた気持ちを伝え、共有できるのが同じ境遇にある人達であることは、TCのプロセスにおいて大きな助けとなるのではないでしょうか。

 

 

被害者側にとってのTC

 

一方で、被害者側にすれば、こうした取り組みや、その過程にある彼らの言動を受け入れることは難しいのでは、とも感じました。

ワークショップ内では、罪を罪と感じていない(感じることができていない)という告白があったり、自分の罪どころか物事と向き合うことを諦めてしまっている受刑者たちの姿もありました。
被害を受けた方たちにすれば、様々な感情が駆け巡ることと思います。こうした点も、TC受講者が限られる理由のひとつなのかもしれません。

しかし、TCを受講できなかった受刑者たちも、刑期を終えれば「社会復帰」をしなければならないわけです。被害にあわれた方を含め、私達が安心して暮らすためにも、やはりこうした支援は必要不可欠なのではないでしょうか。
TC受講の機会を得られなかった受刑者たち、また犯罪傾向が進んでいるとされTC受講の対象とならなかった受刑者たちに対しては、どのような取り組みがされているのかも気になります。そこを知ることも、大きな一歩となるかもしれません。

   

 

TCがもたらすもの

 

作中では、TC出身の出所者たちの姿も描かれています。

一部の方たちは、出所後も支援員らと連絡を取り合い、定期的にミーティングをおこなっているのだそうです。映像では、食事をしながら、出所者らが近況や今後の目標についての報告などをする様が映し出され、それぞれが奮闘している様子に支援員が涙する瞬間などがあり、また殆どの方が顔を出している(モザイクがかけられていない)ことにも驚きました。

皆順調に生活しているかと思いきや、なかには思ったような社会復帰を果たせず、悩み、やや投げやりになってしまっているTC出身者の姿もありました。
その人に対して厳しい言葉を投げかけるのは、他のTC出身者です。支援員はそのやり取りを見守ります。
こうしたコミュニケーションもTCの効果のひとつかもしれない、と感じました。

 

 

PFIやTCは拡大すべき?

 

こうしてPFI刑務所やTCの存在を知ると、
「もっとやればいいのに」と多くの方が感じることだと思います。

PFI刑務所については、今のところ運営に支障をきたすような事故の発生はなく、また「地域との共生」といった運営理念も実現されているようです。
しかし、官民協働であるからこその課題もあり、特に業務実施にあたっては以下の点が挙げられています。


・オペレーションの複雑化
遠隔監視による受刑者の独歩移動や遠隔操作による扉の施錠・開錠など、一般の刑事施設に比べてオペレーションが複雑になっているため、官民ともに保安警備業務に従事する職員がその仕組みを十分理解した上で勤務にあたる必要がある(現に扉が未施錠のまま放置されるような事態が発生している)。

・職員のスキルアップ等
一般の刑事施設で刑務官や教育専門官等の国職員が実施している業務を、民間事業者が実施しているため、社会復帰促進センターで採用された国職員の基礎的スキル向上を図ることが難しい面がある。

・考え方の相違等
官民間の業務実施上の立脚点の違いから、国・民間の職員の間で物事の捉え方に相違がある場合があり、同一の業務について評価が異なることがある等。

(法務省HP「PFI手法による刑事施設の運営事業の在り方に関する検討会議(骨子)」より)


TCの導入については、支援員不足が挙げられています。
元センター長のコメントによれば、当初は収容者全員にTCを受講させる動きがあったようですが、支援員不足から実現が難しかったそうです。
映画では撮影上の制約から支援員に焦点が当てられていませんが、彼らの働きは実に大きいのだそうです。
どこでも人材不足は問題視されますが、ここでも大きな課題なのですね。

また、TC出身者の再入所率は、他のユニットに比べ半分以下であるという調査結果もあります。その点については「犯罪傾向の進んでいない受刑者たちが対象だから(少なくて当然)」といった意見もあるようですが、この映画を見ると、TCという取組みが一部の受刑者においては確実に作用していることが分かります。

 

 

最後に

 

「刑務所」という場所はかなり閉塞的なイメージですし、業務上の都合やプライバシーの観点などから、そうであるべきとも考えられます。
だからといって”関係ない世界”と断ち切るのではなく、社会全体の課題として認識することが大切であるように感じました。

私事ですが、日本のドキュメンタリー映画は”暗くて重苦しい、問題意識の押し付け”というイメージによる苦手意識から、これまで食わず嫌いで過ごしてきました。
でも、「プリズン・サークル」にはフラットさを感じました。作者の信念は確固たるものであると思いますが、伝え方は割と冷静であるかなと。。。
今回の鑑賞を経て、新しいジャンルについて知ることの大切さも再認識させられた気がします。

こうしたジャンルや、ドキュメンタリー映画を普段見ない方にこそおすすめです。

ひとつ疑問が残るとすると、色についてです。
映画ポスターでも見られますが、椅子や衣服で黄色が使われており、何だかとっても印象に残ったのです。
何か効果を狙ったものなのか、今も気になっています。。。

法律で読み解く百人一首 52首目

国の指導のもと、「予防接種法」に基づいて実施された予防接種を受けた結果、
その副作用により、後遺障害を負い、若しくは死亡するに至ったとしたら。。

その場合、憲法29条3項に定められている財産権により、国に補償請求をすることはできるのでしょうか。


 

生命あるところ、そこには必ず感染症が存在します。

長い歴史において、人類は、常に感染症に悩まされてきました。
一つの病気が収束したかと思えば、すぐにまた新たな病気が発生する。

決して終わることのない、人類と感染症との戦い。
人類の医学における戦いとは、感染症との戦いであるとも言えるでしょう。

高度な医学が発達した現代社会においてさえ、人間の叡智をもってして、
なお撲滅することのできないもの。
それが感染症なのです。

 

有史以来、人類が撲滅できた感染症とは、
ただ一つ、天然痘のみだと言われています
(WHO・地球上からの天然痘根絶宣言・1980年5月8日)。

今年は、パンデミックした新たな感染症により、個人の人生のみならず、
社会が、そして世界が大きく様変わりしたように思います。

世界中で、マスクの着用、ソーシャルディスタンスが当然の光景となり、
昨年までの生活が一変した世界。
そう考えますと、今年は、人類史における大きな転換点と言っても過言ではないでしょう。

この感染症にはワクチンが存在しないため、私たちはなお一層、未来への不安を掻き立てられており、一刻も早くワクチンが開発されることを期待されています。

しかし、その開発の裏には、実は、知られざる事実もあるのです。。

 

そこで、本日ご紹介する歌は…

本日の歌】

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら

             なほうらめしき 朝ぼらけかな」
                        藤原道信朝臣

「あけぬれば くるるものとは しりながら
              なほうらめしき あさぼらけかな」
                       ふじわらのみちのぶあそん 


小倉百人一首 100首のうち52首目。
平安中期の貴族・歌人、藤原道信朝臣(藤原道信)の歌となります。

 

 

歌の意味

 

「夜が明けてしまったら、やがてはまた日が暮れて夜になり、あなたに会えるものだと分かってはいるけれど、それでもやはり、あなたとお別れする夜明けは、恨めしく思われるものです。」

平安時代において、夜明けとは別れを、日暮れとは再会を意味します。

「朝ぼらけ」とは、夜がほんのり明けるころ。
秋や冬の歌に多く用いられています。

和歌の世界における「朝ぼらけ」とは、男女が一夜を共に過ごした後、男性が女性の元から立ち去る頃という特別な意味があります。

そして、男性は帰宅すると、女性に歌を送ることが習慣となっており、
こうして詠まれた歌は、「後朝の歌(きぬぎぬのうた)」と言われます。

 

 

作者について

 
藤原道信朝臣(ふじわらみちのぶあそん)972~994

本名は、藤原道信(ふじわらのみちのぶ)。
平安中期の貴族・歌人で、中古三十六歌仙(三十六歌仙に選ばれなかったが、優れた歌人と、それ以後の時代の歌人が選ばれた)の一人。

太政大臣・藤原為光(ふじわらためみつ)の三男で、藤原兼家(かねいえ)の養子となりました。
従四位上・左近衛中将に昇進するなど、若くして武官を歴任します。

 

和歌に秀でており、14歳で父・為光を亡くした際には、

限りあれば 今日ぬぎすてつ 藤衣 はてなきものは 涙なりけり

「喪があけるので喪服は脱ぎ捨てたけれど、悲しみの涙は果てしなく続くよ」
※「藤衣」は喪服のこと

と詠んで、悲しみを表現し、多くの人に賞賛されました。

 

大鏡には「いみじき和歌の上手」と伝えられるほど、その才能を期待されておりましたが、当時流行していた天然痘により、惜しくも23歳の若さで、短い生涯を閉じました。

天然痘とは、かのインカ帝国やアステカ帝国をも滅亡させた、と言われているほどの恐ろしい病気。
道信が生きた平安時代にも、庶民のみならず、貴族を含め多くの人々が、この天然痘により死に至りました。

 

 

予防接種ワクチン禍事件


さて。

世界を危険に陥れた天然痘を撲滅することが出来た要因の一つに、
有効なワクチンが開発されたことがあります。

ワクチンとは、ご存知のとおり体内に摂取することで、感染症の発生と拡大を未然に防ぐための薬ですが、多くの人に効果があるとされてはいるものの、やはり何事にも100%はありません。

予防するための薬が、ある人にとってはかえって毒となり、
最悪の場合には生命を奪うこともある。。

 

我が国においても、国の指導のもと、「予防接種法」という法律に基づいて実施された予防接種を受けた結果、一部の児童は、その副作用により、後遺障害を負ったり死亡する事態に至ってしまいました。
そのため、被害に遭った児童らとその両親ら約160名が、国に対し、憲法29条3項に基づいて、損失補償を求めて争った、という事例があります。
(東京地裁昭和59年5月18日判決)

この事件において、裁判所は、被害児童らとその両親らの訴えに対し、
以下のように判断を下しました。


「一般社会を伝染病から集団的に防衛するためになされた予防接種により、その生命、身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し、右犠牲による損失を、これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは、生命・自由・幸福追求権を規定する憲法13条、法の下の平等と差別の禁止を規定する同14条1項、更には、国民の生存権を保障する旨を規定する同25条のそれらの法の精神に反するということができ、

そのような事態を等閑視することは到底許されるものではなく、かかる損失は、本件各被害児らの特別犠牲によって、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である。そのことは、価値の根元を個人に見出し、個人の尊厳を価値の原点とし、国民すべての自由・生命・幸福追求を大切にしようとする憲法の基本原理に合致するというべきである。

 更に、憲法29条3項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定しており、公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え、特定の個人に対し、特別の財産上の犠牲を強いるものである場合には、これについて損失補償を認めた規定がなくても、直接憲法29条3項を根拠として補償請求をすることができないわけではないと解される。

憲法13条後段、25条1項の規定の趣旨に照らせば、財産上特別の犠牲が課せられた場合と生命、身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで、後者の方を不利に扱うことが許されるとする合理的理由は全くない。

 従って、生命、身体に対して特別の犠牲が課せられた場合においても、右憲法29条3項を類推適用し、かかる犠牲を強いられた者は、直接憲法29条3項に基づき、被告国に対し正当な補償を請求することができると解するのが相当である。」

憲法29条3項
「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」


 

「予防接種法」とは、国民を伝染病から守り、公衆衛生を向上させることを目的として、国が、国民に予防接種を受けることを義務付けていたものです。

しかし時として、その副作用で後遺障害、若しくは死亡に至る事態を引き起こすこともあるということが、当時すでに統計的に明らかになっていました。

国はそのような事実を知りながら、公共の福祉、つまり「国民全体の利益」を優先させたことで、一部の国民の「生命や身体」に特別の犠牲が課せられたのです。

 

このような場合、その一部の国民に課せられた犠牲は、

  • 「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を規定する憲法13条
  • 「すべて国民は、法の下に平等であって」、「差別されない」と規定する同14条1項
  • 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定する同25条1項

に反するものであることから、

  • 財産権の制限が、特定の個人に対し、特別の財産上の犠牲を強いるものである場合は、憲法29条3項に基づき、補償請求することができること
  • 国民全体の利益が、これら個人の犠牲の上に成立するものであるならば、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である

とされました。

憲法13条
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

憲法14条1項
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

憲法25条1項
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

 

感染症も、時代を経るごとに複雑に変化し、その数も増加の一途を辿ることから、法律においても、数々の改正がなされてきました。

「伝染病」との呼び名も「感染症」へと変わり、これまでの「伝染病予防法」に代わって 「感染症予防法(正式名称:感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)」と言う呼び名に改正されています(1998年制定・公布、1999年4月1日施行)。

なお、現在も予防接種法は存在しますが、
1948年成立当初こそ「罰則規定ありの義務接種」であったものの
1976年には「罰則規定なしの義務接種」となり、
さらに1994年には「努力義務」に改正されています(予防接種法 第9条(予防接種を受ける努力義務))。

 

◇ ◇ ◇

 

さて
本日ご紹介する、こちらの歌

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな

こちらは、雪が降った日の朝、道信が女性の家から帰って贈った、
後朝の歌とされています。

 

道信は、女性に宛て、この1首に加えて、更に次の1首を贈っているようで。。

帰るさの  道やはかるか  からねどと  来るにまどふ  けさの淡雪

「あなたの家からの帰り道が、いつもと変わったわけではないのですが、迷ってしまうのです。まるで今朝の淡雪のように、あなたが打ち解けてくださったから。」

この歌は、2つ併せて1首といえるでしょう。

 

季節は冬でありながら、どことなく春を感じさせるような、若々しい恋の歌。

未来のある才能豊かな若者が、遥か昔、伝染病によりその将来を断たれてしまったこと、生きていれば、どれほど素晴らしい歌が後世に残されただろうか、、
と考えると、残念でなりません。

現在猛威を奮っている伝染病も、嘗て撲滅された天然痘のように、いつかは終わりが来るのでしょうか?

 

◇ ◇ ◇

 

今、世界中で、一日も早いワクチンの開発が叫ばれています。

しかし、ワクチンの開発や改良が繰り返されてきたその歴史の裏には、恩恵を受ける者ばかりではなく、知られざる多くの犠牲もあった。。

その事実もまた、思いに留めておく必要があるのではないでしょうか。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー

法律で読み解く百人一首 11首目

他人の行為によって、自分に危険が及ぶかもしれないと認識していたにもかかわらず、他人にその行為を許したことで、自らが被害を受けてしまった場合、
例え、それにより死に至る結果となったとしても、その行為を実行したことで、加害者となった人物は、果たして責任を負うのでしょうか?

 


 

「禍福は糾える縄の如し」といわれます。

悲しみもあれば、喜びもあり、それぞれが交互に繰り返されることで、
人生とは奥深く、味わい深いものとなるのではないでしょうか。

とはいうものの、社会においては
時に理不尽としか言いようのない事態が生じることもあるでしょう。

敢えてその状況に身を置かねばならなくなった時、
その事態が、自分の身に危険を及ぼす結果を引き起こすかもしれないとしたら?
そして最悪の場合、死に至る結果となるかもしれないとしたら?

最悪の結果が起こりうることを理解した上でも、
その状況に身を置くことを選択するでしょうか。

そこで、本日ご紹介する歌は…

【本日の歌】

わたの原  八十島かけて  漕き出でぬと

          人には告げよ  あまのつりぶね 
                        参議篁


わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと
             ひとにはつげよ あまのつりぶね」
                      さんぎたかむら  


小倉百人一首 100首のうち11首目、
平安初期の公卿であり文人、参議篁の歌となります。


 

歌の意味

「この広い大海原(わたのはら・海の原)を、
私が、多くの島々(八十島)を目指して漕ぎ出して行ったと、都にいる親しい人に告げておくれ。釣り船の漁夫よ。」

今回ご紹介する歌のテーマは、百人一首5つのテーマのうち
「羇旅(きりょ)」=旅・旅情の歌。

旅といっても様々。

前途明るい旅もあれば、未来への不安を抱えた旅もあります。
さて、本日の歌は、どちらの旅情を詠んだものでしょうか?

 

 

作者について


参議篁(さんぎたかむら)(802-853)

本名は、小野篁(おののたかむら)。
百人一首においては「参議篁」の名で歌を詠んでいます。

「参議」とは、朝廷の最高機関、太政官の官職のひとつであり、
役人としての官職名。
百人一首においては、このように、本名ではなく官職名が
名前に付けられていることが多くあります。

篁は、歌人としてだけではなく、平安時代の公卿として国政を担っていました。
反骨精神の持ち主であることから「野狂」と称され、
更には、「野相公」、「野宰相」などの異名を持っています。

また、平安初期の篁の身長は、約188cmだったといいますから、
かなり大柄な人物だったようですね。
(ちなみに、現代の男性の平均身長は約170cmだそう。190cm近くとなれば、今でも十分目立ちそうです。)

加えて、文人としても活躍し、
学問においては、漢詩は白居易、書は王羲之と並び称されるほどだったとのこと。
文人としても、素晴らしい才能の持ち主だったことがうかがえます。

 

この時代、日本が力を入れていた外交といえば、遣唐使の派遣。

篁は、承和2年(834年)遣唐使の副使として任ぜられ、
承和3年(836年)、続く承和4年(837年)と、遣唐使として2度唐に渡ろうとするも、いずれも失敗に終わってしまいます。

承和5年(838年)、3度目の渡唐にあたり、遣唐大使である藤原常嗣の乗るはずだった船が、破損していた上に漏水した船であったため、篁が乗るはずであった船と交換させられました。
篁は、これに猛抗議し、乗船を拒否します。

遣唐使一行に加わらなかった上、遣唐使制度を批判する漢詩を発表したことで、嵯峨天皇の怒りを買ってしまいます。
結果、官位剥奪の上、隠岐の島へ流されることとなりました。

2度も渡唐に失敗している上、3度目は壊れた(しかも既に漏水している)船で行け、と言われれれば、この渡唐が失敗するのは、目に見えていますよね。
いくら上からの命令とは言え、命の危険を伴う任務。
誰もが躊躇することでしょう。

しかし、例え無理難題であっても、上からの命令に逆らうなどご法度の時代において、その命令に唯々諾々と従うのではなく、毅然と拒否したところが、篁の「野狂」と称される所以かもしれません。

 

本日ご紹介する、こちらの歌

わたの原  八十島かけて  漕き出でぬと 人には告げよ  あまのつりぶね

これは、篁が嵯峨天皇の怒りを買い、隠岐の島へ流罪となった際、
難波~隠岐の島の瀬戸内海を通る船旅を思って詠んだ歌。

流罪へと向かう悲しい旅路を
「前途洋々、多くの島々を目指して、大海原へと漕ぎ出して行く旅だ」
と、詠んだ篁。

同じような状況下では、涙に暮れる歌人も多い中、禍をものともしない
篁の気の強さを感じられるような気がいたしますが、いかがでしょうか。

 

隠岐の島は、島根半島の北方約50kmの日本海にある諸島。
現在は島根県隠岐郡に所属しています。
流刑の地として、数々の貴族、政治犯がこの地へ送られ、鎌倉時代、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇も、この地で約19年間を過ごしました。

隠岐に流されても、篁は涙に暮れることなく、なんと島の女性たちと数々の恋を楽しんだというのですから、驚きます(特に阿古那という女性との恋物語は有名で、篁が帰京することになり、悲しい別れとなったとのお話もあります。)。
案外、篁は、流刑生活を楽しんでいたのかもしれません。。

しかし流刑となって2年後、篁はその優秀さを惜しまれ、再び京へと呼び戻されることになりました。
流刑になる前に比べ、更に力を増して帰京した篁。

京では、「この空白の2年間は、きっと閻魔大王と働いていたに違いない」
と、皆が口々に語り継いだとのことですから、その強靭ぶりがうかがえますね。

 

 

危険の引受け

 

さて。

このような、自分の身に危険が降りかかるかもしれない、と分かっていたにも関わらず、それでもあえてその危険に向かって行った場合、
または、誰かの行為が自分の身に危険を及ぼすかもしれない、と思いながらも、あえてそれを許してしまった場合、

それによって生じた結果について、
行為をおこなった者は、果たして罪に問われるのでしょうか。

 

このことについて、刑法では「危険の引受け」という言葉で説明がされます。

危ない行為だなと思いながら、第三者のおこなう行為を引受け、結果として自らが被害を受けた場合、その危ない行為自体は「危険だな」と思っていたものの、それによって生じた結果についてまでは覚悟しているわけではありません。

他人がその行為を実行したことで、自分に危険が生じるということを認識しながら、危険に身を晒したことで、発生した結果につき、その行為を実行した者は、刑法上の責任を負うか否かが問われた事例があります(千葉地判平成7年12月13日、ダートトライアル事件)。

 

事件名からも想像できるように、
この事件はダートトライアル競技の練習中に起こりました。

 

ダートトライアル(Dirt Trial)競技とは、モータースポーツの一種。
未舗装のダート路面(泥濘地、砂利等)のサーキットで走行タイムを競う自動車競技です。(Wikipediaより

ダートトライアルの初心者である男性が、約7年の競技歴を持つコーチを同乗させ、練習走行していたところ、高速ギアでの高速走行中、急な下り坂カーブを曲がりきれず、走行の自由を失い、丸太の防護柵に車両を激突させてしまいます。

そして、この激突により、防護柵の支柱がコーチの胸部を圧迫したことで、
結果として、運転者はコーチを死亡させてしまいました。

この場合、コーチは、運転者が初心者であることを知りながら、それでも初心者の運転する車に乗り、その結果、死亡してしまったとしたら、果たして初心者である運転者は罪に問われなければいけないのでしょうか?

 

(業務上過失致死傷等 ※事件当時)
刑法211条「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。」

 

これについて、裁判所は

「上級者が初心者の運転を指導するために同乗する場合、同乗者は運転者の暴走、転倒等によって自己の生命、身体に重大な損害が生じる危険性についての知識を有しており、技術の向上を目指す運転者が、一定の危険を冒すことを予見していることもある。また、そのような同乗者には、運転者への助言を通じて一定限度でその危険を制御する機会もある。したがって、ダートトライアル競技の危険性についての認識、予見等の事情の下で同乗していた者については、運転者が右予見の範囲内にある運転方法をとることを容認した上で、それに伴う危険を自己の危険として引き受けたとみることができ、右危険が現実化した事態については違法性の阻却を認める根拠がある。もっとも、死亡や重大な傷害についての意識は薄くても、転倒や衝突を予測しているのであれば、死亡等の結果発生の危険をも引き受けたものと認めうる。」

と判断し、運転者は罪を負わない、として無罪判決を言渡しました。

 

同乗していたコーチは、約7年の競技歴を持っていた、いわばベテランコーチ。

それ故、ダートトライアル走行の危険性については、十分な知識を持っており、
未熟な運転者が、技術の向上を目的として練習するにあたり、
自分の技術の限界を超えて暴走したり、時には転倒等の危険を冒す可能性もあることを、予想することができます。

またコーチは、同乗し、運転者へ適格なアドバイスをすることで、
予想し得る危険を逆に回避することもできます。

このように、危険な事態が生じることを予想・認識した上で、それでもコーチとして同乗した場合、それは、コーチがこれを「自己の危険として引き受けた」とみることができ、運転者による転倒や衝突により、たとえ死傷という結果に至ったとしても、運転者の責任は負わないとされたのです。

 

なお、この判決では、

「ダートトライアル競技は既に社会的に定着したモータースポーツであり、本件走行会も車両や走行方法、服装などJAFの定めたルールに準じて行われていたこと、競技に準じた形態でヘルメット着用等をした上で同乗する限り、他のスポーツに比べて格段に危険性が高いものとはいえないこと、スポーツ活動においては、引き受けた危険の中に死亡や重大な傷害が含まれていても、必ずしも相当性を否定することはできない」

として、
運転者の走行の範囲が、競技ルールに準じている必要があることも、必要な条件として示されました。

 

スポーツ競技とは、時に危険を伴うもの。真剣勝負とは、まさに命懸けなのです。

だからこそ、スポーツマンシップに則ったスポーツとは、観戦している
私たちにも感動を与えてくれるのではないでしょうか。

そのため、競技会場の条件や、使用する道具に至るまで、細かなルールが定められており、ルールを遵守した上で起きてしまった事故であれば、止むを得ないとされたのですね。

 

◇ ◇ ◇

 

さて、ここで話は平安時代に戻ります。

篁が、もし、上からの命令に逆らうことなく
危険を承知の上で、破損した船に乗り渡唐した結果、命を落としたとしたら?

渡唐のための手段として、壊れている船を与えられたという時点で
既に「ルール違反」となりますが。。

 

とはいえ、「閻魔大王と一緒に働いていた」との噂をもつ篁のこと。
恐らくは、危険を引き受けた結果、死の淵ヘ立ったとしても、そこから這い上がってきたかもしれません。

 

文中写真:尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』 所蔵:タイラカ法律書ギャラリー